第6話


>>シンゴ
目覚まし時計の音が、けたたましく鳴り響く。決して広いとは言えない部屋中を、その警告音が埋め尽くしていく。でも俺はそれに気が付かない。正確に言えば、気付いてはいるものの、無視しているだけだ。悪いが時計、俺はもう少し寝ておきてぇんだ。なんせ昨日、一昨日は緊張してばっかだったからな。真っ直ぐ、一直線に生きている俺にとって、曲がり道に存在する休憩こそが、至福の一時なんだからな。あと5分、あと5分…。
「お兄ちゃーん、起きてるー?」
ドアの叩く音なんか、どこにも無い、どこにも無い…。
「…これは、完全に寝ているね。」
この一時の安らぎこそが、俺の楽しみだからな。
「えーっと、鍵、鍵…。」
おやすみー。
「お兄ちゃん!」
叫び声と共に、バンと扉が開かれた。でも残念!おれはすでに寝ているのさ!
「…ぐー…。」
「もう!性懲りも無く寝坊するんだから…。」
「…ぐー…。」
「ホラ、起きて!もう朝だよ。」
「…ぐー…。」
「えぇい!」
俺は朝の一時の安らぎを楽しんでいた。それなのに誰かが、俺の布団を剥ぎ取った。
「ぅお!!寒っ!!」
「朝だよー!」
「布団、布団…。」
何故か布団が、俺の目の前に浮いている。これはマズイ。急いで押さえつけねぇと、どっかへ飛んでいっちまう。
「あ、ダメだよ!絶対布団は渡さないからね。」
その声と共に、布団は俺の元からどんどん離れていった。それにしても、さっきから聞こえるこの声は、俺の知った声だ。俺はあまり開かない目を擦りながら、俺の布団を拉致する人物を眺めた。そして俺はがっかりした。
「…何だ、遥(はるか)かよ…。」
「あ、気付いた!」
「…おやすみ。」
刹那、俺の腹にローキックが入った。決して引き締まっているとは言えないお腹に、足のつま先がめり込んだ。低いうめき声を上げながら、俺の動きは徐々に止まっていく。
「馬鹿な事言わないの!早く起きなきゃ、遅刻するよ?」
「出来ればそのまま休みてぇ…。」
ローキック。再び俺は悶絶した。
「は…遥…お前、兄に向かってローキックたぁ…やるようなったじゃねぇか…。」
「自業自得。」
朝っぱらから腹の激痛に悩まされる俺を軽く無視して、さっさと遥は台所へと向かった。どうやら、これ以上は引っ張れないらしい。俺は諦めるように大きな伸びをすると、布団の上に座った。
「あ。」
その時、台所から遥の声が聞こえた。
「どうした…?」
「お兄ちゃん、すごーい!前もってお味噌汁作っておくなんて!」
な、なんか異様に反応されたぞ?いくら料理をしない俺でも、さすがにそれくらいは出来るって。でも、どうやら遥は俺を見直しているらしいから、俺は調子に乗る事にした。
「おぉ。そうだろ、そうだろ!俺も少しは料理できる事を、お前に見せ付けておかなきゃならんからな。」
「見せ付けるメリットはあるの?」
「ある、ある。俺が飯を作れる事を知れば、お前がこうやって朝早くに、俺の家にやって来なくなると思ってな。」
そうすれば俺は、もう少し寝ていられるだろう。元々夜更かしが大好きな俺にとって、朝早く起きるのは辛いからだ。
「駄目だよ。料理出来てもお兄ちゃん、遅刻するじゃない。」
「えー?それはそれで、なんとかなるだろ。」
「私は、料理作る事よりも、こうやってなまくらお兄ちゃんを起こしに来る方が日課なんだもん。よって意味無し。」
奇をてらわない兄妹の会話で俺は、だんだん目が覚めてきた。さぁて、手っ取り早く着替えっか…。
「ヴ…!!」
その時、遥の鈍い声が聞こえてきた。
「どうした?」
「お兄ちゃん…このお味噌汁……おいしくないよ。ううん、違う。不味い。」
途切れ途切れに喋る遥の口調はまるで、映画でよく見られるような、腐敗したモンスターの死骸を見た時のものだった。自信作であった料理を貶され、俺は怒らずにはいられなかった。
「うわ、酷い言い方だな。もっとマシな言い方があるだろーが。遥、お前も料理をする一人間なんだから、労いの言葉をかけるってのが常識だろ。」
「それなら、お兄ちゃんが味見してみてよ。」
何で怒るんだよ、まったく。妹って、大抵口うるさいんだよな。周りの連中は『可愛い妹がいて幸せだな、コノヤロー』とか言っているけど、実際にゃそんな生易しいもんでもねーし。
「遥、お前な?腐っても俺の作った味噌汁だぞ?」
ふてくされながら俺は、のそのそと台所へ歩いていった。遥は俺の味噌汁の鍋を手に、ほとほと困り果てた顔をしていた。
「それじゃ、腐っているんだよぉ。」
「だから、もっと親切丁寧な言葉使え!」
文句ばかり言う遥に腹を立てながら、俺は味噌汁を一口すすってみた。『マズイ』と言えば俺の面子が無いので、無理してでも俺は『美味い』という事に決めた。
「…。」
「どう…?」
「味わえば味わう程マズイな…(汗)。」
自分に嘘はつけなかった。
「でしょ?」
「スマン、遥。どうすれば美味くなるか、考えてくれ!」
悔しいが、料理に関しては遥の方が数十段上だ。俺は土下座までして、頼み込むことにした。
「えぇ?!…お兄ちゃん、まさかこれを使うの?!」
そう叫ぶ遥の表情は、大きく歪んでいた。こんな毒に近いものを食べられるようにしろと言っているのだから、困惑するのも当たり前だ。俺は何度も土下座で頭を床にぶつけながら、遥に頼み込んだ。
「何とかこの味噌汁を食えるものにしてくれ!せっかく作ったんだから、無駄にしたくないんだ!」
「無理だよぉ!」
「頼む!」
「だってコレ、絶対変だもん!色とか、香りとか、あとかき混ぜようとしても、すっごくドロドロした感じで、お鍋ごと動くんだもん!大体お兄ちゃん、どうやってこんな物作ったの?お味噌汁の定義から外れているよ?まず色。何色?ねぇ、コレ何色?お味噌汁っていうのは、普通は白、或いは赤と、普通決まっているよね?例外としてうちでは透明なお味噌汁――澄まし汁だよね。お味噌汁じゃないけれど、普通はそういう色しているよね?それじゃお兄ちゃん、コレ何色?紫色でしょっ?何を入れたらこんな凄い色のお味噌汁が出来るの?ナス?ナスをペースト状にしたものでも入れたの?それとももしかして、着色料使った?色は百歩譲ったとしても、次に香り。元々お味噌は大豆で作られるのがほとんどだから、大豆の香りとか、お味噌独特の香りがするから、それでお味噌汁って言うよね?だったら、ねぇ、どうして?どうしてこんなに台所がスパイシーな香りで満たされているの?これは変だよ。だってこれじゃお兄ちゃん、お味噌汁って言わないもん。良くてカレー、悪くて腐っているって言われても、私でも全然否定できない……あ、そんなに落ち込まなくても良いの!うん、まだ食べられる可能性だって…あ、そっか。さっき味見したんだった。あぁぁ!そんなに気を落とさないでよぉ!ホラ!お兄ちゃんは頑張れば出来る人だから!日々精進していくタイプだから!…そうそう、大器晩成型って事。それそれ!……あ、違うの!違う、違うってば!今はちっとも出来ないって事が言いたかった訳じゃないの!ねぇ…ねぇってばぁ…!ゴメンなさい、謝るから!ねぇ、お兄ちゃん、ゴメンね、ゴメンなさい。謝るからぁ!私が少し言い過ぎたから、ゴメンなさい、だから元気出してよぉ〜……!!」


今朝の事は覚えていない。気が付けば、学校の正門に立っていた。今朝の献立は何だったのか、それすらも記憶に無い。ボケちまったか?

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