>>The Voice Of Energy
星観町と月島町をつなぐ橋、月島橋。朝日を受けて輝く欄干の上に、1人の男が立っている。
真っ黒なフード付きコートに、真っ黒なズボン。フードの中に隠された顔には、カラスの嘴を模したマスクが、キラリと輝いていた。
……皆は、この男を覚えているだろうか?
「いたぜ。あんなに似ている奴は、そうそういないだろうしな」
手にした紙には、1人の少女の絵が描かれている。年になおせば幼稚園程度だが、それは随分前のもので、現在は15歳だ。彼が見つけたのは、その差を考慮しても非常に似ている、1人の少女である。
「星観町に何度も訪れながら、しかし住所は月島町――こいつは盲点だったぜ。地域を特定していながら、どうにも詰めが甘かったのは、こういう事だったのか」
ニタリと笑う目。
「これで俺も、昇進かな?」
>>水鏡
こんなに気まずい朝は、生まれてこの方経験した事が無い。
「……」
「やぁ、海堂君」
目が覚めたその眼前に、ギョロ目の理事長がいた。白目が血走っていて、異常に怖い。
「せっかく布団を2つ用意したというのに、君はお盛んだのぅ?」
「あ、これは、僕が移動したんじゃなくて、その、璃々が僕の方へ――」
まだ寝ている状態なので、自由に逃げられないのが苦痛だ。
とにかく、ここは璃々に任せよう。僕では絶対に言い逃れ出来ないからね。
「璃々、璃々、起きて。もう朝だよ。起きて、お願い」
「起きてるよ?」
起きてるのかよ!?
「じゃあ、この状況を見てくれるかな?」
「うん。おじいちゃんが近いね」
「僕が起きれないよね?」
「そうだね」
……。お願い、気付いて。
「あ、そっか。おじいちゃん、水ちゃんが起きれないよ」
「おぉ、これは失礼じゃったな。ふぉっふぉっふぉ」
わざとらしい事を言いながら、笑顔で立ち去る理事長。
「水ちゃん、おはよう!」
何も知らないまま、純粋な笑顔を見せる璃々。朝っぱらからの恐怖も、これで払拭出来るってものだね。
「おじいちゃん、なんだかすごかったね!」
……恐怖がぶり返してきた。
「はぁ」
洗面所で顔を洗った瞬間、溜め息が漏れる。あれからずっと、朝食の間も、僕は無言の圧力をかけられ続けたのだ。
「今日だけとはいえ、たった1日でこんなにストレスを受けるとは思わなかったな」
ハブラシなんて用意されていないので、僕は何度も口をすすぐ。
「何がストレスじゃって?」
「うわぁ?!」
鏡越しに見る理事長の顔は、妬みや僻みで歪んで見えた。
「ふん! 今日のところは孫の顔に免じて、許してやるがのぅ!」
うぅ……この空気が辛い。
「ところで……お主、これからはどうするつもりじゃ?」
「これから? 僕はこれから東京で仕事を――」
「その『これから』では無いわ!」
「す、すみません?!」
相変わらず理事長の怒号は凄いなぁ!
僕は一切気付かなかったけれど、どうやら重要な質問だったらしくて、理事長の目は今朝以上に血走っていた。
「これからというのは……その……わしの孫との……じゃな……その……」
「あ、そっちの……ですか……」
このタイミングでどうしてそんな繊細な話題を振ってくるかな、理事長は!
「で、ど、どうなんじゃ! お主は璃々とどうするつもりじゃ!?」
「そ、それは、その」
「ええい! 埒があかん! わしが具体的に聞いてやる!」
「こんな朝っぱらから暴露トークですか?!」
「お主らは結婚をどう考えておるのじゃ!?」
「本当にストレートに聞いてきた!」
「どうなんじゃ! お主はただ聞かれた事を素直に答えれば良いじゃろう?!」
これはもう、本当に答えるしか道が無さそうだぞ?
「それは、その……璃々はその気満々です」
「な、なんじゃと!」
「『帰りがおそい時は、ちゃんと連らくしてね』って言ってました」
「そ、そこまで!」
「あと、子供はたくさん欲しいんだそうです」
「う、嘘じゃ!」
「以前『子どもはたくさんほしいなぁ』って言ってきた事があって、僕は『子供は結婚した後の話だよ』って教えたら『それじゃ、水ちゃんの子どもだね』って言うから『それに璃々の子供だよ』『あ、じゃあ私達の子どもにしよ!』『いやいや、それが普通だから』『ねぇ、水ちゃんは子ども好き?』『好きも何も、璃々が子供っぽいだからね』『む。私、子どもじゃないよぉ』『璃々は本当に子供扱いされたくないんだね』『だって私はレディだもん』『でも僕は子供な璃々は大好きだけどな』『……そーなの?』『うん』『分かった、がんばってみる!』『それって頑張るものかなぁ?』『それじゃ私、たくさん子どもがほしい!』『それはまた唐突な……どうして?』『だって、たくさん子どもがいたら、私も子どもらしさをジゾクできると思うの!』『ジゾクしなくたって、璃々は十分可愛いよ』『ほめられた。むふ〜』」
「どうしてそこまで完コピ出来るのじゃ!? えぇ?! どうして?!」
「す、すみません!」
しまった。ちょっと調子に乗ってしまった。
B-1に挑戦してからの2年間、僕と璃々はずっと一緒にいたものだから、すっかり彼女の言動が染み付いてしまったんだよなぁ。
「それにお主はこれから、東京で仕事じゃろう? こんなところで油を売っていないで、とっとと出かけたらどうじゃ?」
「いえ、別にそこまで急がなくても――」
「ん?」
「あ、やっぱり急がないと!」
理事長の年季の篭ったメンチにビビッた僕は、慌てて洗面所から逃げ出した。
まずい、これ以上はまずい。理事長の顔が本気だ。これ以上関わっていると、大阪湾にでも沈められかねない!
斯くして僕は、その日のうちに東京へ出かける事を決意した。
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