第16話
>>良
「む…。」
ふと気付けば、俺は学校へ向かおうと、玄関の扉に手をかけていた。自分の手に馴染んだカバン、履きなれた靴、これらのいつも通りの光景に俺は、つい重大な事を忘れていた。
「そうだ…俺は今、停学中だったな…。」
9時20分過ぎ。普通の学生の平日では、とても考えられない時間に、俺は自宅にいる。その自宅で1人、お茶をすすりながら煎餅をパリついている。あと1ヶ月もしないうちに期末テストが迫ってくるという危機的状況の中、俺は怖気づく様子も見せず、普段見る事の出来ない教育テレビを眺めていた。
「ほほぉ…重りの重さを変えても、振り子の周期は変わらないのか…!」
どちらかと言うと文系の俺としては、小学生レベルの話でも、科学番組は驚きの連続だ。リビング中に驚嘆の声が響き渡る。しばらくすると国語系の番組に変わったので、ようやく俺は新聞を広げてみた。目の前には大きな文字で、この間の事件についての記事が書かれていた。
「『警備隊の怠慢か?学生に裏をかかれる軽率さ』…そりゃそうだ、女性に飢える思春期の男子学生は、とてつもない力を持っているからな。」
適当な感想を入れながら、こういった記事や情報を見るにつれ、俺はあの日の事を思い出していた。
女学院に侵入したほとんどの生徒はスターライト高校の学生だったので、そのほとんどが自宅謹慎となった。現在学校に登校している生徒は両手で数える程度らしく、前代未聞の事態に学校中の教師たちは戸惑っているらしい。1人も生徒がいなくなったクラスの担任に至っては、やって来ても生徒がいないため、社長出勤になったらしい。
世間では俺の事を、大勢の学生を引き連れ、女学院を襲撃したテロリストといった目で見ているらしい。俺もそう思っている。事実を認めないのは、現実から逃げるのと何ら変わり無いからだ。恐らく俺は若くして犯罪者の烙印を押されたが、停学が夏休みまでという結果には、さすがに驚いた。
「なぁに、妙な心配はせん事じゃ。お主の計画を見て見ぬ振りした、わしにも責任があるからのぉ。ただし、形式上は夏休み終了までじゃから、それまでの間は事件を起こすでないぞ?これはわしのお願いじゃ。分かってくれるな、わしの大切な生徒・流良よ。」
普通の人が見たら悪ガキ以下の俺の人間性を認めてくれたようで、俺は何となく歯がゆかった。そして誰よりも優しい対応をしてくれた校長兼理事長に、俺は感謝を忘れないだろう。
俺と同じように女学院へ突入したシンゴは、皆と同じように自宅謹慎となった。特にあいつは俺たち主犯グループの1人なので、その日数は他の奴らよりも多いらしい。最近従妹が訪れるようになって困ると嘆いていたが、規定の日数よりも早く学校に戻れるかどうかは、その従妹にかかっているような気がした。
シンディもシンゴと扱いは同じだが、重傷を負っているため、退院するよりも早く謹慎が解かれるらしい。世の中は皮肉なものだ、と軽く笑いながら、大好きな本を眺め続ける彼の姿は、少し格好良かった。よく病室を訪れる少女について尋ねた事があるが、シンディは決して正体を喋ろうとしなかった。尤も、その少女の事と同じくらい、病室にあの首輪が散乱している理由も知りたかったのだが。まぁ、誰かのお見舞いだろう。
本部で待機していた水鏡と北岡先輩は、何ら責任を負う事は無かった。俺たちが身に着けていた無線機がばれ、一時は身の危険が心配されていた彼らだが、水鏡が必死で先輩を担ぎ、間一髪のところで逃げ出したのだった。俺たちが実際に喋っていたという証拠も見つからず、グループのメンバーでありながら彼らと事件をつなげるものは無く、証拠不十分といった形で無罪となった。機材に何一つ証拠が無いというのは驚きだったが、恐らく水鏡がアース・ブルーで指紋を拭き取ったのだろう。
「ごめんね…。慌てていた筈なのに、あんなに丁寧な事して、僕らだけ逃げちゃって…。」
「いや、自分を責める事では無い…お前の行動は、世界で1番正しかった。」
夕陽の差し込む教室で土下座する水鏡の姿は、今でも俺の脳裏に焼きついて離れない。
北岡先輩は、寝ていて何も覚えていないのだそうだ。
もちろん遥ちゃんも、俺たちとのつながりは発見されなかった。いや、誰も詮索しなかった、と言う方が正しいだろう。まさか女学院生の中にグルがいたなど、誰が考えるだろうか。あんな小さな少女が自分たちの仲間を売るなど、誰が想像するだろうか。…てか遥ちゃん、学校の皆を売ったというのに、何故あんなに楽しそうなのだろうか。天才は考える事が変だ。
お昼を過ぎても、ニュースは連日あの事件の事ばかりだ。『星見町学生襲撃事件』と名付けられたあの事件は、しばらく日本中に激震を与え続けるだろう。今日の昼食は、朝の残りをパンではさみ、豪快に焼いたものだ。塩が効いていて、これが意外とうまい。テレビの画面の中では、あの日上空から実況をしていたという男が、得意の滑舌を披露していた。若干冷めた目で画面を見つめながら、俺はメンバーでは無い、他の奴らも少しだけ思い出した。
王手は他の生徒と同じくらい、シンゴよりも若干処分が軽かったようだ。ただ、今でも女学院の方へ寄っているという噂があり、警備隊も厳戒態勢を布いているようだ。何故あいつが今でも女学院へ寄るのか、その理由は彼の取り巻きすら分からないという。
何しに来たのかよく分からない司馬は、騒ぎに紛れてとっとと帰ってしまった。どの映像を調べても彼の姿は無く、処分される心配は無いだろう。女学院のビデオの中に彼の姿があるという噂もあるが、その事実が明かされる日は来るのだろうか?
無線機製作に携わった黒須というクラスメイトも、王手や他の学生程度の処分で済んだらしい。ただ彼は俺たちの計画に協力した量が多いため、他の奴らよりは復帰が遅いだろう。そんな周囲の心配をよそに、彼は
「これで僕もアウトローに磨きがかかりました。」
と言っていた。俺たちの中で1番危ないのは、ある意味彼なのかも知れないな。
あの事件以来、俺の家にはひっきりなしに来客が訪れるようになった。停学の様子を見に来る教師や、書いた反省文を受け取りに来る教師、テレビの取材やレポーターに、応援してくれる近所の住民…。近所の人は、意外と優しかった。それが俺を恐れての事かどうかは、未だに分かりかねるが。
「お、もうこんな時間か。」
時計を見れば、もう5時を過ぎていた。空はまだ明るいが、部活をしている生徒にとって、この時間はまだ帰宅時間では無い。スターライトにも部活はあるが、きっと休部同然だろうと考えていた、ちょうどその時だった。
「…む、来たな。」
1日の大半を過ごしたこのリビングに、甲高いチャイムが鳴り響いた。玄関ブザーの音だ。こんな夕方に俺の家に訪れるのは、1人だけしかいない。
「入るわよ。」
どうにも慣れない。あの『夕陽の少女』が俺の家の玄関で靴を脱ぐ姿が、どうにも慣れない。だからと言って先にリビングに戻るのも、どうかと思う。彼女がスリッパを履くまで俺はいつも、腕を組み、複雑な顔を少し傾けるのが癖になった。
「鍵、閉めないの?」
「男と女の2人きりに、鍵か?」
「そういう意味じゃないわ。あなた目当てに変な人が入ってきたりしたら、私に迷惑がかかるでしょ?」
停学がはっきりと決まったその日から、命は俺の家に毎日やって来るようになった。女の子が何を考えているか、俺には全く分かる術は無いが、とりあえず『よく来る客』として扱う事にしている。彼女はそのままリビングのソファに座り、勝手に寛ぎだした。
「人の家でよく、そこまで寛げるな。」
「それくらい、あなたの家は良い家という証拠よ。むしろ誇りに思いなさい。」
命は毎日やって来ては、こんな意味の分からない会話を楽しんでいる。他に暇つぶしもあるだろうに、変な俺が言うのも何だが、変な奴だ。
「夕飯の献立は、決まったの?」
「いや、まだだ。」
「そうなの?一般家庭は、午後3時頃には夕飯の献立の構想を練るって、じいから聞いているのに…。」
小学校の頃から男が1人で一戸建てに住んでいる、この状況のどこが『一般家庭』だ?
「そんなに心配してくれるのなら、命が作れ。俺もたまには、家事を休んでみたいからな。」
俺の軽い冗談に、命も合わせて乗ってくれた。
「無理よ。私、かぼちゃの煮つけくらいしか作れないのよ?」
「十分だろ、それ位出来れば(汗)。」
あまりに現実染みた発言に、正直引いた。俺が返す言葉に悩んでいる時、命はふと、テーブルの上の新聞紙に目を留めた。
「なになに…『結果大勢の男子学生を止める事が出来なかった警備隊は、その体制に問題があるとして、現在様々な機関が修正を求める声を――』…ふぅ、茜さんたちも、困ったものね。ちゃんと真面目に働いてくれていたのに、メディアにはこんな事ばかり書かれちゃって…。」
大きな声で独り言を呟く命に、俺はふと疑問を抱いた。俺はゆっくりと彼女の横まで歩き、音を立てずにソファに腰を下ろした。
「命。」
「どうしたの?」
「俺たち、恋人じゃ…無いよな?」
静かに、そっと投げかけた俺の質問に、彼女は仄かに笑みを浮かべながら、答えてくれた。
「えぇ、違うわね。」
「だよな?」
「でも、『何か?』って尋ねられても、困るわね。」
「だな。」
俺も自然と口元を綻ばせていた。傍から見ても、俺たちは仲がよく見えると思う。だけど、それを『恋人』と呼ぶには、何か不自然だった。『恋人』を見つけるために起こした騒動の結果は、『恋人とは呼べない誰か』――いや、『命』を見つける、という結果になった。
誰がどう言おうとも、それで十分だった。少なくとも俺は、俺たちは、それで良かった。
「…さぁ、煮つけだけ作って、帰るわ。」
「えらく中途半端な行動だな。居るのか?帰るのか?」
「居るのよ、帰りを惜しんでね。」
今の生活はもう、いつも通りでは無い
友も、自分も
自分を取り巻く環境も
…
これでいい
これで十分だ
他に何を望む?
「他に何を望む…?」
第0章 完
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