>>The Voice Of Energy
「小等部と中等部の子は、皆避難した?」
「はい、後は高等部だけです。」
誰もいない廊下の真ん中で、王室の会員の少女が2人、慌しく口を開いていた。男たちの勇ましくも馬鹿らしい騒ぎ声の響く中、2人は高等部へと繋がる渡り廊下を歩いていた。
「全くもう、やんなっちゃうわね。せっかくの金曜日だって言うのに、こんな騒動なんか起こすなんて…。」
その内の背の高い方の少女が、ポツリと文句を言った。その言葉に反応するかのように、背の小さな少女はまだ幼さの残る声で喋りだした。
「でも、何だかナンパ大会になってるらしいよ?もしかしたら私たちにも、格好良い人が現れたりして?!」
「こら、現実を見据えなさい。」
少しだけふざける少女に対して、背の高い少女は真面目半分、冗談半分で怒った。かく言う彼女もその期待が無い訳ではないが、やはり目を爛々とさせた男たちに、女性としての警戒心が許さない。
「…それにしても、何だか地面から音がしない?」
ふと隣の少女が、そんな言葉を漏らした。彼女は立ち止まり、耳を澄ましてみると、確かに足元の方から何か物音がしているような気がした。
「本当だ。それに何だか、地面が揺れているわね…?」
「お姉さまに報告した方が良いのかなぁ?」
彼女の言う『お姉さま』とはもちろん、セラの事である。背の高い方の少女はしばらく悩んだ後、自分に納得させるように結論を出した。
「きっと、あの男たちを警備員が懲らしめている音よ。それに私たちは、学生を避難させる仕事が残っているわ。急ご。」
「あ、待ってよー!」
置いてけぼりにされた小さな少女は、慌てて連れの女の子を追いかけていった。そして彼女たちが立ち去ったその廊下の真ん中から、銀色に光るクワガタがコンクリートの壁を突き破ったのは、廊下に静寂が訪れた時だった。
>>シンゴ
「や、やべぇ!!」
渓のやつ、一気に天井を突き破っちまった。
「全く…逃げ足だけは、昔からぴか一なんだから。」
銀の鎖を手繰り寄せ、地上へと投げ出されたクワガタの頭部を取り戻し、渓は俺をキッと睨んだ。
「逃げ足だけね!!」
耳障りな音と共に、再びクワガタの頭部は、俺の体目掛けて突進してきた。間一髪で俺はそれを木刀で切り払うものの、その一撃は恐ろしいほど強く、重い。木刀越しに伝わる衝撃に手が麻痺しながらも、俺は木刀を両手で握り締めていた。
「晃平、もう楽になりなさい。あなたの手、私のジャミロクワイで血だらけじゃない。そのまま木刀を地面に捨てて、両手を挙げなさい。」
偉ぶった態度で俺に指図する渓の姿を見ていると、何だか腹が立ってくる。俺は無理やり笑顔を作ると、生意気にもこう言ってやった。
「んな事する訳無いだろーが。それにお前の心獣が直接傷つけた訳じゃねーし。」
「なっ…!」
「それに、そんな無抵抗でカワイソーな男を痛めつける趣味なんて、お前にあったって事の方が、俺はお手上げだね!」
次の瞬間、ジャミロクワイの頭部は、俺の頭部を狙って飛んできていた。あまりに突然な出来事に、両手は全く動かなかった。しかし幸いにも、俺の頼りない膝小僧がバランスを崩してくれたおかげで、運よく俺はそれをかわしていた。
「…本当、逃げ足だけは天下一ね!」
悔しそうな声を上げる渓に、俺は慌てて立ち上がった。
「な、何だよ!悔しいんだったら、口で言い返せばいいだろーが!」
「私が口よりも手が出る性格だって事、晃平なら知っているでしょ?」
口だけなら俺の方が勝っているのに、心獣とか戦闘とかになると、話が別だ。俺は日々をゲームで過ごす鈍ら小僧、対する渓はスポーツ推薦で女学院に入学した、タフな心獣使い…俺の方が分が悪かった。
「(ちくしょー…何でまた俺が、渓と張り合ってんだ?)」
頭の中に浮かぶ疑問を払いつつ、俺は今の状況を確認していた。
先程から渓が連発している、クワガタの頭部を突貫させる技は、俺たちが『ファンク・オデッセイ』と名付け、定着したものだ。本来の重量とスピードにより、非常に重い攻撃になっている。俺の『ビター・スイート』を使用すれば互角になるだろうが、悲しいことに俺の力が尽きてきた。正直なところ、あと1回でも出来るかどうか、自信が無い。
それならば、接近戦で何とかなるか?――いや、無理だ。渓は短距離選手だ、体力では俺よりも勝っている。それにあの強力な蹴りを食らったら最後、俺は本当に二度と目覚めないかも知れん。
「(とにかく、ここは間合いを取って、様子を見ておいた方が良いな。)」
そう心に決めた俺が驚いたのは、その次の瞬間だった。渓は心獣を使用せず、俺に向かって走ってきたのだ。もちろん、俺の態勢は整っていない。
「えぇい!!」
力いっぱい振り下ろされたその一撃は、俺の腹に深くめり込んだ。微妙に嫌な音を耳にしたと同時に、俺の体は背後へ吹っ飛ばされていた。
「『ファンク・オデッセイ』!!」
そして俺の体目掛けて、ジャミロクワイは牙をむいた。銀の頭部は俺の腹――同じ部分を叩きつけ、俺をコンクリートの壁へぶつけた。痛いという感覚よりも、これほどまでに吹き飛ばされた自分が情けなく感じた。じりじりと近寄ってくる渓に対して俺は、這い蹲るのが精一杯だった。
「哀れね、晃平…無茶な事するから、こんなにボロボロになるのよ。」
激しくは無かったが、どうやら出血しているらしい。二度も連続で叩きつけられた腹を押さえると、少しずつ血が滲むのが分かった。
「さぁ、今度こそその木刀を置きなさい。今ならまだ楽に逝かせてあげられるわ。」
俺は右手に握り締められた木刀を、目の片隅で睨んだ。全く…こんな状況になったっていうのに、よくこれを手放さなかったもんだぜ…。
「晃平!!」
しばらくの沈黙の後、俺と渓の間に響いたのは、木刀を捨てる音ではなく、俺が地面に立つための杖としての、木刀の軋みだった。
「誰が…手放すかよ…。」
気持ち悪いほど静まり返ったコンクリートのシェルターの中、俺は搾り出すように声を出した。
「お前のジャミロクワイと同じ…この木刀は俺と一心同体だしよぉ…やっぱ手放せねぇよ…。」
「……。」
「俺ってよ…馬鹿だからな…。」
すぐさま反論でもするかと思っていたが、渓の口はなかなか動く気配を見せなかった。
「本当…。」
少し忘れかけた頃に、ようやく渓の口が動いた。
「本当、あなたは無茶なんだから…。」
「そうだっけ?」
そのまま認めると何だか悔しいので、俺は少しとぼけてみた。渓の口調は、いつものようなハキハキしたものでは無かった。
「何やったって不器用で…馬鹿で…私や遥ちゃんに迷惑をかけたり…。」
「…。」
「どう考えても無理だと思う事でも、根拠の無い自信で押し通そうとしたり…。」
「…悪かったな(泣)。」
確かに言われれば、俺も相当無茶な事をしてきたもんだぜ。…この作戦も含めて、な…。
「…独り言だけど…。」
突然、渓の口調が暗くなった。普通の人間にしてみれば些細な違いだが、子供の頃しばらく一緒に生活した事のある俺からすれば、その違いが手に取るように分かった。言う事を聞こうとしない体で、無理をして顔を渓の方へと向けた。
「…そんな晃平…嫌い…じゃないな…。」
顔は見えなかったが、瞬きと同時に1滴の液体が俺の足元へ飛んだのを、俺は見逃さなかった。
「さ!!もう準備は良いわね?!」
渓は一気に目をこすると、俺への最後のとどめを刺すために態勢を整えた。ジャミロクワイを頭上より高く構えるその姿勢で、渓のしたい事が分かった。俺はそれを何度もされた事があるから、渓の最後の技を読む事が出来た。ジャミロクワイは装着している本人には感じられないが、その一撃はかなり重い。その腕と自慢の足で連続打撃を与えた後、得意のファンク・オデッセイを叩き込む――それが渓の得意技『天誅』だ。
「これで最後にするわよ!!」
渓の怒りに満ちた目を俺は、呆然とした顔つきで眺めていた――
気付いた時には俺は、渓の心獣付きの右手を、左手1本で受け止めていた。それは、自分でも信じられない程のスピードだった。あの渓のパンチよりも早く俺が腕を伸ばした事は、この人生で1度たりとも無かったからだ。そして驚いたのは俺だけでなく、渓も同じだったらしい。金属の鈍い音がしたと同時に、彼女の呼吸の音がしなくなったからだ。
「『覚悟』だって?」
俺はポツリと呟いた。本当ならそんな言葉よりも、掌の筋をいくつも切った事を泣き叫びたかったが、俺の怒りはそれすら忘れさせる程だった。
「何が『私は覚悟が出来ている』だ…。」
右手に握り締められた木刀を握りなおすと、俺は目をカッと見開いた。
「昔思い出して泣いた奴の、どこが『覚悟』だ!!」
俺の絶叫と共に、木刀は激しい炎を纏いながら、ジャミロクワイの頭部に横から突き刺さった。串刺しにされた事を苦しむかのように、頭部はクワを開閉しながらもがきだした。その度に俺の左手は痛みを増していったが、もう俺の左手に痛みなんてものが無かった。
「『覚悟』ってのはな…『覚悟』ってのは、こーゆー事を言うんだ!!」
木刀を天井に向けて振り上げたと同時に、金属の塊で出来ていたジャミロクワイの頭部は、嫌な音を上げながら2つに引き千切られた。木刀は一緒に鎖にも刺さっていたらしく、頭部と胸部を強固につなぐ鎖すら、数個の破片と化してしまった。
「……!?」
俺が木刀を振り下ろそうとする姿を察知して渓は、すぐ防御の態勢に入った。残されたジャミロクワイの腹部は、防御専用の盾になっている。強力無比のその盾に隠れ、俺の最後の一撃を受け流す魂胆だ。
「無駄だ!!」
目の前の渓しか見ていない俺にとって、ビター・スイートが起こした青白い炎の姿など、まるで目に見えていなかった。これまでの人生の中で最高のスピードとエネルギーを持った一撃は、激しい音を叩き出し、ジャミロクワイのど真ん中に突き刺さった。
「くっ…!!」
そう渓が小さく叫ぶと同時に、ジャミロクワイに小さな亀裂が入った。そして亀裂は徐々に大きくなり、それはとうとうジャミロクワイの端をつないだ。俺は木刀を数ミリ動かすだけだ。それだけで渓の心獣は、数個の破片と無数の欠片へと姿を変え、コンクリートの上に散ってしまった。
「…ぁ…。」
渓の口から漏れた言葉は、その一言だけだった。絶望感にも似た彼女の声は、俺たちの勝負を決着付けるのに十分だった。疲労感と激しい痛みを感じながら、俺は必死に口を動かした。
「分かるか…これが…これが『覚悟』だ……これが俺の『覚悟』だ…。」
世界がだんだん白くなるのを感じながら、俺は意識を失った。
燃料切れ――
俺の動かない体を動かした心獣も、とうとう燃料が切れてしまった
今日の俺はもう、心獣を使用できない
…まぁ、元々動けねーんだから、そこらへんはどうでも良いけどよ…
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