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せっかく女学院に忍び込めたんだ、どうせなら女の子に学校を案内してもらおう。俺は新しい事を覚えたいとは思わないが、それならこの俺でも楽しく覚える事が出来そうだ。そこまで想像を働かせた、その時だ。
「ひゃあぁ…!」
突然、学園のどこかから悲鳴が聞こえた。俺はどこかで聞いた事のある声に、思考をフル回転させた。
「今の…まさか、シンゴの声か?」
そう、先程の情け無い悲鳴の主は、他ならぬシンゴであった。
「早!」
哀れ、シンゴ。俺たちはお前の事を忘れはしない。お前には気の毒かも知れないが、代わりに俺たちが、お前の分まで彼女を作っておく。俺たちはお前の分まで幸せになる。とりあえず俺は走りながら、合掌した。
「わぁぁ…!」
「…今度は水鏡だと?」
何だよ、水鏡まで捕まったのか?それだと3人分の幸せを、俺1人が引き受けなくちゃならないな。モテる男は忙しいと言うが、この事か。悠長にそんな事を考えていたが、ふと気になる事を発見し、足を止めた。
「それにしても、二人が捕まる時間差が短いのが、気になるな…。まさか、ここにも警備の魔の手が潜んでいたのか?」
「いいえ、ここには私1人しかいないわ。」
まただ。どこからともなく声がする。足を止めて、急いで辺りを見回す。
「他の人がいたら私、警備に集中出来ない癖がありまして。」
周囲を見渡しても、人の気配がしない。
「どこだ…どこから声がする?」
「あなたのお友達も、大した事はありませんね。」
「…何?」
「2人とも、何かを媒介にしなくてはならない心獣の持ち主なのでしょう。私のものと違って、いつでも発動出来ませんからね。」
何だ…?声が四方八方から聞こえてくる。落ち着け。ひとまず落ち着こう。動揺していたら、見えるものも見えてこないからな。
「まぁ…な。その事分かっている癖にあいつら、何も持たないからな。お前に捕まったのも、あいつらの責任だ。俺がとやかく言う問題でも無い。」
「あら…意外と冷静なのですね。」
声の主は俺の態度に驚いたらしいが、それで動揺したとはとても考えられない。俺はあくまでも冷静さを追及した。
「『自分の責任は、自分で取れ』…ただそれだけだ。」
「それなら、こうやって学園内に無断侵入している責任も、あなたはしっかり取ってくれるのですね?」
シンゴは置いといて、あの水鏡を上回ったとなると…この女、厄介な相手だ。俺よりも上の力を持っているかも知れない。それが面白い。
「…どんな犯罪者にも、面倒な事から逃げる欲求はあるだろ?」
間違ってはいないが、少しだけ嘘。この女と手合わせ願いたい、そう思っていた。俺は強い人には興味があるからな。
「…分かりました。それでは力ずくでいきます。」
「来な!」
しかし、どうだ?ここしばらく心獣を使っていない。軽くブランクがあるかも知れない。でも、俺は普段から体を鍛えている。特に俺の心獣は、俺の体をフルに使う。まぁ、何とかなる事を願うか…。
「『フリー・ユア・ソウル』」
俺はそう呟く。すると俺の右拳、右肘にチクッとした痛みが生じ、同時に力が漲ってくる。俺の戦闘時の基本姿勢だ。
「あら…?」
俺のこの格好を見たのか、未だ姿を見せないその女は、何か物言いたげな声を出した。
「あなたね、この付近にたむろっていた不良をタコ殴りにした少年は?」
「…知っているのか?」
「えぇ。その不良達には、鬼の如き戦闘をするため、『鬼神』という通り名で恐れられているのよね?」
「そうらしいな。だが、俺には関係無い話だ。」
本当に、俺には関係無い話だ。俺の名前は良だ。どうして他人に鬼などと名前をつけられなければならない?この価値観が女には分からなかったのか、口調が少しだけ変わった。
「一応つけてもらった通り名なんだから、少しは関係あるでしょ?」
「俺はケンカを売られたから買った、そして勝った、それだけだ。それに俺は正真正銘の人の子だからな。」
「…そういうものかしら?」
「俺はな。」
一通り喋って、納得したのかしないのか、よく分からない感じで、女はこう一言付け足した。
「とりあえず、手加減はしませんから。」
「とりあえず、かかって来い。」
どちらから合図するまでも無く、戦闘が開始された。俺はこの場所から動く事は出来ない。相手の場所や戦法が一切不明である以上、相手の出方を見るしか無い。とりあえず、カウンターで当て身でもするか。
「軋め!『チョコレート・ファクトリー』!」
聞いたことの無い名だ。恐らく初耳だ。その叫び声が聞こえた瞬間、俺は周囲――特に背後を見渡す。近くの木の陰から猛スピードで髪の長い女性が、こちらに向かってくるのが見えた。服装は制服、でも学生の服という印象を受けない。
「(…。なるほど、警備隊の正装だな。)」
俺は気付かないフリをして、女がやってくるタイミングを計る。案の定、女は一気に間合いを詰め、その拳を大きく突き出してきた。
「遅い。」
確かに凄いスピードだが、俺の間合いでは意味を成さない。女の拳の軌道を見切り、少し体をかがめる。全力を集結させたその拳は、俺の背中で空しく空振りした。すかさず女に一番近い右肘で、その鳩尾を突いた。たった一撃だが、鈍い音が辺りに響く。どうやら俺の肘は、1ミリの狂いも無く命中したようだ。女の体勢は空中で、あっという間に崩れた。「この程度のスピード、俺が見逃すとでも思っていたのか!?」
宙を舞う女の真下に詰め寄り、再び鳩尾、さらにアゴと首目掛けて若干軽めにパンチを入れた。急所に近い部分ばかりだから、心獣など使うまでも無い。俺からの追撃を受けた女は風に吹かれる木の葉のように、力なく地面に横たえた。
「ふぅ…。」
久し振りの戦闘による緊張に、俺は思わずため息をつく。拳のこの痛み、ここしばらく忘れていた。久し振りの感触に、俺は自分の鍛錬に改めて感心した。
「ま…この程度なら一安心か。明日から鍛え直しておいた方が良いな。」
俺はそう呟きながら、視界の端で先程の女の姿を見た。女はピクリとも動かず、芝生の上に横たわるのみであった。
「…おや、何だ?あっさり負けたな…?」
どうしてだ?あれだけ俺に近付いてくるという事は、接近戦が取り柄な筈だ。俺にパワー負けしたと言うのか?そんな事よりも、その女におもしろいほど動きが無くなってしまった事の方が心配だった。
「…あの…もしもし…?」
少し躊躇いながらも、女の頭を叩いた。彼女から一切の反応は無く、…まさか?!
「やば!?」
まさか、今の衝撃で気を失ったのか?こうなるともう、敵や味方など関係無い。とにかく蘇生させなければならない。気道の確保、体の安定、脈の有無を調べるためにも、俺はうつ伏せに横たえる女を、慌てて仰向けにさせる。刹那、今度は俺の体の動きが失われた。
「…な…?!」
触った感触や肌の色合いは、間違いなく人間のものだ。それなのにその体が…俺の殴った部位が、まるでマネキン人形を壊したかのようにえぐれ、しかも中身は茶一色の物体だった。たとえ人間を茶色の染色液に染め上げても、決して出す事の出来ない色合いだ。
「何だ、こりゃ…?!」
急いで破片を探してみる。この謎を解決させる欠片は、すぐそばに落ちているはずだ。
「あ、あったぞ!」
手に取ってみると、さらに驚いた。その破片を触ればそれは間違いなく、マネキンの破片そのものと言える物だったからだ。ただ1つ違うとすれば、それが胴体部分と同じ茶一色の素材である事だ。そして俺が握っているこの物体はどう考えても、えぐれた人間の喉仏の破片だった。
「これは…!?」
さらに不思議な事に、その女の目、戦闘中は全く気が付かなかったが、目の瞳孔から時計の針と同等のものが、ゆっくりと回っている。片目それぞれに長針が1本、2つ合わせて2本の長針だ。そこまで観察し終えた時、俺の脳裏に浮かんだものは、ただ1つの真実だった。
「これは人間じゃない…心獣能力だ!」
俺の叫びと同時に、首への衝撃と鈍い音が脳内に響き渡った。世界は見事な白一色に染まり、俺は一気に気を失ってしまった。

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