>>
「15分…かしら?」
リーフに表示された時刻を見て、私は呟いた。
「私相手にこれだけ耐えたのは、あなたが最初よ。さすがね。」
私の目の前には、ミルキー・ラビットの猛攻を耐え凌ぎ、体中がボロボロになった良の姿があった。
「……!」
何か喋ろうとしても、疲労のせいか、口がうまく回っていない様子だった。よく見ると足元も、フラフラしている。膝などすでに、カタカタと震えていた。
「まぁ、私も少し痛手を負ったけど。」
そう言って私が手を押さえた先は、私の左腕だった。蛇のようにミルキー・ラビットの懐に潜り込んで来たかと思った瞬間、一気に左手を取られ、全体重をかけて圧迫されたのだ。すぐに反応出来たから筋違えで済んだけれど、もしあと1秒でも遅ければ、左腕を骨折していたに違いなかった。
「あなた、本当に凄いわね…。」
その想像もつかない攻め方を間近で見て私は、彼の通り名の『鬼神』の意味が分かった気がした。
「…。」
でも、ここまでボロボロになりながらも退かない彼の姿を見ているうち、私は少し罪悪感を持つようになった。彼をここまで追い詰める事に、果たして意味があったのだろうか。そこまでしなければならない事だったのだろうか。何度も頭の中で自問自答してきても答えが出てこなかった。その代わり、1つの方法だけが頭に思い浮かんできた。
「良、これで終わりにしましょう。」
その言葉と同時に、ミルキー・ラビットの手から、指のような灰色のチューブが、片手ずつ3本伸びてきた。それはどことなく指に見えるが、これはれっきとした『武器』だ。そして、そのチューブの先から激しい音と共に、真っ白の電流が流れ出した。
「良、見えるかしら?もう分かったと思うけれど、ミルキー・ラビットは接近戦主体の心獣なの。そして1つだけ機能を持っているわ。それは、体の中に蓄電装置が仕組まれていて、この腕の先のチューブから放電する事が出来るの。電圧は計った事無いけれど、小さな雷くらいの威力はあるわ。」
万が一の反撃に備えて、私は心獣だけを彼の元へ近づけた。彼まで距離はわずか3メートル。たとえ彼の心獣がまだ力を残していたとしても、本体である私の元までは10メートル以上、余裕を持って回避出来る。
「詰めよ、良。この戦いは私が終わらせる。邪魔しないで。」
右手を振り上げても尚、彼に動きは見られなかった。体力を使い切ったためか、彼も立つのが精一杯らしい。そんな彼の姿を、私は最後まで目を逸らさなかった。可哀想だった。早く終わらせてあげたかった。
「ミルキー・ラビット・奥義開放…『終』!!」
全エネルギーを込めた渾身の雷撃は、彼の脳天目掛けて、高速で振り下ろされた。私の最大の技の前に、彼はなす術が無かった――


かに見えたのは、私だけだった。拳が目の前まで迫ってきた瞬間、彼は突如背後へステップを踏んだ。その加速は凄まじく、最大スピードで放たれた私の『終』を、ただのステップで回避してしまった程だった。思わぬ回避にミルキー・ラビットの動きは間に合わず、屋上のコンクリートの床にヒビを入れてしまった。連動して私の右拳に、小さな傷が生まれた。それは『終』が完全に失敗した事を意味していた。
「な、何で…?!」
私がふと彼の姿を目で追った時、彼は屋上の端ギリギリに、両手を大きく広げて立っていた。
「ふむ…敵に悲哀の感情持つなんて…葉隠グループの大令嬢らしくないな。」
「何よ…令嬢である前に、私は女の子です。」
「ふふ…そうか…そうだよな。」
そうボソボソ呟きながら、彼は体重を背後にかけていった。それが一体何を示しているか、私にはその恐怖がよく分かっていた。彼の背後に、床は無いのだから!
「良!?」
「自分のケリは、自分でつける。邪魔はするなよ。」
次の瞬間、彼の体が私の視界から消えてしまった。その理由は簡単だった。彼が自ら落ちたから…。
「良!!」
私は全身に寒気を感じながら、心獣と共に駆け出した。今なら間に合うかも知れない。早く彼を助けなければ。
「ミルキー・ラビット!!先に地面へ行って!!下で受け止めるのよ!!」
私の言葉通り、彼は良が飛び降りた場所まですぐに駆けつけ、一気に降下した。私も出来るならそのまま走りたかったけれど、それでは自分まで飛び降りてしまう。やむなく私は足を無理やり止め、ゆっくりと、且つ素早く、屋上から下を覗き込んだ。


「やぁ、お嬢様。」
「……!」
良が、目の前にいた。校舎のでっぱりの部分に、わずか数本の指で掴まっていた。
「これを待っていた…お前の心獣は、今下にいる。」


良は、負けてなどいなかった。接近戦に持ち込めば負けると分かって、戦闘放棄していたのだ。そして一瞬の心の隙を突いて、飛び降りた。彼を必死で助けなければならないという、私の一瞬の心の隙を突いて――


彼は一気に壁を蹴り、私の頭上を飛び越えた。私が心獣を呼び戻す前に、彼は私の右腕を力強く握り締めた。
「もう遅い。電流を流せば、お前も一緒に感電する。」
接近戦に持ち込もうにも、既に疲労していて、体が思うように動かなかった。そして私を睨む彼の鋭い視線が、さらに私の戦闘意欲を削いでいった。
「…やられたわ。心獣の性能は、私の方が上だったのに…。」
「残念だったな…俺の方が実践を積んでいる。…その代わり、筋は良かった。」
「ありがと。」
ここまであっさり決められると、もう自分の負けが気持ち良かった。彼に負けたのなら、自分も誇れる、そんな心境に似ていると思う。
「ベンチに座る?」
「そんな事言って、不意打ちする気じゃ無いだろうな?」
「ちょっとは信じてよね。そんな卑怯な手、使わないわ。」
私の言葉を聞いて安心してくれたのか、彼は素直にベンチに座った。私もそれに続いて、彼の隣に腰を下ろした。2人揃って欠伸が出た時は、思わず笑ったりもした。
「俺の勝ちだ、命。」
「あら、本当にそれで呼んでくれるの?」
「約束だったからな…ちっとも俺は得しない約束だが。」
身を引き絞った戦いの勝利でも、何も得られない場合、男という生物は途端に冷めてしまうらしかった。今気付いたけれど、家の関係者以外の男性とここまで近い場所に座るなんて、一体何年ぶりだろう?
「それなら、私が1つだけプレゼントしてあげるわ。」
私は、そう言いながら席を立った。そんな私の姿に少し驚く良だったけれど、あまり私は気にしない事にした。私は彼にも、自分と同じように立たせた。
「目を閉じなさい。」
「心獣で突撃、なんて事は――?」
「ありません。」
あくまでも私をからかう良に、私は少しだけ機嫌を悪くした。彼が目を閉じても、もしかしたら彼が見ているのではないだろうか、と心配になった。
「まぁ、念には念を入れて…。」
そう呟きながら私は、右手を彼の肩に添え、左手は彼の両目を覆った。傍まで寄ってみると、思っていた以上の彼の背の高さに、私は少し驚いた。それでも構わず私は背伸びをして私は、彼の唇を奪った。


そして私たちはお互いに、ファーストキスの相手になった。




>>函館
「厳戒態勢が敷かれていましたこの優盟女学院に今、最後の少年が出てきました。女学院の屋上まで忍び込んでいた彼は、今回の騒動のリーダーである事が判明致しました。現在はブルーシートで見えませんが、ちょうど車に乗り込んだとの情報です。現場に駆けつけた警備隊が彼を抑えようとしたところ、女学生がそれを一時制止するという事態も起こりましたが、結局彼は車に乗り込み、星観署へと送られる予定です。平成開始以来の大規模な学生運動となる今回の事件は、まさに現代の混沌が生み出したフラストレーションの象徴であり、同時に停滞を続ける日本の起爆剤となるのは間違いないでしょう。あぁ、少年たちよ、戦友のほとんどを失って、得られたものは何だったのか、失ったものは何だったのか。3時間以上にも及ぶ彼らの戦争は、今こうして終戦を迎えました。ヘリよりリポーターは私、函館伊知郎がお送りいたしました…!」

 戻る