>>水鏡
体中に走る痛みが、僕の意識を取り戻した。
「あ、いだ! いたたた!」
上半身を起こし、襲い掛かる痛みを堪える。体を硬直させながら、僕は記憶を辿っていく。
そうだ、橋の下で敵に出会ったんだ。そして、あの女性は『璃々を連れ去る』と言った。だから僕は戦って、でも敵の心獣を喰らって……。
「あ、起きたぁ!」
目を覚ました僕に気付いて、するすると近寄るメロン入りダンボール。
「水ちゃん、思いっきり死んでたよ? でも、もうだいじょーぶ! 私がしっかり治したからね!」
「あぁ、ありがと――いだだ!」
心臓を押さえて蹲る僕を、彼女は背中から抱きついた。治してもらったのは良いけれど、まだ体に馴染んでいないようだ。
「もう少しねてて。『ケガ人はちゃんとねなきゃいけないのよ』って、おばあちゃん言ってたよ?」
「そうだね。ちょっとだけ横になるよ」
空はすっかり黒く染まっていた。2人の間に会話は無かったけれど、璃々が僕の手を握っていて、それだけで意思が通じ合っているような感覚に陥る。
「あれ? あの女は?!」
「ルシールの事?」
「え、どうして仲良くなってるの?」
「ルシールはあそこで気絶してるよ。ほら?」
「うわホントだ、すぐ隣に寝てる!?」
彼女は何故か額から血を流したまま、死んだように眠っていた。
「私がやっつけたんだよ。すごいでしょ、すごいでしょ?」
僕は彼女の両肩に手を添える。
「璃々、この人は誘拐犯で暗殺者なんだよ? すぐにとどめを刺すとか、すぐにどこかへ運ぶとか、ちゃんと現場の処理をしなくちゃ、璃々は危ないんだよ?」
「だからって、私たちが殺していいの?」
「う……それは、言葉のアヤってやつで……」
というか、別に『殺せ』だなんて言ってないよ。ただ、揉め事が起こらないような処置をしなきゃいけないって話なんだ。
「それじゃ、璃々は逃亡生活をしたいの? 見えない敵を相手に、今日みたいな1人戦争を続けるつもり?」
「……」
「僕だってしたい訳じゃないんだ。でも、僕は後ろ向きでいたくない。同じ逃亡生活なら、もっと前向きでいたいだけなんだ。それには、璃々と一緒にいる事が大事なの。分かってくれる?」
「……うん」
璃々は小さく頷いた。こんな事くらい、彼女だって分かっている。自分が何者かに追われている事を、そのせいで顔を晒せない事を、堂々とデート出来ない事を。
それでも僕は、彼女を非難し続けない事にしている。こういう注意は戒める程度で十分だ。一番大切なのは、本人の意思なのだから。
今までで一番攻撃的な方法にも関わらず、璃々はこのルシールと言う女性を庇う姿勢を見せた。誰よりも本能的で感覚的な彼女が、だ。それはつまり璃々が、この女性を『信頼出来る』と悟ったからに他ならない。だが、まさかそれが、彼女の生死すら厭わない暗殺者とは思わなかった。
「水ちゃん」
璃々が弱々しく呟く。しかし、その目には強い意思が篭っている。
「この情けが吉と出るか凶と出るか――それはしばらく先の話になりそうだ」
僕はルシールを川へ投げ捨てた。殺すためじゃなく、この地から追い出すために。だから僕は心獣を使って、彼女を適当な木片に掴まらせた。この方法はなかなかうまくいったものだ。プカプカと浮かぶボートのように、彼女の体は下流へと流れていく。あれなら下流までもつだろう。
「ルシールはきっと分かってくれるよ」
璃々のその言葉には自信が感じられた。
「だってルシールはいい人だもん」
「璃々が言うなら、きっとそうなんだろうね」
彼女の頭を撫でながら、さらに続ける。
「でも、あの人だって立派な暗殺者だよ。分かってくれるかどうかは、今度会った時に決めようね」
「……分かってくれるもん」
不服そうな声がまるで子供っぽくて、僕は少し微笑んだ。
どうして璃々があの追っ手を庇うのか、僕には分からない。でも僕は、彼女の意思を尊重しようと思う。彼女が決めた道は2人で歩く事に決めたから。
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