>>シンディ
周囲に人の姿が無い事を確認し、私はいそいそと木陰から姿を現した。
「ふむ、若干時間差を作っておけば楽かと思っていたが…まさかこれ程とは、私も想像しなかった。」
正面入り口で暴れまわっている少年たちを抑えるのに必死なのか、正面から見えた校舎を1つ越えたこの場所は、もはや警備員たちの死角になっているらしい。いくら情報化が進んだ現代でも、人間の力は進歩していないようだ。
「…こちら篠塚。拓弥、聞こえるか?どうぞ。」
ポケットに忍ばせていた無線機を取り出すと、私は静かに呟いた。
『はい、こちら本部の水鏡です、どうぞ。』
「何故お前がいる?!あぁ?!」
『えぇ!だ、だって北岡先輩、さっきからずっと寝てばっかりだから…代わりに僕が…。』
私の口調に驚いた水鏡は、ボソボソと弁解を始めた。別に責めた訳では無いのだが、その行動が水鏡らしいと言えば水鏡らしかった。
「そうか。ではこれからは水鏡が対応するのだな?」
『そうです、そうです。それで先輩、何かありましたか、どうぞ。』
「そうだな…正門から見える校舎の裏側が、今なら警備が手薄だ、と伝えておいてくれ。」
喋っている間も私は周囲を見渡していたが、人っ子一人やって来る気配が無い。それなら皆にも伝えておくに越した事は無い。
『はいはい、分かりました。それでは先輩も頑張って下さい、どうぞ。』
無線機の奥から聞こえる水鏡の声は、そこで途絶えた。これは便利だ、と思いながら私は、無線機を元のポケットの中へと戻した。
「さて、と…これからどうすれば良いのか…悩むところではあるな…。」
眼鏡のズレを直しつつ、私は少し考えようとした、次の瞬間だった。私の近くで何かが爆発したのか、急に目の前の校舎に穴が開いたのだ。
「うわぁっ!!!」
周囲の地面すら揺らすその衝撃は、校舎の壁をいとも簡単に粉砕し、私の頭上に降りかかってきた。
「『デッドリー・アッシュ』!」
私は、これ以上驚いている暇は無かった。私は間髪入れずに心獣を出し、砂のかまくらを作り出すとその中へ入り込み、瓦礫から身を守った。心獣を通して、破片がかまくらの天井に突き刺さるのが分かった。いくつかの瓦礫は周囲に生えていた木々に衝突したらしく、木が折れる時の渇いた音も響いていた。
「な、何なのだ、これは?!」
必死にかまくらの壁にしがみつきながら、私は想像を膨らませた。どこかに隠れ潜んでいた警備隊による攻撃だろうか、それとも男子学生の心獣だろうか、はたまたこの騒動に紛れてのテロ活動だろうか。
「…治まったか…。」
あたりが静かになった頃、ようやく私はかまくらの中で立ち上がった。一体今の衝撃は何だったのだろうか。目まぐるしく働く私の思考回路は、かまくらの天井を突き破って落下してきた1人の少女の登場によって、一瞬にしてフリーズするのだった。
「うわぁっ?!」
「きゃっ!!」
その少女は不届きながら、私の真上から降ってきた。それだけの瞬発力を持っていない私は、少女の体に体当たりを食らい、少女の体重以上の力で圧迫された。胸の方から何かが折れるような、鈍く嫌な音が聞こえた気がしたが、それを気にする程私は落ち着いていなかった。落下してきた少女の下敷きになりながら、私は何とか目を開けた。
「痛てて…夏なのにかまくらで助かったぁ……。」
体のあちこちに擦り傷を負ってはいたが、どうやら無事なようだ。非常にゆっくりとしたスピードで、彼女は私の上から体をどけた。
「…あ…。」
「全く…今頃気付いたのか…。」
急な出来事に私は混乱していたが、どうやらこの少女は先の衝撃に巻き込まれ、空中に飛ばされ、私の頭上へ降ってきたらしい。少しでも距離が違えば彼女の体は、固く冷たい地面に投げ出されていただろう。全くもって、何と運の良い人間だろう。
「本当にお前は、運の良い奴だな…。」
そう呟いたものの、その助けてもらった恩人への第一声が『あ。』だけとは、何と無礼な女だ。下手をすれば私は肋骨を骨折したかも知れないと言うのに、もう少し私に対する配慮があって当然だ。それでなくても私はぶつかり損だと言うのに。
「とにかく…私に何か言う言葉があるだろう…?」
「…あ、あぁ…。」
私の注意でようやく気付いたのか、少女は少し慌てふためいた。そうそう、始めから素直に『ありがとうございます』と言っておけば、何も問題は起こらないのだ。肩まで髪を伸ばしたその少女は、とても可愛らしい笑顔で、
「チョーカー、お似合いですよ。」
「そんな訳があるかああぁぁ!!!」
怒りの鉄拳を、砂の壁に本気でぶつけた。
「もっと大事な言葉があるだろうが!?『ありがとうございます』とか?!『助かりました』とか?!あぁ?!」
「あ、本当だ、ありがとうございました。でも、よく似合うなぁ、そのチョーカー。」
「後半が余計だ!!」
少女の頓珍漢な返答に、私は体中の痛みを忘れて、怒りに任せて立ち上がった。私よりも背の低いその少女からしてみればこの行動は、いきなり立ち上がって襲い掛かる野生の熊のそれと何ら変わりが無いに違いなかった。
「ひっ?!」
「ようやく気付いたか?!でももう遅いからな!もう遅いからな!助けてもらった恩人に向かっての第一声が、何が『チョーカー、似合っています』だ?!まずは相手への感謝の意を表してから、その後に会話へ入るところを、何故お前は会話から入る?!何故?!しかも私への感謝の言葉がまた取って付けたような言い方で、またそれが気に食わん!!おかしい!完全におかしい!順番がおかしい!それでよく今の今まで生きてこられたのか、私が聞いてみたいものだ!!」
かまくら中を歩き回りながら喋り続ける私の姿を見て、始めは怯えるばかりの少女も、次第に笑顔を取り戻し、
「でも、よく似合っているよ、そのチョーカー?」
「人の話を聞けえぇぇ!!!」
『怒り』という言葉などでは表しきれないほど、私は憤怒した。人の話を聞かないような輩に、一体これから何の価値があるというのだろうか?!私の怒りはエゴなどでは無く、明らかに世間の代弁である!ここまで言われてもまだ私のチョーカーを物欲しげに見つめる少女の姿を見れば見るほど、私の怒りは募るばかりであった。
「どうだ?!何か言いたい事はあるか?!」
「うん。」
さっき私に罵倒された事など覚えていないのか、この緊迫した空気の中で少女は、常人には真似の出来ない程笑顔を浮かべた。
「まず色が肌に合っているから、着けても違和感無いし、それにベルト部分のデザインが四角くて知的な印象を与えるから、眼鏡との相性も抜群だよね。それにベルトと同じ構造になっているから、一般的なタイプとは一線を画している事を――」
「これだけ言っておいて、まだチョーカーに触れるかあぁぁ!!!」
私は狂ったように砂の壁に自分の頭を打ちつけ、伝えたい事が伝わらない、このもどかしさに苦しんだ。尤も、砂の壁では少しも痛くは無いが。胸と背中の痛みに耐えているため、私の呼吸は少しずつ速くなっていた。そしてしばらくの沈黙の後、私は静かに呟いた。
「…え、似合っている?」
「うん。」
「本当?」
「本当だよ。」
「へぇ〜…。」
そう言えば生まれてこの方、これだけチョーカーを褒めてくれる人もいなかった事に気付き、私は少し照れていた。『首輪』としか言われなかったこの私の『こだわり』に、こんな少女が気付くなど、誰が想像していただろうか。私は自分の体温が上昇するのを、脳裏の片隅で感じていた。
「本当に?本当に似合っている?」
「ばっちり!」
目の前でピースサインを作る少女の姿を見て、私も思わず右手でピースを作ってしまった。
「そうか…そうだな…そうだな、うむ!あいつらがこの素晴らしさに気付かなかっただけだな!」
「よっ、チョーカー男爵ぅ!」
「…それは褒め言葉か?」
よく分からない会話だが、どうやら私は褒められているらしい。否定的な言葉を口にしてはいるが私は、褒められて陽気な気分になるのだった。
「…。」
まずい。さっきまでの怒りが完全に消えてしまった。人間の興奮作用を促す交感神経が静まったせいか、急に体中が痛み出してきたのだ。私は静かに呻きながら、ゆっくりと地面に体を横たえていった。
「あっ、大丈夫?!」
「こ…こんな状態で誰が大丈夫だ…痛たたた…!」
私は特に痛む胸を押さえながら、ゆっくりと這いつくばった。
「どどど、どうしよう、どうしよう…?!」
苦しむ私の姿を見て混乱したのか、少女は慌てふためき始めた。その前方に頼りなく突き出した両手に、何かしなければならないという不安が見て取れた。
「あ、あの!私、人を呼んでくるから!」
「えぇっ?!」
彼女のその突然の告白に、私は一気に心拍数が上がった。こんなところで倒れている男子学生なんて、どう捉えても暴動した生徒としか見られない。そんな私の元に誰かが来れば、自分の身が危険になるのは目に見えている。たとえ私の心獣が追っ手を撒くには最適だと言っても、この全身を襲う痛みに耐えながら敷地から出るのは、容易な事では無い。
「動かないで、そこで待っててね!」
「ま、待ってくれぇ!行かないでくれぇ!」
「すぐ戻ってくるからね!」
私の悲痛な叫びなどお構い無しに、少女はかまくらを出て行ってしまった。本当ならかまくらの入り口を塞ぐべきだったのだが、生憎私は先程の衝撃でかなりの力を使用してしまい、この形を維持するので精一杯だ。もしあるとしても、この痛みではろくに操れないだろう。
「…くっ…!…もう私は終わりだな。」
これ以上逃れられないと判断した私は、体を動かす事を諦めた。もう、なるようになってしまった方が早いに違いない。もうこうなってしまったら、たとえ疑われても、何とかして言い逃れるよう努力するだけである。私は体を仰向けにすると、深呼吸をした。
「全く…あの女のおかげで、面倒な事に巻き込まれてしまった…全く…。」
何度も文句を言いながら、私は先程の彼女の言葉を思い出し、また照れるのであった。
>>命
「また会ったわね、いつぞやの学生さん。」
もう駄目かと思われていたのに、智尋は元気一杯で帰ってきた。そしてチョーカーだのかまくらだの訳の分からない事を口走りながら、私を砂のかまくらへ連れてきたのだった。
「意外とやるじゃない、あの子を助けるなんて。」
「別に、助けたくて助けた訳じゃ…痛てて……!」
そして私の連絡を受けてじいが、数名のスタッフを引き連れてやって来た。彼は即席の担架に乗せられ、秘密裏に車の中へ入れられた。
「しっかり診てもらいなさい。後頭部への衝撃は、意外と命に関わる事があるから。」
その異様な空気に馴染めないのか、じいは私に喋りかけてきた。
「お嬢様…一体、どういう事なのでしょうか?今回の暴動事件のリーダーの側近ですぞ?それをこれ程丁寧に扱うだなんて…じいは理解に苦しみます。」
いくら私と一緒にいる時間が長いじいとはいえども、私の思考には着いていけない。私は怯える智尋の肩を抱きながら、静かに口を開いた。
「この人が私の親友でもある智尋を助けたから…私からのささやかなお礼、とでも言えば分かるかしら?」
「…分かりました。」
それだけ呟くとじいは私の元から離れ、車の方へと歩いていった。私は少し縮こまっている智尋に向かって口を開いた。
「智尋。あなたも着いていきなさい。」
「え?何で?」
真顔でそう尋ねる彼女の姿を見て、私は拍子が抜けた。
「『何で?』って…あなた、助けられたでしょ?もう少しお礼していきなさい。先生たちには私から連絡しておくから。」
「は〜い!」
彼女は元気よく返事をし、元気よく車に乗り込んだ。彼女が扉を閉めると同時に、目の前の車は発車した。初夏の心地良い空気に似合わない煙だけを残し、建物の陰に隠れる車の姿を、私は見送っていた。
「…さ、それじゃ私も出かけなくちゃ…彼を待たせる訳にはいかないわ…。」
風に揺れる髪を掻き上げながら、私は校舎の方へと戻って行った。
|