>>良
あまりに激しい運動が連続したためか、俺は肩で息をしていた。普段から体を動かしているのに、まだまだだな。
「あ、良君!?」
水鏡の元まで全速力を続けていた俺は、その場でへたり込んでしまった。息が苦しい。俺の横で心配そうに見てくる水鏡をよそに、俺は息を整える事に専念した。作戦が中止になった上に警備員に見つかった以上、ここを離れた方が無難だ。事態を把握し切れていない水鏡は、俺に色々と質問をしてきた。
「だ、大丈夫?何だか学校中が騒がしいけど…。」
「だ…大丈夫だ。」
「絶対大丈夫じゃ無いよね。」
そう呟く水鏡の目つきは、それはもう冷たかった。喋られる程度にまで落ち着いた俺は、ようやくまともに口を開けるようになった。
「おかしい。」
「何が?」
「俺、毎日トレーニングしているのに…。」
やはりそれが気になった。
「実戦だからかな?方向性は邪だけど。」
まだ呼吸が乱れている。もう少し落ち着かなければ…。
「あ!それで良君、シンゴ君は?!」
「あぁ、シンゴ?」
「うん。」
「…水鏡。」
「何?」
俺は精一杯笑顔を作ると、
「これは戦争だ。」
そして倒れる
「ちょっと、良君――!!!」
暇も無く、すぐ水鏡に叩き起こされた。
「だから、シンゴ君はどうしたのって聞いているの!起きて、起きて!」
「わ、分かった。分かったから、あまり揺さぶるな…!」
何だか、一度に色んな事が起こり過ぎて、息も心も苦しい。俺はひとまず地べたに座り直し、それを水鏡にもさせた。
「それなら、報告しよう。シンゴは校内に侵入、そして警備員に追いかけられている。」
「うわぁー!もう早速見つかっているよ!」
「全くだ。普通警備員がいるとか、考えないのか、あいつは?…何だ、水鏡?何か言いたそうな顔だな?」
ジト目で睨む水鏡に俺が文句をつけると水鏡は、
「いや、もういいよ。」
と呟くだけだった。深く追求しておきたかったが、今はここから離れる事が優先だ。
「さて、疲れも取れてきた所で…。」
ゆっくりと立ち上がり、ズボンについた土を払い落とそうとするが、なかなか取れない。この間降った雨のせいかも知れない、帰ったらすぐ洗濯に出しておこう。
「帰るぞ、水鏡。」
「…え!?」
「今日は退散だ。」
「シンゴ君はどうするのさ!!?」
そう叫ぶ水鏡が指差す方向には、俺たちが目的地としていた女学院が、堂々とした存在感を放っていた。
「ん?まぁ、あいつは何とかなるだろ。」
「ちょっと、それはいい加減過ぎるよ!」
「まともな人生は、俺の性分に合わないからな。」
のらりくらりと水鏡の意見を受け流しつつ、俺は帰路につき始めた。水鏡も慌てて俺についてくる。要は、俺がシンゴの話題に触れたくないだけだ。
「はぁ…いい加減な人生を送っている人でも、もう少ししっかりしていると思うんだけどな。」
そう嘆く水鏡の口調は、どこか悪口めいていた。
「そういう人は皆、まともな人生を送っているからな。そう何度もため息をつくな。」
「そうだよね。そう言えば良君は、いつもこんな感じだったね。高2になって少しは変わったかなぁ…て思ってたけど。」
「人間、そう簡単に変わらない。」
「変わって、お願い。」
楽しく会話を楽しんでいるうちに俺たちは、スターライト高校の校門まで着いてしまった。校舎に取り付けられた時計は、すでに4時半を指していた。
「4時半だって。」
水鏡が呟いた。
「早いな。さっき図書室にいただろ、俺たち。」
「そりゃそうだよ。突入してから退散まで、ものの数分だったんだから。」
「何?!そんなにあっさり?!」
いくら失敗と言っても、少しは健闘しているだろうと楽観視していた俺にとって、この事実はかなりの衝撃だった。
「そうだよ、あっさり終わったよ。」
「はぁ…。」
今度は俺がため息をつく番だ。
「まぁ、そんなに肩を落とさないで、ね?ホラ、今日は調子が悪かっただけだと思うし、また次を狙えば良いじゃない、ね?」
俺の肩を叩きながら、俺を励ます水鏡。この計画を一番反対していたはずなのに、良い奴だな。
「まぁ、な…。」
「ホラホラ、しっかり立って…ん?」
「どうした?」
水鏡は急に動きを止めたかと思うと、すぐさま大きな声で叫びだした。
「…て、まだ侵入する気なの?!」
「くそ、気付いたか…。」
チッ。惜しかった。でも、これで俺の覚悟の強さは分かってくれただろう。
「まぁ、今度もヨロシクな、水鏡!」
今度は俺が肩を叩いた。
「はぁ…。何だか良君、前とイメージ変わっていない?」
「そうか?俺は俺だ。他の何者でも無い。」
そう、例え誰かに文句を言われようとも、俺は自分を変えるつもりは無い。
「確かに、変な事にだけ異様にやる気を見せるところは、ちっとも変わっていないね。」
「そうか?」
とりあえず、俺たちの溜まり場、屋上にでも行くか。そう思い立ち、俺は足をすすめた。もちろん水鏡は俺についてくるので、何も問題無い。
「そうだよ。あれは小学校3年生の時…。」
「何かやらかしたっけか、俺?」
「したよ、すごく。給食のご飯1クラス分使って、どれだけ早い時間でチャーハンが作れるか、実験したよね?」
水鏡の話を聞いているうちに、俺の脳裏には、チャーハンを炒める幼い頃の自分の姿が映し出された。上空を覆う黒い煙にまみれながらの作業を思い出しながら、俺は水鏡の話を聞き続けた。
「…確かに、したかも知れないな。」
「『かも』じゃなくて、したの!しかも僕とシンゴ君も共犯にして、勝手にご飯持ち出したんだよ!」
何とか煙に巻こうかと思っていたが、どうやら無駄な足掻きのようだ。俺は諦めて事実を受け入れる事にした。
「ちゃんと自分たちのクラスじゃないやつを持ち出したのは、賢いだろ?」
理由は、俺のエゴで自分のクラスメイトが空腹に苦しむ姿だけは見たくなかったからだ。尤も、他のクラスの生徒の事は知ったこっちゃ無かったが。そんな俺の優しさを聞いた途端、水鏡は大きなため息をついた。
「僕らのクラスだろうが、他のクラスだろうが、どっちにしても犯罪だよ。それは逃れられない事実だからね。」
「それじゃ、何罪だ?」
『罪にならなければ何をしても良い』という発想の元に、俺は水鏡に質問を投げかけた。俺の話を聞けば分かるとおり、俺はあの事件に対して何の罪の意識は持ち合わせていない。しばらく考え込んでいた水鏡が出した結論は、
「…公共物を盗んだ、とかいう罪じゃないかな?」
だった。
「給食と掃除道具が同じ扱い…か。」
「はい、良君、開き直らない。」
そんな会話の最中、頭の片隅で考えていた。もうすでに放課後だからだろうが、校内が昼間の時には想像も出来ないような静けさだ。こういうある筈の物が無い静けさっていうものが、俺は実はちょっと怖い。その怖さを紛らわすように、俺はとめどなく喋り続けた。
「それで、結局どうなったんだっけ、その続きは?」
「良君がプラスチックの容器に入れたまま炒めだしたもんだから、どす黒い、すんごく臭い煙が出てきて、僕らは慌てちゃって…ご飯はダメになるし、火の始末は悪いし、ご飯持ち出した事怒られるし、良君は無罪を訴え出すし…。」
「…改めて考えてみると、お前には悪い事したな。大丈夫だったか?疑われただろ?」
「大丈夫、シンゴ君が真っ先に疑われていたから。」
「そうか。なら良いや。」
シンゴなんか、怒られよーが怒られまいが、どうでも良い。
「しかも良君、自分が校長先生に最後に何て言ったか、覚えている?」
「『料理はコックに任せるべきだ!!』だしな。」
「先生に散々怒られたよね、あの時は。『3年生にもなって、物事の善悪すら分からないのか!!』…て。」
「プッ!ダメだな、あの校長(笑)。」
「いや、校長はダメじゃないよ(汗)!」
あのハゲ頭の校長には、俺の知的好奇心が理解出来なかったのだ。俺は現在の日本の教育制度に憤慨するべきなのかも知れない。
「もっと子供の好奇心を大切にしろ、って感じだな。」
「このタイミングで子供の好奇心の大切さは…卑怯じゃない?」
「でもそのおかげで、俺特製のチャーハンが食えたんだ。得しただろ?」
笑顔でそう言う俺に対し、水鏡はもはや言い返さなかった。恐らくあの時の真っ黒チャーハンの味を思い出し、背筋に寒気が走っている最中なのだろう。仕方の無い話だ。あの味は俺ですら忘れられないトラウマだから。
「…まぁ、あれは最悪だったな。…よし、到着だ。」
校内の最後の扉を開くとそこは、馴染みの屋上だった。こんな時間に誰もやって来ないとは思ったが俺は、念のためさっさといつもの場所を陣取り、そして座り込んだ。俺の隣には水鏡が、やはりいつもの場所に座った。
「ふぅ…何だかどっと疲れたな…。」
「僕もだよ。良君、むちゃくちゃ過ぎるんだから。」
「そうだ!!」
突然屋上に響いた叫び声の主は、他の誰でも無い、シンゴだった。見るからにボロボロの格好で、正直みじめだ。
「おい、良!どうして逃げんだよ?!」
怒り浸透でやって来るシンゴの姿を見て、それ相当の理由が必要である事を悟った俺は、最も適切な理由を簡潔に述べる事にした。
「警備員がやって来ていたからな。」
「なるほど。」
お前、馬鹿だろ。
「シンゴ君、そこで納得しちゃダメだよ。」
シンゴもいつもの場所に腰を下ろした。『これで3バカ結集だな?』と水鏡に目で語りかけた。すると水鏡も同じく眉毛で反応した。それが合図だった。俺はその場で座りなおし、少しだけ声のトーンを落とした。
「よし、それでは反省会を始めるか。」
「はーい!!はい、はい、はーい!!!」
瞬間シンゴは両手を挙げ、耳障りな叫び声をあげた。
「シンゴ、うるさい。」
「うるさくない!てか一言言わせろ!俺は今、お前に言いたい事があるんだからな!」
どんなに言われようとも、俺は自分を変えるつもりは無い。もちろんシンゴの意見は無視の方向を取った。
「水鏡、何か言いたい事はあるか?」
「おい、良、無視すんな!!」
フェンスに拳をぶつけようとも、俺はシンゴを視界に入れないよう努めた。その姿を気の毒に見たらしく水鏡は、弱々しくも俺にこう切り出してきた。
「良君、シンゴ君に悪いから、シンゴ君から先に言わせてあげて。」
…むう、水鏡に言われたら、仕方が無い。俺は聞こえるように舌打ちした。
「それじゃまずはシンゴから。」
その目に何かしらの怒りを込めたシンゴは、あちこち泥まみれの服のボタンを締めなおしながら、一言、
「無茶だろ。」
と言い放った。 |