>>水鏡
いつだって障害は、思ってもみない時に現れる。今日だってそうだ。ただ帰ってきただけで、あれだけのマスコミが実家に集まってくるとは思わなかった。
そしてそれは、目の前の敵にもいえる。突然現れ、璃々の誘拐を宣言し、攻撃してきた。あの攻撃の軌道と目つきは、B-1に参加したどの選手よりも本能的で、高圧的だ。
「つまり……僕を殺すつもりですか?」
「あなたの生死には興味ありません」
ルシールと名乗った女性は呟く。
「私はその子をさらいに来ただけです」
「それなら、これだけは聞かせて欲しい。璃々を傷つける気はあるの?」
生き死にのかかった死闘だって事は理解している。それでも僕にとって、これは大事な事だ。彼女が傷付くのか、傷付かないのか。それは、璃々の彼氏としての不安であり、勝利を掴むための大切な情報だ。
きっと僕の考えが分からなかったのだろう。女性は嘲るような溜め息をついた。
「誰も『平穏にさらう』とは言っていません」
答えは『イエス』。この強力な心獣の事だ、とても五体満足で誘拐出来ない事は目に見えているのだろう。それを覚悟しての強硬手段である事を、ようやく僕は理解した。
「そうなると、これはまずいなぁ……」
璃々の身を心配しないとなると、彼女を人質にしての戦闘は意味が無いのだ。一方的な条件を突きつけられている僕に、メリットは少ない。
幸いな事に、ここは橋の下だ。すぐ隣には川がある。僕の心獣『アース・ブルー』は、水があれば発動出来る。触れた水を自在に操作して、鈍器や刃物を作るのが得意だ。武器に関しては問題ない。
だけど、敵の心獣の正体が分からない。色の付いたエネルギーを放つ、としか分からない今、無茶な事は出来ない。
「でも、だ」
何度も繰り返すようだけど、敵は璃々も襲うつもりなのだ。ここでグズグズしていたら、彼女が先に襲われてしまう。もしあれが即死性の心獣なら、彼女でも再帰不可能に陥る可能性があるのだから。
「ルシール! 僕は逃げも隠れもしない! 堂々と真正面からぶつかってやる!」
「……その意気込み、嫌いじゃ無いわ」
彼女はすぅと、右手を前に差し出す。予想通り、その掌に紫色のエネルギーが集まりだした。
「璃々。ちょっと我慢してね」
「え?」
音も無く放たれる、純粋なる破壊の力。そのサイクロンをかわすように、僕は右手側へ逃げ、抱いていた璃々を左手側へ投げ捨てた。
「うわぁん!」
僕達2人の合間を抜けて、彼女の心獣は空振りする。それに続いて、何かが川へ落ちる音が響く。……もう分かるよね? 僕が川へ着水した音だ。
「くっ!」
ルシールは慌てて、僕へ視線を移す。彼女の狙いは璃々なのに、だ。
B-1で幾度も戦いを経験して、僕は理解した。本当の戦闘者は、意味の無い行動など取らない。そこには必ず意味があるのだ。勝利を手にするための、明確な意思が。
暗殺者・ルシールは強力な心獣使いに違いない。そんな彼女が、大切な人質を放り捨て、わざわざ川へ飛び込んだ男を見逃す筈が無いのだ!
「遅い!!」
全身に水を浴び、僕は何百もの水のショットガンをぶちまけた。これは数ヶ月前に編み出した、僕の取って置きの必殺技だ。高速で放たれた水の弾丸は、相手の体を蜂の巣にする。
彼女の体は、右手を前に差し出したままだ。心獣を撃てるものなら撃ってみろ。僕の数多の弾丸が、それを全て食い止めてやる!
――ルシールが喋った。
「馬鹿ね」
再び彼女の右手から放たれた、紫色の心獣。円柱形のそれが水の弾丸に触れると、呑み込み、打ち消し、跡形も無く消し去っていった。
「え――?」
紫のエネルギーはぐんぐん伸びていく。無数の弾丸を次々と消しながら、やがてそれは、僕の胴体をも刳り貫いた。
「!?」
音も無い破壊。彼女のエネルギーに触れた僕の体は、ボロボロと崩れ、跡形も無く消えていく。そうか、そうだったのか。体に風穴を開けられた後で、僕は自分の戦略が大間違いだった事に気付いた。
彼女の攻撃は『腐敗』だ。触れるもの全てを腐らせ、風化し、跡形も無く消し去る。それが彼女の心獣だったのだ。それは物理的な力で止められる事も無く、心獣の効果が及ぶ射程距離内に存在する全てを失わせる。
目の端で僕は、橋の欄干まで刳り貫かれたのを見た。もし、先にその光景を見ていたならきっと僕は、真正面から飛び込まない戦法を取っただろう。
それを人は『祭りの後』って言うんだよね。
……あれ?
違う気がするな。
でも、もう、何も考えられn――
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