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「遥ちゃん、大丈夫?」
少しだけボーっとしていた時、お姉ちゃんの友達である由香さんが、わざわざ私に声をかけに来てくれた。
「だ、大丈夫ですけど…。」
「そう、それなら良かった。」
胸を撫で下ろす彼女に、私はどうにも納得がいかなかった。
「それより由香さん、どうして私の所へ来たんですか?」
「うん、まぁ、渓に言われてね。」
「お姉ちゃんに…?」
「そ。『私はこれから男どもを抹殺しに行くので、代わりに遥の様子を見に行って!』…って言われたもんだから、こうやって走って戻ってきたって訳。」
確かに、私の事をよく心配してくれるお姉ちゃんらしい気遣いだけど、
「私、そんなに子供じゃないよ?」
10歳を過ぎれば、大体自分が何をするべきなのか、分かると思うけどな。少しだけムッとする私に、由香さんは笑って答えてくれた。
「高校生から見れば、11歳なんて子供よ。」
「もう12歳になりました。」
「12歳でも子供なの。私なんか17歳よ?」
その時、廊下から女性の大きな声が聞こえてきた。
「お次は2年2組ですわ!早く行くわよ!」
その声にクラスの皆は、渋々廊下へ出て行った。聞き覚えのある声に、由香さんも少しだけ顔つきを変えた。
「本当、王室の会員は大変ね。お金しか能の無い人も、こうやって仕事に回されるんだから。」
「…今来た人って、もしかして絹井さんですか?」
同じクラブに所属する由香さんは、以前から彼女に対して良い感情を持っていない事を、お姉ちゃんから聞かされていた私は、なるべく由香さんを不快にさせないように口を開いた。
「そうよ。ま、流石に今日は彼女の言うとおりにしておいた方が無難ね。」
そう言って渋々立ち上がる由香さんをよそに、私はイスに座ったままだった。
「…どうしたの、遥ちゃん?」
「私…お姉ちゃんと一緒に行きたいな…。」
「駄〜目!いくら遥ちゃんが強くても、12歳の女の子はあんな所に行っちゃ駄目。」
「ぶ〜…。」
服の裾を引っ張られながら、私は渋々教室を後にした。


「それにしても男子たち、一体何がしたいのかしら?」
足早に歩きながら、由香さんはポツリと呟いた。本当は私はその答えを知っているけれど、ここで口にするのはあまりに危険すぎるので、黙ったままでいる事にした。その時だった。
「それはもちろん、私の体に間違いありませんわ!」
長い髪をかきあげながらそう断言したのは、事もあろうに絹井さんだった。しまったと思った時は、もう既に遅かった。
「そんな訳無いに決まっているでしょ。あなた1人のためにここまで駆けつける男なんて、世界に1人いるかいないかが丁度良いわ。」
「な、何ですってぇ?!由香さん、それは言い過ぎにも程がありますわ!」
「あなたの理由だって、言い過ぎにも程があると、私は言いたいのよ!」
突如廊下の真ん中でケンカを始める2人を、私は中に割って入った。
「ふ、2人とも落ち着いてください。こんな時にケンカしている場合じゃ無いです。とにかく今は大ホールへ向かった方が…!」
「ふん!」
「ふん!」
彼女たちの手を引きつつ廊下を歩き出した瞬間、閉じていると思っていた扉が、勢い良く開けられた。
「ひゃっ?!」
私の悲鳴が、小さくこだました。その扉から入ってきたのは、5名の男子学生だった。
「あ、あそこにいたぞ!」
「誰にする?!」
「俺はあのクルクルパーマ!」
「じゃ、俺も!」
「俺も!」
この作戦がどんな目的で行われているのかを知っている私は、その声を聞いて私と由香さんがフラれた事を悟った。たとえ告白されても、あんな枯れた声の人じゃ、私はとても付き合えないけれど。
「由香さん!その子を早く連れて!」
「分かった!」
絹井さんが叫ぶと同時に、まるで息のあったコンビプレイヤーのように、由香さんは私を抱え上げ、一目散に走り出した。私が何かを叫ぶ暇も無く、あっという間に絹井さんの影は廊下の壁に消えてしまった。
「由香さん!き、絹井さんは?!」
「大丈夫!あの人は確かに嫌な人だけど、腐っても陸上部だから!」
「…そんな事言うから、ケンカするんじゃ…(汗)。」
そう呆気に取られるものの、彼女たちにとっては真剣そのものだった。2人のケンカに付き合っていたため、私たちは集団から離れてしまっていたのだ。これでは由香さんたちから見れば、自分から獲物になったも同然だった。尤も、ケンカしなければそんな事にはならなかったのだろうけど。
「あの〜…由香さん、重くないですか?」
「これくらい軽いわよ。私は槍投げのホープなんだから。」
由香さんがそう口を開いた瞬間、突如視界に数名の男子学生が現れた。そして急ブレーキをかけて止まる私たちの周りを、彼らが囲んでしまった。
「…どうだ?」
「う〜ん…悪くは無いんじゃねぇの?」
「ここらへんにしとくか?」
「だよなぁ…。」
物凄く気弱な男子学生たちは、どうも由香さんに狙いをつけたようだった。彼女は私を床に下ろし、鋭く彼らを睨みつけた。
「遥ちゃん、ここは私に任せなさい。」
「え?で、でも…。」
本当のところを言うと、由香さんの心獣は戦闘向きでは無いし、ましてや彼女はケンカ慣れしている訳でも無い。彼らに闘う意識が全く無いとはいえ、男数人を相手に出来るとは思えなかった。
「わ、私も協力するから、由香さんは――」
「駄目よ。遥ちゃんは闘っちゃ駄目なんだから。」
そう私に注意する由香さんの声は、いつもより鋭かった。それでも私は闘うつもりでいた。理由はもちろん、ここで闘わなかったら、私が彼らと裏で繋がっている事がバレてしまうかも知れないからだ。
「俺、あの小さな子にしようかな?」
「お、いけいけ!」
「まずはお前からな!」
仲間に励まされながらやって来たのは、いかにも『運動していません』といった感じの太った少年だった。よりによって私の苦手な、太った男性だった。1歩歩くたびに弾ける汗を拭いつつ、彼はポケットに忍ばせているであろう手紙を握り締めながら、私に喋りかけてきた。
「あ、あの、あの、そ、その…その、この手紙を――!」
「…お、お、お断りします!!」
言葉に出来ない程の気持ち悪さに、私は思わず叫んだ。


私の叫び声と共に彼の体は、校舎の遥か向こうへと飛ばされた。瓦礫や粉塵へと化した校舎の壁は、直径数m程の大穴を開け、外の柔らかな風を中へと取り入れ始めた。それは一瞬だった。彼らの目には、私の目の前から出現した円状の空間から、巨大な右腕が彼を校舎ごと殴りつけ、そして女学院の敷地を越えたところまで吹き飛ばす光景が、鮮明に焼き付けられたに違いなかった。しばらくの沈黙の後、急に私の頭を誰かが叩いた。
「だから闘うなって言ったじゃない!遥ちゃんが闘ったら皆、あばらの1本や2本じゃ済まないんだから!」
そう言って私を怒り始める由香さんの言葉を聞いて、残りの学生たちは一目散に逃げていった。私たちの目の前に残されたものは、私の心獣『ロスト・イン・スペース』によって開けられた校舎の穴だった。
「ご、ゴメンなさい…思わず…。」
「ハァ…本当に遥ちゃん、太った男が嫌いなのね…。」
そう呟く由香さんは頭を抱え、大きなため息をつくだけだった。しかし、ずっとそうしている訳にもいかず、私は彼女から猛省させられた後、急いで大ホールへ向けて走り始めるのだった。


どうしよう…この校舎の穴、誰が修理費を出すんだろう…?




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「避難命令だって!早く逃げなきゃ!」
慌てふためく智尋に、私は彼女の額を弾いた。
「痛。」
「落ち着きなさい。『それまでは教室で避難するように』って、テレビで言われたばかりでしょ?」
「そ、そうだけど…でも私は落ち着いていられないよぉ。」
確かに、地震でも無いのに机の下に潜り込む姿を見れば、智尋が正気で無いのは言うまでも無かった。
「(…でも、普段どおりと言えば普段どおりだけど…。)」
そう考える私に、智尋は耳元で囁きかけてきた。
「ねぇ命ちゃん、私たちだけで避難しようよ。2人くらいなら、別に邪魔にはならないよ。」
「…そうね。私も自分の心獣には自信がある訳だし、それに早く智尋を避難させておいた方が、面倒な事にならないだろうし。」
恐らく、この学校で一番面倒なのが、彼女に違いない。私はそう思いたち、早速彼女を送り届ける準備を始める。
「だけど、私はあなたを向こうまで迎えるだけよ。私は後で寄らなきゃならない場所があるから。」
「何でも良いから、早く行こうよ!」
「…それじゃ、行きましょう。」
私には、これから行かなければならない場所があった。でもそれは、彼女を大ホールへ連れて行ってからでも遅くない。私は智尋の手をしっかり握り締め、足早に教室から出て行った。


途中で誰かに会うと面倒な事になりそうだったので、わざと2階へ上がる事にした。1階にある大ホールへ向かうには、こちらの方が早く到着する事がある。渡り廊下を走っている最中に、突然智尋が私に尋ねてきた。
「命ちゃん、これからどこへ行くつもりなの?」
「少し、ね。」
「命ちゃんがそう言う時って、いつも男の子が絡むんだよなぁ…。」
そう疑う彼女の視線は、普段とは比べ物にならない程鋭かった。さすが幼い頃からの友人、と思わざるを得なかった。
「良いじゃない、そんな事は。それより大ホールへ早く行くわよ。」
「彼氏が出来たら、私や渓に教えてね、絶対だよ?」
適当に誤魔化すつもりだったのに、何故か私の意図が全て読み取られ、内心心臓がバクバク鳴り始める私なのだった。
「そういう智尋も、素敵な殿方がいるのかしら?」
「私?」
やり切れなくなった私は、慌てて話を逸らす事にした。智尋は一生懸命考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「私はね、あの――」


刹那、私の手から、彼女の温もりが消えた。
「え…。」
そう呟くのが、やっとだった。突然床が膨らんだと思った次の瞬間、激しい音と共に彼女の体が、渡り廊下の外へと吹き飛ばされたのだ。床の下に誰がいるのか、そう考えるよりも早く私は、空中で放物線を描く彼女の姿を目で追った。
「智尋!!」
もう手の届かない場所まで飛ばされた彼女の姿を、私はただ眺めるより他が無かった。視線は彼女へ向けられたまま、思わず前へ突き出した手をゆっくり引き、血が滴りだすまで私は、その手を握り締めていた。


――その穴が火鳥さんの心獣『ロスト・イン・スペース』によるものだと知ったのは、この出来事から数ヵ月も後になるのだった――

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