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私の目の前に現れた少年に、私は不満だった。嫌でも目に入るその金髪の坊主頭は、燦々と照る太陽の光を浴びて、一層視界を邪魔していた。
「邪魔よ。そこをどきなさい。」
私はただ1人、『彼』を狙っている。この一連の騒動の主犯格であり、最も影響力の大きい『彼』をやり込められたら、事態はそれで終わりを迎える筈だから。それをこの少年は私の前に立ち、それを邪魔していた。
「…俺には、ここにいなきゃならない理由がある…。」
頑として私の主張を通そうとしない少年の姿に、何か薄ら寒い空気を感じたが、私はキッと唇を噛み、髪の毛1本1本にまで神経を研ぎ澄ませた。
「それなら、無理矢理どかせます!」
私の叫び声とともに、私の背後に数体のチョコレート・ファクトリーを出現させた。それを見た少年は、心獣と思われる釘バットを握り締めた。音も無く私の分身たちは、彼の周囲を取り囲むように走り出した。1度でも相手を掴めば、私の心獣は優勢になる。ただそれだけを考えて、2体程囮のために走らせた。案の定彼はバットを振り回し、空中から襲ってきた2体を撃墜した。派手な音を立てながら、体をボロボロにして崩れ去る彼女たちの奥に、まだ残っていた最後の2体が、彼目掛けて飛び掛った。
「…ふん。」
彼の鼻で笑う声が聞こえたのは、その時だった。前方に向けた前蹴りで、1体が吹き飛ばされたのだ。飛ばされた彼女の軌道を把握していなかった残りの1体も、その勢いに巻き込まれ、ガラガラと音を立てながら動きを止めた。
「あなた、相当ケンカ慣れしていますね。」
「俺は、スターライト高校を締める寸前まで辿りついた男だぞ。これくらいで動揺しているようじゃ、頭になれないな。」
「…それなら私も、本気でいかなければなりませんね。」
この男を超えなければ、『彼』を倒す事は不可能だ。そして私には、『彼』を倒さなければならない理由がある。葉隠機動部隊隊長の名において、そして『マネキン』の名において、私はこの少年という壁を乗り越えなければならない。
「それならば私は!あなたを乗り越えます!『チョコレート・ファクトリー』!!」


…自分の持てる最大の力を振り絞った時、私の目に、今まで見た事の無い光景が広がっていた。少年の周りを逃さないかのように、100体は下らない程の数の私の分身が出現していた。さすがの彼も少し驚いたのか、それをキョロキョロと見渡していた。その様子を私は、ピクリとも動かず見つめていた。正確に言うと、動けなかった。これほどの数の心獣を操るには、想像を超える程の集中力が必要であるし、何より動けば体中が痙攣を起こしかねなかった。
「…心獣像出現型だな。それも『マネキン』という形を取るタイプだ。恐らく1体1体にエネルギーが込められていて、破壊されない限り動き続ける…。」
少年の言う言葉を、私は黙って聞いていた。その通り、としか考えられなかった。そして今の私は、もう1体も心獣を出せない状態だった。目の前にいる少年は読心術でもあるかのように喋り続けた。
「…どうやら、これ以上の心獣は出せないと見た。と言う事は、これを全て倒せば、俺の勝ちになる訳だ…。」
ただ立っている筈なのに、体中の筋肉痛を感じた。少しでも動けば、多分足を攣るに違いない。もはや私に時間は残されていなかった。ただ立ち尽くしたまま、私は大量のマネキンを、彼に向けて突貫させた。
「…俺の考えは、正しいようだ…さっきまでの威勢の良い声が、きれいさっぱり無くなったからな!」
わらわらと蠢く人間の塊の中へ飛び込む彼の姿は、修羅を掻い潜ってきた者の動きだった。彼は自分の片割れである釘バットを握り締め、縦横無尽にひた走り、私の心獣たちを粉々に打ち砕いていった。胸に穴を開けられた者、片腕を根こそぎ落とされた者、中には首を飛ばされた者もいた。それでも私は彼女たちを止める事無く、彼を襲った。数では圧倒的にこちらが有利なので、それを盾に突き進むしか無かった。それほど彼と私の心獣のパワーの差は圧倒的だった。
「もっと激しいパンチが欲しいもんだな!隣町の奴らとケンカした時の方が、何百倍もスリルがあったな!」
彼の言う通りだった。彼はただバットを振り回しているだけで私の心獣を、それこそ虫を払い落とすように倒す事が出来た。何の抵抗も出来ず、ただ真っ直ぐ飛び込んで、何も喋られない口を歪ませて、彼女たちは次々と崩れ去っていった。彼のバットに殴られた彼女たちは、体中から真っ黒な煙を漂わせ、火達磨となって灰になっていった。そんなゾッとする光景の中少年は、威勢良く笑いながら闘い続けた。
「…言いたい放題…言ってくれるじゃない…。」
その時私の口がようやく動いた時、既に私の心獣の半分近くが、瓦礫の山と化していた。どこかの爆発現場と錯覚してしまう景色の中、その少年は立ち尽くしていた。
「この優盟女学院の庭を戦場に変えたのは、あなたが初めてよ。」
「…ようやく口が動くようになったか。」
私の皮肉に耳など貸さず、彼は話題を変えた。
「あなたがいくら凄い心獣使いでも、もう戦えない筈だ。降参しろ。それなら俺は、これ以上あなたに手を――」
「断ります!!」
彼の言葉を遮って、私は叫んだ。
「私は…葉隠機動隊の隊長…私が諦めるなんて、有り得ない…!」
「無理だ。」
「無理じゃない!!」
それしか言わない彼に、私は恐ろしい形相を見せた。その姿はまるで、救いの手を拒む狂犬のようだったに違いない。本当は気付いていた。自分がもう闘えない体である事位、自分で分かっていた。でも、認めたくは無かった。葉隠家に恩返しをするつもりが失敗し、敵に情けを持たれるようでは、私の『立場』が無いからだ。
「無理だ。あなたのこの心獣は、本体であるあなたと感覚を共有している筈だ。俺がこの『アクセル・スマッシュ』で殴れば殴るほど、微弱だろうがあなたにダメージが溜まる。本当は立っていられないんだろ?」
でもいくら現実を認めまいとしても、現実に変わりは無かった。彼の言う通り、私の体はもう限界が来ていた。何十体も心獣を失ったおかげか、左手に一切の力が入らず、右足は今にも攣りそうだった。
「…最後の…突貫…いきます…!」
それでも私は、満身創痍の体に鞭を打ち、心獣を動かそうとする。ズキズキと痛む体を歯を食いしばって堪えながら、私は尚も闘う事を選んだ。
「…仕方無いな…。」
そして私が一切気付かない間に、少年は1体の心獣の前に立ち塞がった。
「軋め!嘶け!『チョコレート・ファク――』!!」


私が言い終わらないうちに、私の体の上に何かが振ってきた。いくつもの破片をまき散らしながらそれは、私の右足を強く打ちつけた。その瞬間、右足に激痛が走った。
「っ!!」
とうとう、足を攣ってしまった。私は体を支える軸を失い、緑の生い茂るこの庭に倒れてしまった。いくら手足に力を込めようとも、もう私は立つことさえ出来なかった。
「無理だ。あなたはもう立てない。」
そんな私の目の前に現れたのは、あの釘バットの少年だった。その蔑むような目つきに腹を立てた私は、動く右手で彼の足を掴んだ。そして目一杯の力を込めて、彼の足首を握り締めた。
「…痛くないが…?」
彼はそう呟き、軽く足を動かしただけで、私の悪あがきを難なく払いのけた。その時になってようやく私は、今の自分の立場を理解した。恐らく私の体が痛みだした時から、既に闘いは終わっていたのだ。そしてその時、先程私を襲った塊が自分の心獣の破片である事を知った私は、一筋の涙を流していた。
「…悔しい…!!」
女学院を襲ってきた少年たちも憎いが、今は負けた自分の不甲斐無さが憎かった。少女を、命様を守れないと考えると、私は胸が押し潰される感覚に襲われた。震える両手を握り締めながら、私は声も無く泣き続けた。焦げ臭い匂いが立ち込む庭の中、私は1人横たわるだけだった。


「…で、あなたは何の用なのですか…?」
傍の木陰に休みながら私は、私の傍を離れない少年に声をかけた。
「こんなところまで私を運んだり、急にハンカチまで差し出したり…何がしたいんですか?!」
私が敗れてからと言うものの、彼はどこへ行く訳でも無く、ただ私の傍にいるだけだった。
「楽しいでしょうね、自分が倒した相手を蔑むというのは!わざわざここまで不法侵入しただけの事はありますね!」
私の捨てゼリフも、彼の耳に届いているかどうかが怪しかった。一体彼が何を考えているのか、私には到底想像もつかなかった。
「せっかくここまで来て、どうしてここに屯っているのかしら…中にはうら若い乙女たちの楽園だって言うのに!」
その言葉を聞いた途端、彼は自分の胸ポケットから何か白い物を取り出した。そしてそれを私の前に差し出したのだ。
「…残念だが俺は、同世代付近に興味が無い…。」
「…。」
私の目の前に出されたものは、白い封筒だった。この惨状に場違いなほど真っ白なその封筒を、私に渡すと言うつもりらしい。
「…え??」
「…受け取れ。」
「へ??」
よく分からない。
「だから、受け取れってんだ!」
少年が怒る理由も分からない。
「受け取れって言われても…手が動かないわ。」
私は呆れた顔で、そう呟いた。あれだけ激しい戦闘を行ったためか、両手が痺れて仕方が無かった。それを聞いて納得したのか彼は封筒を、私の制服のポケットに丁寧に仕舞いこんだ。
「これで良いか?」
しかし、疑問は尽きなかった。彼の行動があまりに突飛だった。
「…あなたたちは一体、何をしにここへやって来たの…?」
私の率直な質問に、彼は1つだけため息をついた後、こう言ってのけたのだった。


「決まっているだろが。これは俺たちの『大告白大会』だ。如何に男らしい姿を見せる事が出来るか、如何に女性に好かれるか…それだけを考え、俺たちはアプローチをかけている!だからこれは俺からのプロポーズだ!受け取れ!」

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