>>水鏡
数学や英語という興味の無いものが続いたせいか、今日の授業も、あっという間に半分終わってしまった。もうお昼休みだ。
「さて、と。今日も屋上に行こうかな…。」
イスから立ち上がり、大きな伸びをしながら、カバンから弁当箱を取り出した。いつも僕や良君たちは屋上でお昼ご飯を食べているけれど、実を言うと屋上は、怖い先輩や威張り散らす不良などが集まるため、誰も好んで近付こうとはしない場所だ。僕のクラスは比較的おとなしい生徒が多く、しかもほとんどの生徒が教室で持参の弁当を食べている。このクラスにとって食堂へ行く生徒ですら、少し変わった生徒扱いだ。屋上へ行く生徒なんて僕ぐらいなものだ。まぁ、僕は意外と目立たないから、屋上では完全に無視されているけどね(汗)。
「おい、今日も屋上か、水鏡?」
「そうだよ。」
不意に、クラスメイトから話しかけられた。
「気をつけろよぉ〜。あそこは怖い奴らがいるからな。」
「大丈夫だって。良君やシンゴ君もいるんだから。」
「ハハハ、そうだよな。てか、あいつらが一番怖いんだけど…(汗)。」
クラスメイトと何気無い会話を交わしている時だった。突如スピーカーから呼び出し音が鳴り響いた。
『2年2組の流良君、火鳥晃平(こうへい)君、2年8組の海堂(かいどう)水鏡君。今すぐ生活指導室に来て下さい。もう一度繰り返します。2年2組の…。』
「おい、水鏡。お前ら何かやったのか?」
「ん…まぁ……。」
アレだ。アレに間違いない(汗)。
「うわぁ〜…生活指導室って事はよ、オニザワの説教かよぉ〜。」
「あ〜あ、俺知らねぇーぞー!」
オニザワとは高校の生活指導の先生のあだ名で、本名は吉沢恭平(よしざわきょうへい)という。由来は見ての通り、鬼の如き怒涛の説教をすることからだ。
「お前、本当に何したんだ?普段先生から怒られない、お前が呼ばれたんだぜ?」
「相当ヤヴァイ事したんだろ?!」
「ま、まぁ、とりあえず行ってみるよ。」
騒ぐクラスメイトをなだめながら、僕はそそくさと教室を出た。
「お、水鏡。」
「丁度いいタイミングに出てきたなぁ…。」
「…あ、良君とシンゴ君?」
本当に気持ち良いくらいのタイミングで、僕は彼らと出会った。やっぱりさっきの放送聞いていたんだ。それで僕を呼びに来てくれたんだ。
「一緒に飯食おーぜ!!」
僕は芸人に勝るとも劣らない程、きれいに滑った。
「おいおいおい、どうした?」
それを気にしない程、彼らは抜けてはいない。すかさずシンゴ君が食いついてきた。
「シンゴ君〜…さっきの放送聞いていなかったの?」
「放送?何の事だ?」
「それよりも水鏡、昼飯はどうしたんだ?」
何の事やら全く分かっていない2人に、僕は少し睨んだ。
「たった今僕たち、生活指導室に呼ばれたでしょ…。」
すると2人とも、何故か大きな声で、
「そんな放送など無い!!」
「あ!聞かなかった事にする気だ!!」
まさかその手を使うとは、想像していなかった。場合によっては放送に気付かなかったフリをして、このまま学校を逃げ出すかも知れない。
「シンゴ、そんな放送、お前は聞こえたか?」
「いいや、今日は何も放送が無いな。」
「とぼけても駄目だよ。」
「あ〜〜〜〜……。」σ(;_ _)
「あ〜〜〜〜……。」σ(;_ _)
「耳を塞いで声を出さない!」
そこまですると、さすがに打つ手が無くなったのだろう。2人は諦めたような顔をして、耳から手を離した。
「良、ダメだ。今日の水鏡は強固だ。」
「確かに。さすがに今日は『知らなかった』で押し通せそうに無いな。」
確かめ合うように頷く2人。本当にばっくれる気だったんだ。
「さ、2人とも。今から行くよ。」
「あ〜あ…。オニザワの説教聞かなきゃいけねぇのかよ…。」
「落ち着け、シンゴ。あいつの説教を好き好んで聞くやつなんて、この世にいない。」
ぶつぶつ文句は言うけれど、ようやく言う事を聞いてくれるようになった。僕ら3人は重い足取りで、生活指導室へと歩いていった。
「そもそも俺たちに、何の用なんだよ?」
「さぁ?俺には心当たりが無い。」
「あるでしょ、思いっきり(汗)。アレしか無いじゃない、アレしか。」
この状況になっても知らないふりを続ける良君に、僕はだんだん呆れてきた。どんなに僕が言っても、良君は何食わぬ顔で、
「いや、全く無いな…。」
と言うだけだった。
「良君…しらばっくれても無理だよ。」
「しらばっくれても、無駄だ!!」
カンカンに怒った吉沢先生が、生活指導室の机を殴った。
「(ひ〜〜〜…!!!)」
傍から見れば僕の顔は、この世の終わりを見据える人類のようなものであったに違いない。
「流!まさか昨日の出来事は、自分とは無関係と言いたいのか?あ?!」
「そう言われましても、昨日の出来事をよく知りませんので。」
魚のような目をして、良君はとぼけ続けていた。
「ほほぉ…昨日何があったか、何1つ知らないと?」
「知らないと言うより、よく分かりません。」
「(良君、まだ言い逃れようとしてるよ…。)」
無理だよ。だって僕ら全員、顔見られているんだよ?
「流…私はお前のその態度が気に食わん!何だ、その人を見下すような発言は!あぁ!?」
目の前には吉沢先生のほか、校長兼理事長もいる中で、良君大胆過ぎ!
「そういうつもりは、ありません。」
「それなら、どういうつもり――!」
「まぁまぁ、吉沢先生。そんなに怒っていては、寿命が12年縮まりますぞ。」
その時、窓の外を眺めていた校長兼理事長が、不意に口を開いた。そのセリフに1番驚いたのは、吉沢先生だった。
「じっ…じゅうにぃ…?」
「私をご覧なさい。こんなに怒りを我慢しておる。」
そう言う校長兼理事長の腕は、プルプル震えていた。
「いやいやいや(汗)。」
全員でツッコミを入れてしまった。
「フォッフォッフォ。冗談じゃ。」
「校長!冗談なんて言っている場合じゃありませんよ!!こいつらは女学院に不法侵入しているんですよ!?」
「フム…そういえば、そういう話じゃったな。」
校長は1人イスから立ち上がると、そのまま部屋をうろうろ歩きだした。考え事をしているようだ。恐らく、僕らの処遇について…。
「確かに、男子禁制の場である女学園に男子生徒が、しかも不法侵入した事については、非常にイケナイ事ではあるな。」
「そうでしょ!?」
もう目を真っ赤にして、先生は訴える。それよりも、この話の展開は…僕たち、本当にヤバイよ…。
「…じゃが。」
「…んん??」
全員の声がハモった。何でこのタイミングで、そんな言葉が出てきたんだろう?
「先生、この学校のモットーをお忘れかな?」
「モットー…ですか?」
「そうじゃ。」
「……。」
あ、先生が黙っちゃった。まぁ普段気に留めない事だし、急に言われても分からないよね。困っている吉沢先生に『ほーら、言わんこっちゃ無い』という顔で、良君とシンゴ君は見ていた。
「おい、お前ら!言ってみろ!」
困り果てた先生は、とうとう僕たちに向かって叫んだ。先生、逆ギレした?!
「あ!忘れてやがるぞ、こいつ!」
「コラ、火鳥!!先生を『こいつ』呼ばわりするな!!」
「でも、先生が聞かれたんだから…ねぇ?」
さすがにそれは駄目だと思ったので、僕はシンゴ君の味方についた。
「今の話の振り方のおかしさだけは、譲れないな。」
良君も今の話の流れには納得行かないらしく、やはり僕らの味方についた。
「譲れねぇな〜。」
「譲れないよね。」
「ぐぎぎぎ…。」
悔しそうに歯軋りする吉沢先生を見て、僕らは少し調子に乗ってみた。
「譲れないー。」
「譲れないー。」
「譲れないー。」
「譲れないー。」
「譲れないー。」
「譲れないー。」
「黙れ、誰のセリフか分からんだろうが!!!」
先生の渾身の罵声が、教室中に響き、反響し、そして揺るがした。
「吉沢先生…年寄りに今の大声は、少々堪えるわい…。」
「あぁ!校長、ゴメンなさい!」
その声の大きさは、当然僕らの耳にも被害を呼んだ。
「痛ってぇ〜…。」
「耳がジンジンするよ…。」
「くぅ〜…。」
僕らの耳にはお構い無しに、校長兼理事長の話は続けられた。
「この学校のモットーは『落ちこぼれにも星ほどの光を』じゃ。世の中にはびこっておる落ちこぼれに救いの手を差し出し、育てていく。これが、この学校の在り方じゃ。」
「それなら、尚更です!一刻も早く、こいつらの意識改革をするべく、早速反省文100枚――!!」
「コラ。」
「…は、はい?」
有り得ないタイミングで理事長は、先生の会話を制した。そして軽く咳払いを1つした後、校長は芯の通った声で、
「落ちこぼれはすぐには治らん!!」
と、言い切った(汗)。
「え、ええぇ!?で、ですが校長――!」
「今回はわしの判断で、こやつらの処分は無しとする。」
それはあまりに突然の出来事だったので、僕らはしばらく何も言えなかった。
「…え?今、何と?」
「聞こえないのなら、何度でも言おう。今回の事件についてはわしの権限で、彼らの処分は無しとする!」
「やった!!」
ん〜…何だか異常な展開を見せている気がするけれど、それでも処分が無いのは、とても嬉しい。僕らはハイタッチで喜びを分かち合った。もちろんそれを生活指導を担当する吉沢先生が許す筈が無かった。
「こ、校長!!」
先生は怒り浸透といった感じで、机を力一杯叩いた。
「フォッフォッフォ。良いではないか、青春真っ只中で。」
「直球ど真ん中過ぎですよ!!」
「…わしも若い頃は、お主たちと同じくらいやんちゃ坊主だったものじゃ。」
そう呟く理事長の視線は、どこか遠くの方に向けられていた。それに気付く僕とは裏腹に、シンゴ君は調子に乗った。
「おー、校長も若いですねー!」
「何を言っておる。お主たちに比べれば、わしはもうジジイ同然じゃ。」
「いやいや、十分若いですって!」
「コラ、お前ら!調子に乗りすぎだ!!」
吉沢先生のその声に良君、シンゴ君、そして理事長の3人は、急にテンションが落ちた。空気ぶち壊したって事?そんなバカな。
「吉沢先生…。」
「は、はい?」
ふぅ、と校長はため息をついて、
「空気を読んでもらえないかのぉ?」
本当に空気ぶち壊していた!!
「ぐぎぎぎぎ…!」
「ただし、話は最後まで聞く事じゃ。この処置自体にわしは何も問題は無いのじゃが…先方からの頼みでな、ここしばらくは女学院に近寄らないで欲しいとの事だそうだ。」
急に校長が、少し弱気な顔を見せた。良君は尋ねた。
「それは、どのぐらいの距離ですか?」
「距離については、半径1kmじゃ。」
「意外と広いですね。」
つまり、女学院の近くのお店には寄れないって事か。
「まぁ、日本屈指のお嬢様学校だしな。それくらいはするだろ。」
何とも楽観的な意見を言うシンゴ君だが、確かに今回はそうかも知れない。あの有名女学院の事だから、神経質になるのもよく分かる。そしてそれは、次の理事長の言葉で納得した。
「距離だけなら、まだ問題は無い。」
「はぁ?まだ注文あんのかよ。」
「シンゴ君、それはおこがましいにも程があるよ。」
「向こうからの依頼は『ほとぼりが冷めるまでの間、女学院から半径1km内にスターライト高校の生徒を近寄らせないように』というものじゃ。」
その『注文』に、僕らは驚いた。
「ぜ、全員!?」
「そうだ!!」
何故か吉沢先生が、横から話しに加わり出した。何故このタイミングで会話に入ってきたのか、その理由が誰にも分からなかった。ただ1つ言えるのは、こういう風に途中から茶々入れる人は、大抵嫌われやすいという事だ。
「……。」
その証拠に、良君とシンゴ君は、ちっとも聞く耳持っていなかった。…理事長まで(汗)。
「ぐぎぎぎぎ…!!」
「まぁ、生徒にはわしが直々に、適当にごまかして言っておくから、お主たちは知らないフリでもしておくのじゃぞ。」
「あの…。」
僕は校長先生に声を掛けた。
「何じゃ、何か言いたいのかね?」
「その…ありがとうございます。」
「ほぉ…。」
僕からの感謝の言葉に、理事長は少し笑顔を浮かべた。
「だって…こんな下らない生徒の、下らない事件に、ここまで迷惑かけちゃって…ねえ、良君?それに、シンゴ君?」
「確かに。」
「そういや、水鏡の言う通りかも知れねぇな。」
「フォッフォッフォ。まぁ、そう固くなるで無い。」
呑気な笑い声で、校長先生は語りかけてくる。その声はまるで、緊張する僕らを落ち着かせるようかのような口調だった。
「お主たちはな、若い頃のわしにそっくりなのじゃ。」
「理事長の若い頃?」
とても口では言えないけれど、今では想像出来ない。
「そうじゃ。わしも今では、この学校の理事長兼校長として働く身じゃが、以前は人を押し退けてでも上へと突き進む、歪んだ上昇志向の持ち主じゃった。」
そう語る理事長の表情は、どこか寂しげだった。嫌な想い出を大切にしまっているような、そんな雰囲気だった。それに対して何1つ茶々を入れる事無く、僕らは理事長の話に耳を傾けた。
「その事については今は反省しておるが、なかなかどうして、今の日本にはそういった輩も必要じゃて。そう思い立ってわしは、この学校を設立したのじゃ。」
「そこまで詳しい話、初めて聞きました。」
「フォッフォッフォ。まぁ、そうじゃろうな。わしも恐らく、初めて話すからのぉ。」
陽気に笑う理事長だったが、そこへ、
「校長先生。」
「ん?」
突然、吉沢先生が立ち上がった。
「私、仕事が残っておりまるので…。」
「そうか…話を聞かせる事が出来なくて、残念じゃ。まぁ、急ぎたまえ。」
「…失礼します。」
ていねいにお辞儀をした後、僕らを鋭く睨みつけ、そして出て行ってしまった。
「…何だ?」
そう呟く良君の言葉は、まるで僕の心を見透かしていたみたいで、思わず軽く恐怖を感じてしまう僕なのだった。 |