>>良
視界はやがて、赤色に変化していった。ゆっくりとグラデーションをかけながらゆっくりと画面は動き、そして赤に近いオレンジになった時、同時に俺の目が開いた。
「…お、ようやく気が付いたか。」
「…良君、大丈夫?」
俺の目に、眩しい夕陽が差し込んでいた。それでも目を閉じる気力も無く、目をうっすらと閉じた。どこからか、声が聞こえてきたが、それが誰なのか、考えるのは億劫だった。
「痛てて…。」
体中が痛い。無理矢理動かそうとしたが、鋭い痛みがそれを拒んだ。
「あ、あ、動かない方がいいよ。」
「俺たちも動けねぇでいるんだ。」
その時俺はようやく、声の主がシンゴと水鏡である事が分かった。何がおもしろいのか、シンゴは笑っていた。それにしても、この全身を襲う痛み…くそ…あの女、あの後何度も殴ったに違いない。痛みに苦しめば苦しむほど、俺の頭はどんどん冷静さを取り戻していった。今俺が知らなければならないのは、それでは無い。
「おい水鏡、ここはどこだ?」
力なく尋ねる俺に水鏡は、力なく答えた。
「女学院の校門前だよ。」
「俺はてっきり、少年院にでも放り込まれたと思ったぜ。」
そう呟いた後、シンゴは笑った。よく聞くとその笑いは、自分に対する嘲笑に感じられた。その時、どこからともなく静かな笑い声が聞こえてきた。あまり動かない首を動かして、俺は周りを見てみる。
「…女学生か…。」
それは紛れも無く、帰宅途中の女学院生だった。こちらを見ながら、クスクスと笑い、帰っていく。その時俺は、自分の立場が理解出来た。
「…なるほど、見世物って事か…。」
「女にモテるために来て女に笑われるなんて…ザマぁ無ぇよな…。」
「何だか、哀しいね。」
もう夕陽はかなり沈み始めていた。逆光のせいで女学院生の顔は見えないが、恐らく向こうからは丸見えなんだろう。これも計算済みなのか?
「なぁ、水鏡…今日は夕陽がきれいだな。」
「本当だな、水鏡(笑)。」
別にそれを言いたかった訳でも無いのに、俺たちはそう呟いた。
「やっと分かってくれた(感涙)?」
何だか夕陽が目に染みてきた。くそ…こんなハズじゃ無かったのに…一体どうして、こうなったのだ?でも、考えたくなかった。そう考えると、何だかだるくなってきた。体中の力を抜いて、俺たちは横たわっていた。
「このままで良いとか思っているの?」
その時、どこからか声がした。だが、さっきのマネキンの女の声では無い。女性と呼ぶにはまだ若い…少女の声だ。
「まさか、そんなはずは無いわよね?こうやってバカまるだしで、うちの学校にやって来たんだから。」
「ケッ…うるせぇな。黙ってろ。」
うつ伏せに横たわるシンゴが、力なく抵抗する。
「私は、あんたみたいなつんつん頭には喋っていないわ。」
「つ、つんつん…(怒)。」
シンゴが怒った。でも力が入らないため、もどかしそうに体を揺らすだけだ。
「あなたに言っているのよ、あなた。」
そう言って少女は、顔を俺へ向けた。
「…俺か?」
「そう、あなた。」
俺へのご指名だ。生意気な女だ、と思った。顔を見てやろうと思ったが、夕陽の逆光で何一つ見えない。影から、ロングヘアーの少女である事は分かった。あと、少し生意気な喋り方をするという事も。
「別にバカが悪いとは言ってないでしょ。世の中、利口さとバカさの2つが無いと、やっていけないものよ。」
「どうせおめぇは利口なんだろが。」
「黙りなさい、つんつん頭。」
ケンカが起こりそうな空気にしているのは、喧嘩っ早いシンゴのせいか?それともこの少女のせいか?でも、俺はそこで思考を止めた。もはや俺は、何かを考える事にさえやる気を無くしていた。
「せっかく素敵なバカを持っているのに、勿体無いわ。」
少女は尚も俺に絡んでくるが、俺は返事をする気力も無い。ただ、体中の力を抜くだけだった。
「あら、何かしゃべらないの?」
「こいつは人見知りしがちなんだよ、口悪女。」
「黙れ、つんつん頭」
俺と少女の声が、重なった。
「やめてよ、3人とも。余計笑われているよ(泣)。」
それを見て笑う女学生の視線が気になる水鏡の声は、頼りないにも程があった。
「ま、覚えておくわ。」
「?」
何をだ?と聞くのは止めておこう。話がこんがらがりそうだ。
「もっと利口になりなさい。そして、もっとバカになりなさい。それがあなたたちに必要なものよ。」
「…矛盾しているな。」
「さっき言ったわ。利口さとバカさは一心同体なの。覚えておきなさい。」
「ねぇ、良君。僕たち、諭されているの?」
不意に、水鏡が俺に喋りかけてきた。俺は無視していたが、代わりに少女が答えた。
「えぇ、そうよ。よく気付いたわね。」
「まぁ…この中で一番の頭脳担当ですから。」
逆光でよく見えないが、少女は水鏡を見ているらしい。そして、
「そうだったの。私、あなたはツッコミ担当だと思っていたわ。」
「!!」
声にならない悲鳴をあげて、水鏡はだらりと腕の力を抜いてしまった。ツッコミ呼ばわりされた水鏡は、ショックでしばらく喋らなくなった。
「あ〜あ…ひでぇ事言いやがって…。」
「まぁ待て、シンゴ。本当の事だ。」
「クスクス…あなたたちって、面白いのね…。」
この女…よくこの状況で笑っていられるものだな。シンゴもそれが気に食わないらしかった。
「ふん!笑いたきゃ、笑えばいいだろ!どうせ俺たちゃ、天下の笑われ者ですよーだ!!」
「えぇ、本当にそう。クスクス…。」
「……。」
「シンゴ、怒る気力が無くなってきたな?」
「…ぁぁ…。」
これでシンゴも、しばらく喋らないだろう。
「良かった。それじゃ、ようやくあなたと話せるわね。」
満足そうに喋ると、少女は俺に顔を向けた。あくまでもこの女は、俺と話がしたいらしい。余程の物好きと見た。となると、こいつの正体でも探ってみた方が良いだろう。それも面白そうだし。
「…お前、誰だ?」
「相手の名前を尋ねる時は、まず自分から名乗る事。そう教わらなかったの?」
「…流。」
「下の名前は?」
下まで言うのは気が引けたが、ここで引いても何も変わらないだろう。俺はありのままに答えた。
「…良…。」
「流良……良い名前なのね。」
「覚える必要があるのか?」
「知っておくに越した事は無いハズよ?」
そう言って口元で笑う少女に、俺は少し腹を立てた。
「…どうにでもしろ。」
「それはいけないわ。自分の存在と名前は、ご両親から授かった絶対的なものよ?大切にしなくちゃ。」
「…フン。」
いちいちうるさい奴だ。こんなやつの説明に『少女』なんて言葉を使った俺が悲しくなる。
「でも、通り名に惑わされないのは賢いわね。私は『鬼神』も格好良いと思うけれど。」
「…学校中で有名なのか?」
それを聞いて少女は、鼻で笑う。態度が腹立つ。
「まさか。一不良グループを叩きのめした一不良少年の名前を覚えようとするプライド高いお嬢様が、どこにいると言うのかしら?」
「…お前。」
「私はさっき茜さんから聞いたの。それまでは知らなかったわ。」
…茜って誰だ?いきなり人の名前を出すやつほど信用ならない、と俺は思う。『俺は知らねぇよ』て気分になる。
「茜さんは、さっきあなたをコテンパンにした女性よ。覚えているでしょ?」
「…あいつか…。」
「どう?人の名前は覚えておくに越したことないでしょ?」
「だな。」
返事を返したのに、何故か女は喋らなくなった。もう話のネタが切れたのだろう。俺にしてみれば好都合だ。こんな腹の立つ奴が近くにいたら、ただでさえ無い気力が底をついてしまうというものだ。
「気が済んだら帰れ。」
「当たり前よ。」
刹那、少女の目の前に黒い車が1台、止まった。
「只今到着いたしました、お嬢様。」
そう喋る声は、かなり老けていた。
「あら、今日は少し遅いのね。」
「は。この時期になると徐々に戦闘の激しさが増します故、道の閉鎖が行われたり致しますから。」
「それくらい知っているわ。」
姿は全く判別出来ないが、2人の会話だけは聞き取れた。ちなみに、ここで言う『戦闘』とはB−1の事を指している。
「それで、いかがなさいましょう?」
「今日は乗っていくわ。丁度良い時間だったわ。」
「それでは…。」
執事だろうか?白ヒゲの老人がやって来て、リムジンだかベンツだか分からないが高そうな車の扉を開ける。
「そちらの方は…?」
やはり、俺たちに気付いたらしい。尤も、その老人の顔すら逆光で見えないが。
「学校に侵入してきたおバカさんよ。」
「…ぅるせーょ…。」
力の無い、シンゴの抵抗。止めろ。まるで俺たちそのものだろうが。
「…。」
「さぁ、お嬢様、お乗りくださいませ。」
老人に扉を開けてもらっても、女は車の中へ入ろうとはしなかった。何があったのかと思った瞬間、
「…こと…。」
「…ん?」
「何でもないわ。」
体は扉に隠れて見えないが、顔だけはしっかりとこちらを向いていた。逆光だけど。
「…待て…。」
「何かしら?」
「俺の質問に答えろよ。お前は誰だ?」
「…。」
しばらく考え込んだあげく、老人の方を見る。顔で話し合っているようだ。今こそそれが有効な手段である事は、そうそう無い。
「残念だけど…教えられないわ。」
「……チッ。もつれにもつれた話の結果がこのザマかよ…。」
「……。」
女が何を考えているのか、俺には全く分からない。だからこそ、何か喋ってもらいたいのだ。
「おい…何か答えろよ…。」
「お嬢様、どうぞ…。」
「おい、何とか言ってみろよ、なぁ!?」
「……。」
何も答えやがらない。ったく!お嬢様ってのは、どいつもこいつもこんな感じなのか?そうだとしたら、そうとう今の日本も汚れちまっているんだろうな。そう少女を見下しておきながら、それでも俺は、少女の答えを待っていた。
「……ごめん…なさい……。」
さっきまでとはまるで違う、か細い声でそれだけ呟き、そして車に乗り込んでしまった。老人は扉を丁寧に閉め、そして車の左側から乗り込んだ。
「…え…?」
そう呟いた瞬間、疲れ切った俺の体には少々堪える音と共に、少女を乗せた車はそのまま走り去ってしまった。そして校門の前に残されたのは、俺たち3人と、真っ赤に染まった空しい空気だった。
「…あの女…。」
急にシンゴが喋り出した。
「最後の最後まで腹の立つ奴だったな。」
「…。」
「結局、女学院侵入作戦、どうすんだ?」
シンゴの質問に、俺は少女の言葉を思い出した。
「『もっと利口に、もっとバカに』…か…。」
「けっ!その言葉がバカだっつーの…なぁ、良?」
「まぁ…。」
『バカと利口は紙一重』て事が言いたかったのだろうか。バカな奴と思っていたが、実際には賢い奴なのかも知れない。ちゃんと物事を理解している。
「…ったく…周りの視線がまだ痛ぇや…。」
でも…自分から理解してもらおうとは思っていないらしい。そうでもなけりゃ、バカと利口の同一性を訴えておいて、それで自分の事を理解してもらおうなんていう回りくどい事、人はしないからな…。
「おい、良、聞いているのか?」
そっか。あの少女と俺の、微妙な人付き合いの悪さ、似ているかもな…。
「…作戦は、続行する…。」
「……。」
シンゴから、何も反応は無かった。それでも俺は言葉を付け足した。
「このまま引き下がれば、それこそ笑われ者だ。」
「…。」
俺は今よりも昔、もう数年も前の昔をいくつか思い出した。
「笑われ者になる覚悟くらい、今まで何度もあった…。」
「そういやそうだったな。」
「敗者になり続ければ、それ自体が勝者にもなるかも知れない。」
「それは極論だろ。しかし…。」
ふぅ、とシンゴは柄にも無くため息をついた。そして、
「『俺は昔、女学院の前で笑われ者にもなった』なんて話を笑って話せるようには、なっておきてぇな…。」
「…お前らしいな…。」
「カッカッカ…。」
シンゴの力の無い笑い声は、今度はとてもシンゴらしく感じた。
「水鏡、それで良いな?」
「……。」
「おい、水鏡?」
「……。」
ツッコミ担当が響いているのか?
「『了解』…だな。」
「そうしとけ。」
また夕陽だ。以前もそうだった。いつも何かを決心する時、それはいつも夕陽を見ながらだ。理由はよく分からない。でも夕陽には、人の決心を固めるような力があるように思えてならない。その事に水鏡は、気付いていたのかも知れない。
「…何だ…夕陽も良いもんだな……。」
「止めとけ。夕陽は水鏡のアイデンティティーだしな。」
冗談を言うものの、今日は充実した1日だった。負けてスッキリした事なんか、初めてかも知れない。今日は節目だ。俺は今まで、すっかりだらけてしまっていたのだろう。今日の敗北と、少女との出会いで、俺は決心した。人間、もっと芯のある生き方が必要だ。
だからと言うとおかしいが
俺は絶対に侵入作戦を成功させてやる
目的が不純だと言われようが
これが今の俺そのものだから |