>>雷華
「私たちは今、この真っ白な大型バイクに乗って、校舎を見回っていますが、どうやら学生たちの勢いは終息を迎えつつあるようです。これからおよそ30分間、いかに警備隊たちが彼らを押さえつける事が出来るか、これが事件の解決の鍵となりそうです。尤も、生徒の一部が今日のために雇った傭兵は、今日だけで200人以上の生徒を補導しているらしく、彼の活躍によって事件は一旦幕を閉じると思われます。このバイクの運転手である彼へのインタビューは、この先の中庭ベンチで行いたいと思います。よって現場へ着くまでの間、チャンネルを回さないようにお願いします!」




>>
それは、静かな廊下だった。本来なら教室から漏れる楽しげな声も、今はひとつ残らず失せている。ここに響くのは、俺の足元から響き渡る、シューズと廊下の擦れる音だけだ。この学校に生徒がいたのかどうか、疑いたくなってくる。
「この校舎に入るのも、これで2度目か…せっかくなら、もっと生徒がいる様子を見たかったものだな。」
誰に言うでも無い独り言を呟きながら、校舎の入り口で見た地図を頼りに、俺は足を進めていた。
「この曲がり角を曲がって…これか。」
俺の目の前に現れたものは、高等部の校舎の最上階・屋上へと通じる階段だ。資料によれば、屋上へ出る最後の扉は普段厳重に鍵をかけられ、誰も入れないようにしているらしい。女学院の屋上には誰も入らないように設定されているので、柵などの安全対策を取っていないのだという。
「それなら、きれいさっぱり鍵を外された、この扉は一体何なんだ…って話だな。」
足元から滲み出てきた『ジャラリ』という音を耳にして、俺はぼやいた。鍵を全て外された5つ6つ程の南京錠が、ただならぬ異様さを醸し出していた。後はドアノブを回すだけで、俺は屋上へ出る事が出来る。しかし…
「怪しい。あまりにもうまく出来過ぎている…面白いくらいに。」
もしかしたらこれは、俺をお縄頂戴するための罠では無いだろうか。さすがの俺も、伊達に4度も計画を失敗していない。今まで少しも考える事の無かった『疑り』が、初めてこの身に染み付いた事を、最も実感した瞬間だ。
「…しばらく、様子でも見るか?」
ドアに耳までくっつけ、その向こうを警戒しようとした、その時だった。
「安心しなさい。誰もいないわ。」
その声は、確かに聞こえてきた。きれいで、且つどこか力強い、あの声が聞こえてきた。思わぬ事態にしばらく手に力が入らなかったが、やがて俺は頬を軽く平手打ちした。
「…よし。」
何を面食らっている…この日のために俺は、様々な試行錯誤を繰り返し、ここまでやって来たのだ。俺に出来る事は、もう省みない事だ。俺は無駄に歯を食いしばり、あちこちが錆付いたドアを一気に開け放った。




真昼の太陽の光は、嫌と言うほど輝いていた。一歩足を踏み出すほどに、陽光が網膜を過剰に刺激する。それでも足を止めない俺の視界に、1人の少女の影が入ってきた。
「久しぶりね。」
何一つ変わっていなかった。あの時のまま…あの声が、まさに目の前にいた。
「1つだけ尋ねるけど…今回の事件、あなたが首謀者なの?」
「そうだ。それに何か問題でもあるのか?」
ようやく外の景色に目が慣れてきた頃、少女の顔がはっきり見えてきた。以前放送室で出会った時と、やはり何も変わっていなかった。俺の返答にその子は口元で笑った。
「いいえ…立派な根性を持っているのね、って思っただけよ。」
話どおり柵の無い屋上だったが、何故か少女は新しいベンチに座っていた。目が痛くなる程の黄色が、その新しさを物語っていた。確か彼女は、葉隠グループの関係者と聞いた。こんな場所にわざわざベンチを用意してまで、俺を待っていたのか。俺が考えていた以上の人間かも知れないな。
「流良、だったわね?」
「あぁ、間違いない。スターライト高校の流良だ。」
すると少女は立ち上がり、数歩俺の元へ近寄ってきた。とは言っても俺のいる場所まで、まだ10メートル近く離れていたが。
「私は命。優盟女学院の2年生、葉隠命よ。」
これだけ近い場所で、対等に並んで、俺はようやく気付いた。分家の関係者か何かかと考えていたが、彼女は間違いなく、葉隠グループの本家出身だ。男にも真似出来ない潔さが、その染み付いた王者性を物語っていた。そして同時に、彼女が俺よりも強い事も、脳髄の片隅で意識していた。
「…座る?」
「いや、遠慮する。」
注意深くなっていた俺は、あたりを見渡した。地図の通り、屋上には一切の障害物が無い。フットワークで相手を牽制する事の多い俺にとって、若干不利な状況だった。その事ばかり考えていたからだろうか、何故か彼女から話を切り出す形になっていた。
「それにしても…よく私がここにいるって、気付いたわね?」
「簡単だ。お前は俺たちに、侵入してきて欲しがる言動が多かった。そして今回の事件は、歴史の教科書にでも載りそうな大事件だ。お前が特別に場所を用意するのは、自然だと思うがな。何せ、あの大会社の令嬢だからな。」
クスクスと笑っていた少女は、一言尋ねてきた。
「あら、それなら放送室かも知れないじゃない?もしかしたら校門かしら?」
「確かに『思い出の場所』には違いないが…計画に失敗した場所にお前が出向くのは、あまりにも不自然だからな。」
「フフ…さすがは『鬼神』と呼ばれた男ね。」
満足でもしたのか、彼女は満面の笑みを浮かべていた。何が楽しいのか、俺にはよく分からないが、ふと俺は、その顔を一旦素の表情に戻してみたくなった。今度は俺が顔に笑みを浮かべ、一言尋ねる番だった。
「いや…放送室や校門前では、部屋の狭さや通行人のせいで、心獣の力を発揮できないからだろ?」
その瞬間、彼女の体が一気に強張った。それは隠していた内面をすっかり読まれ、恐怖すら覚えた時の瞬間に、とても似ていた。
「お前だって分かっているだろ?俺の野望は、お前との勝負でケリをつける。これは決定要項だ。」
俺は右手を前に差し出し、体を相手から見て横に構えた。俺の本気の戦闘体勢だ。それを感じ取ったのか少女は、諦めたような仕草を見せた。
「本当、どうしてこんな展開になっちゃったのかしら…?」
「…強くなければ男じゃないと、俺は思っている。それを示すだけだ。」
俺の言葉が終わるか終わらないかの瞬間、少女の隣に1人の――いや、1つの心獣が、突風と共に出現した。届きもしない風に俺の足元が動く程、その心獣のエネルギーは凄まじかった。
「クスクス…だから私、あなたの事が気になったのよ…その代わり、私も本気でいかせてもらうわよ?」
「心配するな、どうせ後戻りはしない。」
俺は体の各関節に心獣『フリー・ユア・ソウル』を仕込み、先方の突撃に備えた。それにしても、その心獣はかなり異形だ。右目は小さなガラス球が集まり、左目は大きくて瞳が無い。左目から3本、後頭部から3本の黒い帯が出ているが、これは毛のつもりなのだろうか。両腕とも二の腕から先が妙な塊で覆われており、足に至っては、膝から先が大きな針だけである。人の形を成しているくせに、人間らしいところは見えている腹部――つまり腹筋だけだ。
「紹介するわ。これが私の心獣『ミルキー・ラビット』よ。」
「ミルキーらしく無いばかりか、ラビットでも無いな。」
俺は率直な感想を述べた。
「それなら、分かりやすく説明するけど…心獣を発現出来るようになった頃は、私は当時5歳だったけれど、形が兎っぽかったのよ。ほら、その肩当てのところに、アーチ状の突起物が見えるでしょ?それがもっと頭の近くにあって、兎の耳みたいになっていたの。だからこの名前をつけたのに…時間が経つにつれて、それが肩当てに完全に変化して、足からは鋭い針が突き出してきて、可愛らしかった口も今では歯茎まで見える始末…。あぁ、名前って、老けた時も考えてつけてあげなくちゃいけないものね。」
「長い。まだ分かりやすいが、長い。」
「それ以上文句を言ったら、この子のボディーブロー、受身無しで喰らわせる事になるわよ。」
俺の茶々が気に食わなかったのか、彼女は少し怒ったらしい。この緊迫した状況のためか、そうやってふて腐れる彼女の仕草が、どことなく可愛く見えた。
「さて、雑談はここまでだ。俺はお前に降伏の声を聞かなきゃならないからな。」
俺は軽く挨拶のつもりで言ったのだが、これが意外な話題を呼んでしまった。彼女は少し不機嫌な顔になり、口調を荒げた。
「あのね、さっきから言いたかったけれど、『お前』って呼ばないでもらえないかしら?私だって、両親から素敵な名前を貰っているの。名前は大切にしなさい。」
「しかし、今はやはり『お前』の方が、しっくりくる。あくまで俺は『不法侵入者』なんだからな。」
「それなら、私が勝ったら、ちゃんと名前を呼んで貰えるかしら?」
「…何て言うんだ?」
「『命様』よ。」
もはや罰ゲームの領域だ。世界を揺るがす大事件で、そんな遊びをして良いのだろうか。しかし、それは俺が負けた時、つまりこの条件は非常に正当性が高い。俺は、それを否定するようなナンセンスな人間では無い。
「それなら、俺が勝った時は、『命』と呼び捨てにする。」
「そうしましょう。どっちにしても、名前で呼んで貰えるんだから。」
俺の提案が相当気に入ったのか、彼女は顔に笑みを浮かべながら、俺の方を睨んでいた。たとえ相手が女だとしても、同じ土俵に立っている以上、手加減などしてはいけない。俺もそれ相応の心構えをし、真正面から受けなければ、俺は自分の価値観を崩すかも知れなかった。尤も、彼女が自分よりも強い事は分かっていたから、この問答に一切の意味は無いのだが。
「お手柔らかにね、良。」
「こっちこそな。」


その会話が、始まりの合図だった。誰もいない屋上、照り付ける日差しの中、俺たち2人は一気に心獣に力を込め、全力で正面衝突した。
しかし想像通り、彼女の心獣はパワーが激しく高く、俺の拳は無効化されていた。奴の皮膚にとって、俺の打撃は蚊ほどの力だったに違いない。
それでも俺は退かなかった。俺はもう、省みない。


俺の体が宙を舞い、地にひれ伏した時、時計はちょうど12時をさしたのを、俺はどこかで聞いた。

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