>>シンディ
手には紙袋が1つ。目の前には駒倉大学病院。
「何故私がこんな事をしなければ――」
いや、不満を漏らすのはよそう。病気の恋人の見舞いに行くのは、当然の事なのだから。ただ、それが何度も起こると、面倒臭さが勝るだけだ。
「しかし、これは私の運命なのだ。運命だ。運命だから諦めろ」
受付で病室を尋ね、エレベーターに乗り込む。その階は、精神病の患者ばかり集まる場所だ。
「ここだな」
部屋番号1018『兎柳木智尋』。
「あ、しんちゃん。ハローグッバイ」
「いきなりお別れは止めなさい」
そこではパジャマ姿の智尋が、ベッドの上で裁縫をしていた。入院中は暇なのだろう。
「また趣味か」
「これは課題だよ。来週の金曜までに、パーカーを3着作らなきゃいけないの」
「壁にかかっている12着のパーカーは何だ?」
「提出用に作ったやつだよ」
「つまりこれは趣味か」
「うん」
やはり趣味か。ややこしい事この上ない。
彼女は女学院を卒業後、服飾の専門学校へ進学した。その奇特な性格から目立った友達はまだいないが、成績は随分と優秀らしい。将来はデザイナーか何かになるのだとか。智尋は私のおしゃれを理解出来るくらい、ファッションセンス満載だから、その夢はきっと叶うだろう。
「それで、今度は何をしたんだ?」
「私は何もしてないよ! ねぇ、聞いて! いつの間にか3件の殺人容疑がかかっていて、気付いたら入院させられてたんだから! この国の司法制度には呆れたわ!」
そう言って頬を膨らませる智尋。無理も無い。彼女に思い当たる節は、何も無いのだから。
しかし、私や一部の友人達は知っている。彼女は激しい二重人格者である事を。そのもう1人の智尋が、いつも事件を起こす事を。
私は1年前の話を思い出していた。
「『殺人』だと……智尋が?」
同席したのは、智尋の親友である命と渓の2人である。ブラックコーヒーばかり味わう友人を置いて、渓という少女は説明していた。
「私達が智尋と会ったのは、小学生の頃。私達は3人で、1人ぼっちの智尋に声をかけたの」
「3人?」
「私と、命と、もう1人いたの。火音(かのん)っていう名前の子よ」
「智尋が二重人格者なのは知っているが……まさか、その子を?」
渓は少し俯いた。
「あの子がどうして火音を殺したのかは、分からない。ただ、その時のショックで、智尋はもう1人の人格を作って、現実逃避をするようになったの」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
シンディは語気を荒げる。
「どういう事だ? 『人格を作って現実逃避』だと? それだと智尋の本当の性格は、今のとは違う事になるではないか?!」
「その通り」
その時、ようやく命が口を開いた。
「今の智尋は、新たに作られた人格。あなたが見た凶悪な智尋こそ、本当の智尋なの」
「何……だと?」
「ショックを受けるのは分かるけれど、これが現実よ。私達が放置したのは、そのお陰で彼女が事件を起こさなくなったから。変わった子だけれど人畜無害だから、その方が安全なのよ」
「そういう事か。成程、それなら辻褄が合う。あの智尋の性格で、優盟女学院の入学試験に合格するのはおかし過ぎると、以前から思っていたのだ」
「何気に酷い事言うわね」
渓は少し呆れた。
「そうかしら。それが普通の反応よ」
くすくすと笑う命。彼女はさらに続ける。
「でも、これからはそう呑気にいられないわ。彼女の精神は今までで一番不安定になっている。しかも彼女の本当の人格は、『天才』と謳われる頭脳を持った、残忍な性格。だからこそ私達は、全てを話そうと決意した。……秀才のあなたに」
「褒められている、と受け取っておこう」
「そう、その生意気さも評価しての事よ」
「むぅ……」
自分の考えを読まれたようで、シンディは少し浮かない顔をした。
「安心して。私達も全力で協力するから」
「このままでは必ず智尋は潰れてしまう。苦しむ彼女の姿は、見たく無いから……」
自分の恋人の友人2人にジッと見つめられるシンディ。そのプレッシャーに押され、彼は視線を逸らすのだった。
「……善処する」
そして現在。
智尋の精神解離性はいまだに高く、本人が認知した気配は一向に感じられない。医者の話では、様々な方法を試したのだが、頑として智尋は気付いてくれないのだとか。
もしかしたら私と同様、頑固なのかも知れない。
「それでしんちゃん、その紙袋は何?」
「何、少し遊んでやろうと思ってな」
紙袋から取り出したのは、ヒモ付き5円玉だ。私はそれを智尋の目の前に垂らし、ユラユラと揺らせる。
「あなたは催眠術にかかる〜あなたは催眠術にかかる〜」
「むぅ……催眠術にかかる〜」
もうかかったらしい。この私の頭脳を持ってすれば、催眠術の1つや2つ習得するのは訳無い事!
この催眠術を使って、せめて自分が二重人格者である事を自覚してもらおう、という作戦だ。我ながら何と素晴らしいアイデア! 涙まで出る!
……とは言え、本当に効いたかを確認する必要もある。私は初めに、ダミーの催眠術を仕掛けた。
「私が部屋にいる間は、そのパーカーを作る気がなくなる」
「パーカーを作る気がなくなる……むぅ……」
まぁ、こんなもので良いだろう。私は早速、本題の催眠術に取り掛かった。
「自分がかかっている全ての異常を、私に尋ねられても平気で答えられる、特に精神関係」
「精神関係を教えたくなる……むぅ……」
「3数えると催眠術から一旦冷めます。3、2、1、ハイ!」
トロンとしていた智尋の目つきが、パチリと開いた。どうやら催眠術は上手くいったようだ。その証拠に、智尋はパーカーを作ろうとしない。あれほど夢中だったのに、だ。
「コホン。そういえば智尋、貴様は何か病気ではないか?」
「そう、そうなんだよ! 聞いて、私、病気なんだよ!」
やった! 流石は私! これでまずは一歩前進だ!
「私、恋の病なの!」
「ちくしょう、そっちかよ!!」
>>The Voice Of Energy
星観町は、豊かな自然に恵まれた田舎である。娯楽施設がほとんどないこの町で午前2時といえば、誰もが寝静まる沈黙の時間帯だ。かの『草木も眠る丑三つ時』という言葉がしっくりくる、と言えば分かるだろうか。
そんな漆黒の世界に1つ、煌々と明かりを灯す部屋があった。いや、それはたかが蛍光灯1本の明るさなのだが、この町では希望の光のように燦然と輝いているのだ。そこは駒倉大学病院の1室である。
「あの女はやはり、この町にいるようだな」
電灯に照らされているのは、スーツ姿の男だった。俯き加減なのか、顔には影がかかっていて、どんな顔をしているのか分からない。
その眼前に起立しているのは、長身の白衣の男。彼の胸元には『神木』と書かれた名札があった。神木医師は仰々しく答える。
「はい。全国のネットワークから推測しても、ここ以外にはあり得ないのだそうです」
「危うく撤退するところだったが……とうとう尻尾を掴んだようだな」
「この周囲は人口の少ない町ばかりです。我々の組織のメンバーを集結させれば、見つかるのも時間の問題でしょう」
ボス――そう呼ばれた男――の視線は、窓の外の、黒い世界に向けられた。
「あの事件以来、私は何度も苦汁を舐め続けてきた。慣れない世界に、慣れない文化。あともう少しで手に入れられたものは泡と化し、逆に今まで手に入れてきたものを全て失ってしまった」
「しかし、ボスはここまで再建なさったではないですか」
「そう。あの女への復讐心を燃やし続け、私は必死に動き回った。そして今や私は、かつて手にしていた筈の『帝王』という権力を、この世界で、この手で掴もうとしている!」
彼の掌は天井に向けられ、そして強く握られる。
「しかし! 真の『帝王』になるためには、王族たる力が無ければならない。王家の血に流れる、絶対的な力――これこそが、私に必要不可欠で、同時にあの女への復讐となる」
「ボス、その事なのですが……」
神木医師が、ボスの言葉を若干遮ってまで口を開いた。
「具体的に、どうするつもりなのでしょうか? 私達はまだその件について、何も話を聞いていませんが」
「気にはなるだろう。だが神木、お前ほどの実力の持ち主でも、私はそれを教える事は出来ない」
「勿論承知しています。承知した上での質問でした」
「お前のその素直な思考を、私は高く評価している。存分に活かしなさい」
ボスは彼を褒めると、飲みかけのワイングラスに口をつけた。時を経るごとに、血のように赤いワインが徐々に減っていく。
「私の帝王への道を邪魔した、あの女を連れてくるのだ。その日こそ、私がこの世に君臨するためのカウントダウンの開幕なのだから」
「了解しました。私達が、必ずや、見つけ出してみせます」
「頼んだぞ。私はお前達を信頼している。期待を裏切らないよう的確に、確実にな」
>>神木
恭しく礼をしながら、私はボスの部屋を出る。
「……素晴らしいお人だ。あの方の才能を埋没させるなど、愚の骨頂だ」
私の見立て通り、ボスはこれまでのどの偉人よりも偉大だ。彼の名を世に広めるためなら、私はいくらでも鬼になろう。心に決めるとは私は、早速電話をかけた。相手は私の忠実な部下だ。
「こんばんは神木先輩。どうしましたか、こんな真夜中に?」
電話の声は若い少女である。事実、彼女は若い。確か高校2年生だったな。しかし彼女は私以上に、豊富な人材を有しているのだ。
「ボスの極秘命令だ。君にもその指示を受けて貰う」
「……いよいよですね。どうします? 色んな人材を取り揃えていますよ?」
「いきなり人材の話か」
「先輩が私に連絡する時はいつだって、この話題ですから」
「確かに。いや悪かった、自分では気付いていなかったのでね」
私は軽く笑う。全く、彼女にはいつもしてやられるな。
「目標は『あの女』の誘拐だ。しかし、向こうの状況を把握しきれていない。強力な暗殺者が良い。あと、死んでも後腐れの無い奴だ」
「捨て駒ですか?」
「そう、捨て駒だ」
電話の声は押し黙った。恐らく該当する人材を探しているのだろう。やがて電話は朗報を伝えてくれた。
「いましたよ、少し前に暇潰しで作った殺戮兵器が1人だけ」
「また調教したのか。人体実験は程々にしろと、上司に言われないのか?」
「言われませんね。私がその最高責任者ですから」
「これは失礼した。そうだった、君は昇進したんだったね。それで前の上司はどこへ?」
「……」
「い、今のは取り消す」
黙られると恐い。
「でも先輩、この兵器は本当に危ないですよ?」
「構わない。あのボスですら取り逃した相手だ。それくらいの実力が無ければ、とても安心して命令を実行させられない」
「分かりました。後でメールか何かで詳細を送ってください。作戦はこちらで実行します」
「助かるよ」
「先輩と、ボスのためですから。それでは失礼します」
携帯のツーツーという無機質な音が、鼓膜を刺激する。ふと窓の外が闇に包まれている事に気付いた。
「呑気なものだ。これから世界が、この真っ黒な色に染まるというのに……」
誰もいない病院の廊下を、神木は歩く。その足音は建物に響き、壁を伝い、そして漆黒の帳へと飲み込まれていくのだった。
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