>>某女学院生B
「到着致しました、お嬢様。」
じいは懇切丁寧に、到着を知らせた。
「それぐらい分かるわ。私の目は節穴じゃないのよ。」
「何分、仕事ですので。『立場』と言うものがありますから。」
「…そうね。」
私の納得に安心したのか、じいは扉を開け、外へ出た。
「…じいったら…私が、車のドアすら開けられないとでも思っているのかしら?」
「『立場』と言うものがございますからね。」
そう声を掛けたのは、運転手の二階堂(にかいどう)だった。
「ハァ…。『専属』って言うのは、どうしてこう、頭の固い人たちばかりなのかしら?」
「それだけ『誇り』を持っておられますから。」
「ふぅん…。」
「1つ1つの行いや仕草、商品管理やアフターケアまで、隅々に渡って『誇り』を持って対応する…それが――」
「『それが我が葉隠グループの基本経営思想です』でしょう?」
「ようやく覚えてもらえましたか。」
二階堂は嬉しそうな声で、私に語りかけてくる。今まで私は、この言葉を覚えようとはしなかった。堅苦しさとでも言うのか、息苦しさとでも言うのか。せっかくのお客様対面主義が壊れてしまいそうな感じがする。
「耳にタコが出来るほど聞けば、誰だって覚えるわ。」
その時、車の扉が開いた。外にはじいが待っている。
「それではお嬢様、お気をつけて。」
「気をつけるわ。」
二階堂と不思議なあいさつを交わしてから、カバンを手に握り締め、外へと出る。
「お嬢様。」
「分かっているわよ。『正しい言葉遣いを』でしょう?」
「それでも治らないのなら、分かっていないのでしょうな。」
「…そうね。」
じいは少し冗談を交えたみたいだけど、実際にそうだと思った。堅苦しい言葉を使うと、段々自分に腹が立ってきてしまう。
「相変わらず、大企業のお嬢様にしては柔軟な思考をお持ちで、じい、まことに羨ましい限りでございます。」
「そうなりたいのなら、じい、まずは口調から変えて御覧なさい。少なくとも自分の中で、何かが変わるわ。」
少し意地悪な事を言いながら、目の前にそびえたつ校舎を、私は見つめていた。例えどれだけ否定しても、私が社長令嬢である事は否定できない。だからと言って、砕けた事をしたいとは考えない。でも、固い事はまずしたくない。それが私の基本思念。だから私は、なるべく庶民に近付きたいと思っている。これがグループの経営思想と同じ方向性だった事は、本当に偶然だけど。
「ところで、お嬢様。」
「何?」
「昨日の夕方、校門の前でお倒れになっていた方々は、もしかしたら侵入者だったのでしょうか?」
じいは不確かな確信を裏付けるように、私に尋ねてきた。そう言えば昨日、じいには何も言っていなかったわね。
「そうよ。茜さんに倒されて、あわや警察に突き出されそうになっていた人たちよ。」
「このじいには、どうしても納得いかない事があります。」
「何?」
尋ねても、じいは黙ったままだった。私は少しだけ腹を立てた。
「どうしたの?言いたい事があるのなら、早く言いなさい。」
そう言われるのを待っていたかは分からないけれど、それを聞いた瞬間、ようやくじいは口を開いた。
「どうしてお嬢様は、彼らを警察に突き出さなかったのでしょうか?」
「…あら、じいにはお見通しだと思っていたのに。意外ね。」
「今までの侵入者は、どちらかと言えば特定の人物を狙う方々でした。しかし今回は、全ての女学院生が狙われていたのですぞ?」
じいは困惑した顔で、私に理由を尋ねてくる。
「…あの人たちは、バカなのよ。」
「お嬢様。」
「別にいいでしょ?バカな人にバカと言っても。」
「しかし…。」
私の言葉遣いが気になるじいは置いておいて、私は言葉を続けた。
「ここ十数年も音沙汰の無かったスターライトから、3名のバカが出た。…これがどういう事か、分かるかしら?」
「…全くもって、分かりかねません。」
「『大物が登場した』て事よ。今まで小物しかいなかったから、侵入者の足取りが途絶えてしまったのよ。それを打ち破るバカは、大物以外の何者でも無いわ。」
「…そういう物なのでしょうか?」
じいには、今ひとつ納得のいかない説明だったみたい。首をかしげたまま、少しフリーズしてしまった。
「残念だけど、そういう事らしいわ。事実、あの理事長が警察行きを否定したのよ。」
「この学校の理事長が、ですか?」
「えぇ。非常にしっかりした人で有名な、あの理事長が。」
「それは、驚きですね。」
「分かったかしら?たとえ彼らが小物でも、彼らは解放される身だったのよ。」
話している間にも、いくつもの高級車が玄関前に列を作っていった。最も便利な玄関前でなければ車を降りない、財力を鼻にかけた生徒たちの車。ああいう人たち、私は嫌いだった。そんなに歩きたくないのなら、両足を売って車椅子生活すればいいじゃない。自分の体に申し訳ないと、思わないのかしら?
「尤も、私は彼らを大物と見ているわ。」
「…どう見ても、完敗でしたが?」
「そりゃそうよ、若いんだから。でもきっと、またやって来るわ。…フフフ、楽しみじゃない。『今度はどこから侵入するのかしら?』って考える生活なんて物も。」
私はクスクス笑った。その笑いは演技なんかではなく、ただ、純粋に楽しみだから出る笑いだった。
「皆にも分かるわ、この楽しさが。多分、私が第一発見者ね。」
「お嬢様は、変わった事を余興になされますね。」
「そういう楽しみを持つ人ほど、長生きするのよ。じいも何か楽しみを見つけなさい。」
「かしこまりました。」
じいは礼儀正しく、私に深く礼をした。
「それじゃ、じい、行ってくるわ。」
「お嬢様、お気をつけて。」
ちょっとした長話をした後、私はカバンを握り締めながら、校舎へと入っていった。
これが私の、いつも通りの朝。 |