>>シンゴ
「えっと…距離とか方向とか考えると、大体この辺で良い筈だな。」
比較的コンクリートの薄い場所を探し当てた俺は、天井を睨みつけた。この天井をぶち抜いた時、ようやく俺は、俺たちは、この水路に勝てた事になる。
「あの時の雪辱…晴らさせてもらうぜぇ!!」
俺は木刀を両手で握り締め、力一杯振り上げた。
「『ビター・スイート』ぉぉぉ!!」
叫び声と同時に、木刀から紅蓮に染まった炎が舞い上がり、強烈な勢いでコンクリートを叩きつけた。しかし天井は少しだけヒビが入っただけで、まだまだ破壊には至らない。
「はぁはぁ…本当にお前、固いんだなぁ…色んな場所で使われるだけの事はあるぜ…。」
人類の叡智がまさかこんな所で牙を剥こうとは、誰も想像しなかったに違いない。俺は再び木刀を握り締め、心獣をぶつけた。その激しい衝撃は、地上の人間にも気付くとしか思えないくらいだった。しかし俺は、そんな事で迷っている場合では無かった。俺は単純だから、頭の中は、この天井に対する憎い思いしか無かったのだ。
「俺ってバカだからよぉ…これ以外に思いつかねぇんだよな!」
俺は飛び散るコンクリートの中、何度も木刀を振り回した。破片が目に入らないように気を付けながら、徐々に光を見せ始めた天井に、俺の叫び声と共に最後の一撃を与えた。途端に天井はガラガラと大きな音を立て、目の前にはポッカリと光の洞窟が現れた。
「よっしゃ!とうとう風穴開けてやったぞ、この野郎!」
その時は嬉しさのあまりに気付かなかったが、俺は一体、何故この時だけ成功したのだろうか。これ程簡単に壊せるのなら、あの時も壊せる筈なのに。
「見たか、コンクリ!!俺の恨み・辛み・妬み・嫉み・もどかしさが、とうとうお前を越えたぞ!!」
ただ言えるのは、精神的にハングリーな奴ほど、思いもよらない力を発揮するという事だけだ。天井を破壊することに貪欲になった俺は、ようやく胸の内に残っていた燻りを消す事が出来たのだ。
「カッカッカ…さて、そろそろ地上に上がってみっか!」
俺は焦げ付き始めた木刀を帯に納め、コンクリートの天井に手をかけた、次の瞬間だった。金属が擦れ合わさるような耳障りな音を聞き取り、すばやく天井の穴から俺は離れた。着地した瞬間、俺の足元に金属の塊が突き刺さった。その反動で飛び散ったコンクリの破片を木刀で切り払いながら、俺はその見覚えのある金属の塊に、ゾッとした。
「なぁ〜にが、『恨み・辛み・妬み・嫉み・もどかしさ』よ!せっかくそこまで言葉が出て来たのなら、最後まで言葉尻を合わせなさい!」
足元に突き刺さる銀は、まるでクワガタムシの頭部のような形状をしていた。その後ろから穴の外に向かって、1本の鎖が伸びていた。ギロリと睨む銀色のクワガタムシは、クワを大きく動かして自力でコンクリから抜け出し、さらに大きく開いて俺を威嚇した。
「そうねぇ…『僻み』なんて良いんじゃないの?あんたのその低能じゃ、そんな語呂が無かったに違いないだろうけど。」
そう呟いていた女は、地上からこの水路へと入ってきた。右二の腕にはクワガタムシの体がくっついていて、俺の足元にある頭部と鎖で繋がれていた。制服を少しだけ直した後、俺の方を睨んだ女の顔を、俺は忘れている筈が無かった。
「久しぶりね、晃平。」
「け、渓!!」
俺の叫び声が、水路にうるさいほど響いた。渓は右腕を背後へ引き、器用に頭部を自分の元へと引き寄せた。その頭がくっつくと同時に金属音が、先程よりもうるさく響いた。
「…少し、質問があるわ。」
そう呟く渓の姿は、幼い頃から遊んでいた従姉妹の顔では無かった。
「この間あなたと出会った時も、それよりも昔にここに忍び込んだ3人組も、そして今回の騒動も…晃平の仕業かしら?」
やばい。何がやばいって、渓のあの目がやばい。何か言わねぇと俺、本当に殺されちまう!
「いや、今回の騒動は…俺の仕業って訳じゃ無くてだな…その――!」
「今頃言い訳しても、もう遅いわよ!全ての状況証拠が、あなたが主犯である事を指しているわ!その証拠にあなた、こんな所から忍び込もうとしたじゃない!!」
「そ、それは偶然で、本当の主犯はもっと、別に――!」
その瞬間俺の視界に、銀色の物体が飛び込んできた。俺は慌てて木刀を握り締め、前方から突貫するクワガタムシを切りつけた。心獣つきの俺の一振りはうまくクワガタムシに命中したものの、そのあまりの重さに俺は体ごと弾かれた。慌てて全身で受身を取り、先程の頭部が水路の先の壁に突き刺さるのを見た。
「け、渓!!」
渓の心獣の事は、俺がよく知っている。『ジャミロクワイ』と名づけられたクワガタムシ型の兵器は、渓の右腕全体を覆うように現れる。銀色のボディから大きく伸びたクワが特徴で、そのクワに触れたものを刃物に変化させるのを得意としている。またその頭部と体は鎖を通じて切り離しが可能で、今みてぇに頭部だけを発射する事も出来る。でも俺は、それを本当に使用している所を見たことが無い。
「渓!危ねぇだろが!!」
「…危ない…?」
俺の言葉に渓はうっすらと笑い、
「今から始末する相手に、危なくない事をすると思ったの?」
「渓…!」
「晃平…あなたを始末できるのは、あたしだけ…それは昔から変わらないのよ。」
渓は壁につきささった頭部を鎖で引き戻し、再び結合させた。そして俺を魚のような目で見つめる姿に、俺は背筋が凍る思いをした。
何故渓が今の技を使用しないか――それは、発射された頭部は勢いがありすぎるため、狙った先が人間の体の間接部だった場合、簡単に切断してしまうからだ!
「私は女の子だから…この学校の味方だから…晃平、あなたを始末する!」
渓は本気だった。俺の目の前で対峙するあの生徒は、渓であって渓では無かった。再びジャミロクワイの頭部が、俺の首を狙って発射された。この時になってようやく俺は、俺と渓の命が天秤に差し出された事を自覚した。
「やるってんなら、俺だって手加減しねぇぞ!!」
今の俺にはそれしか無かった。飛んでくる頭部をしゃがんで回避し、俺は一目散に渓の元へ駆け寄った。そのまま体のどこかでも蹴れば、何とかなると思った。しかし渓の口元が微妙に動いたのを察知し、俺は慌てて背後を振り向いた。渓はいつの間にか頭部を引き戻していたらしく、わずか数メートルのところまで頭部が襲ってきていた。
「うわぁっ!?」
咄嗟に俺は横へ飛び、そのままコンクリの地面を木刀で叩きつけた。木刀は地面にめり込むようにコンクリートを押し分け、その破片は渓の元へ飛んでいった。この俺の牽制に頭部を取り戻した渓は、心獣に身を隠した。そして乾いた音を響かせながら、ジャミロクワイはコンクリートの破片を弾き飛ばした。
「くそっ!」
銀色に光るジャミロクワイは、全身を金属で覆っている。石灰石の破片など相手にならない。そのまま接近戦に持ち込みたかったが、生憎渓も接近戦が得意だ。俺にすばらしい作戦を思いつく力がある訳じゃねぇが、ここは一旦物陰に隠れた方が良い。幸い渓は心獣に隠れて、俺の行動が見えていない。俺は全速力で駆け出し、十数メートル先の曲がり角を目指した。
「…逃がさない…!」
彼女は小さく呟くと、懲りずにもう1度頭部を発射してきた。地面すれすれを飛んでいるところから、俺の足を狙っているのは明らかだ。俺は小さな叫び声を上げ、ジャンプで頭部をかわした。俺がまだ空中にいる時その頭部は、再び壁にめり込んだ。俺の体の下には、それと渓をつなぐ、やはり銀色の鎖が待ち構えていた。俺が着地した瞬間、その鎖は左右に大きく揺れ、俺の足をすくおうとしてきた。もしこの鎖に足を絡められたら、どうなっちまうか分からねぇ。慌てて鎖から離れ、結果的に俺は水路の脇に追いやられた。背中にコンクリートの冷たさを感じた瞬間、左耳から足音が聞こえた。
「くっ!?」
左脇腹に鋭い痛みが走った。俺がジャンプしていたあの瞬間の間に、俺の元までやって来ていたのだ。ちくしょう、渓の奴、足が速いんだった!
「蹴りか…?!」
いくら渓が男勝りだと言っても、体はか弱い女性なのは、渓自身も認めている。そんな彼女が俺に勝つためには、その自慢の脚力を使った蹴り以外に存在しない。思わぬ渓の一撃に怯んだ瞬間をついて、渓は埋もれた頭部を鎖で引き抜き、すぐ俺の胴体目掛けて飛ばしてきた。俺は何とかその軌道を見切り、斜め前方に飛んだ。
「『ジャミロクワイ』!!」
渓の叫び声が、水路に響き渡った。壁にめり込んだ頭部は、コンクリートの破片を俺に飛ばしてきたのだ。小さな破片だと思ったのが失敗だった。渓はジャミロクワイを飛ばすことよりも、触れた物質に刃物のような『鋭利性』を与える方が得意なのだ。普段なら当たるだけでどこかへ吹き飛ぶコンクリートの破片が、俺の左腕と体に深々と突き刺さった。
「…っ!」
声にならない声で唸りながら、俺は何とか立ち上がった。破片が小さかったためか、体を動かすのに影響が無かったのがラッキーだった。
「晃平…覚悟は出来ている?私は出来ているわ…。」
搾り出すようにして出されたその言葉に、俺は次に何をすれば良いのか、決めかねるのだった。

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