>>The Voice Of Energy
 12月の北風に乗って、1人の女性が星観町へ舞い降りた。
 その女性の容姿は少し変だ。前髪は右半分だけが異様に長く、顔を隠している。目の下の三角形の化粧は、意思無き暗殺者の証だ。
 彼女自慢のロングヘアーは乾いた風に揺られ、美しくなびいている。それは生の魅力というよりもむしろ、死の羨望に近い。
「たかが子供1人に私を投入だなんて……少し過剰過ぎるわ」
 呟いたものの、彼女は組織の手先、意思無き暗殺者。風が通り過ぎるよりも早く、その思考を掻き消していた。
 ロングスカートを翻しながら、彼女は歩く。指令を全うするため。




>>命
 私程のお嬢様となると、服を選ぶ事すら無くなる。朝起きれば一番適切な服が用意されているから。でも今日は違う。私は少しだけ早起きし、鏡の前でアレコレと服を選んでいた。
「おはようございます、命様」
「おはよう茜さん」
 茜さんの朝はとても早い。でも、まさか私が早起きするとは思わなかっただろう。部屋へ入ってきた時、私の様子を見てビクリとしたもの。
「何をなさっているのですか?」
「見て分からない? 服選びよ。今日良が帰ってくるから、素敵な服を着て迎えてあげたいの」
 鏡越しに見える茜さんの表情は浮かない。
 彼女は私の事が好き。彼女は良の事が嫌い。だから私と良が恋人である事が許せない。でも私に逆らえない。
 でも、ここまであからさまだと、逆にイジメたくなるのが、私というもの。
「ねぇ茜さん。どの服が良いと思う?」
「……」
 いくつもの服を見るものの、茜さんは一言も喋らない。
「茜さんの考えている事、当てるわよ?」
「止めてください、絶対に当たるので」
「『あの良をガッカリさせるには、似合わない服を選んだ方が――いえ、それでは命様を辱める事になってしまう。あぁ、命様に恥をかかせず、且つあのケダモノを一掃させる服は無いかしら……』でしょ?」
「だから嫌だったのに……」
 図星だったらしい。期待通り過ぎて、何だかつまらないわね。
「私は、茜さんが良を嫌いだって事を知っているし、これからもそれを咎めるつもりは毛頭ありません。でも、それでも私は、彼の事が好きだし、諦めるつもりは無いわ。あのジュリエットだって、最後まで自分の恋心に逆らえなかったでしょ?」
「それでも私は、ずっと言い続けます。『命様、早く目を覚まして下さい』と」
「言って頂戴。それでこそ茜さんね」
 ふと私は、彼女の身の上話が聞きたくなった。
「そういえば、茜さんの彼氏はどうなったの?」
「か、かか、彼氏?!」
「そうよ。いたじゃない、あの金髪ハゲ」
「桂取さんは金髪ハゲなんて名前じゃありません!」
 ニタリ。
「はっ!」
「それで、彼は今どうしているの? もうスターライト高校は卒業した筈よね?」
「……近所の大学に通っています」
「嘘! 大学?!」
「スポーツ推薦です。先月、他校との交流戦に4番サードでマウンドに出て、7打点を叩き出しました」
「あら、凄いじゃない。あの圧倒的なルックスだから、何かしてくれるとは思っていたけれど。これならプロ選手も夢じゃ無いわね。スポーツの出来る男性って素敵よ」
 私が見え透いたお世辞を言うたび、茜さんの表情が綻んでいく。それを見て私は、何だかホッとした。以前までの彼女は、何だか機械みたいな存在だったから。
「今日は大学にいるのかしら?」
「はい。強化合宿の最終日ですので」
 ふと私の頭脳に、1つの名案が浮かんだ。
「彼を迎えに行ってあげたら?」
「……え?」
「私は良を迎えるのに、茜さんが出来ないのは可哀想じゃない?」
「しかし、私には命様の身の上を守る義務が――」
「私の命令です。あの金髪ハゲを迎えに行って上げなさい」
 語気を強めて、私は茜さんに指示を出す。彼女は唇を噛んだ。
「命様、酷いです。私がそれに逆らえない事を知っているじゃないですか」
「たまには粋な事をしてあげるのも、主人の務めなのよ」
「……ありがとうございます」
 その顔に笑みが浮かんだのを、私は見逃さなかった。今よ、今がチャンスよ。
「そこで、茜さんにお願いがあるんだけどぉ……」




>>良
 真っ黒な高級車に揺られて30分。山の中にそびえる洋館へ、俺は招待された。
「この家と優盟女学院は、距離が近いんだな」
「葉隠家のしきたりです。『葉隠家の女性は皆、優盟女学院に通うように』と」
「という事は命の母親も?」
「いえ、罰子様は至極一般的な高校出身です」
「これからのルールという事か。それなら、どうしてあそこなんだ?」
「かつて葉隠家は、現在の女学院の理事長であるハル様にご恩があるのです」
「そうなのか。詳しい話は今度にする」
「分かりました」
 坂道に揺られながら、窓の外を眺める。門をくぐったというのに、まだ玄関に辿り着く気配が無い。俺は葉隠家に仕える『じい』に質問を投げかけた。
「そんな細かい事まで、俺に話しても良いのか?」
「良様はお嬢様の大切な方です。それに、とても腹の据わった方であると窺っております。これはあなたが、我らが葉隠家のスケールの大きな話をしても逃げ出したりするような男では無い、と踏んでの行為です」
「じい……じゃないな。えっと……」
「アルカーノ。アルカーノ・アームストロングと申します」
「じいさんはとても話の分かる人だ。気に入った」
「名前の言い損でございます」
 やがて車は止まった。まるでホテルのように、玄関前は大きな屋根があって、雨が降っていても濡れない構造になっている。
「おや……良様、お嬢様自らがお出迎えのようですよ?」
「知ってる」
 車から降りるとそこには、見覚えのある制服を着込んだ命が、堂々と立っていた。
「それはもしや、あの警備隊長の制服か?」
「よく分かったわね。これはまさしく茜さんから借りた、葉隠機動部隊の制服よ」
「本人は?」
「彼氏である金髪ハゲのもとへ出張よ」
 金髪ハゲ? ……あぁ、王手の事か。
「隊長無しで大丈夫か?」
「そこは抜かりないわ。だって、B-1準優勝者の良がいるもの。しっかり私を守ってくれるわよね?」
 胸を張ってそう尋ねる命。自信満々の彼女を見て、俺はふと思う。『その制服、着たかったんだろうな……』と。
「相変わらず、しっかりしているな」
「それに、たとえ私を狙う犯人がいたとしても、まさか私が私を護衛しているとは思わないでしょ?」
「それは思わない。絶対思わない」
「その顔、少し馬鹿にしているでしょう?」
「少しじゃない、大いに馬鹿にしている」
 しばらく沈黙の後、俺達はクスリと笑った。
「おかえりなさい。まずはコーヒーでもどう?」
「今日は疲れている。いくつか砂糖を入れたい」
「苦労話を聞かせてくれるなら、砂糖を入れる事を許可してあげる」
「何なりと尋ねろ。いかに俺が四苦八苦したか、事細かに喋ってやる。大体、あの新心獣省長はだな――」
 玄関先だというのに、命はとても楽しそうだった。

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