第15話


>>水鏡
その日は良君たちと一緒に町へ遊びに行く予定だった。シンゴ君がゲームの本を買うとか何とかで、僕たちが付き合わされた。そしていざ教室を出ようとした時、何故か真剣な顔つきをした篠塚先輩が、僕たちを引き止めたのだ。
「え、図書室にですか?」
「シンディ、俺たちゃ今から遊びに行くってのに、そりゃ無いだろ。」
「文句を言うな。すぐ終わる。」
シンゴ君は猛抗議したけれど、先輩の圧倒的な威圧感に、何故か僕たちは素直に応じた。今になって思えば、そんな先輩の立ち振る舞いから僕たちは、この周辺で何が起こっているのかを推測するべきだった。図書室に辿りついた瞬間、それまで黙りっぱなしだった先輩は、その重い口を急に開いた。
「まずい。実にまずいぞ。」
「一体、何かあったんですか?」
「昨日王手がやられた。それは知っているよな?」
王手君…以前、拠点であるゲームセンターが立ち入り禁止にされて僕を襲った、金髪で坊主頭の不良だ。もちろんそれは学校で噂になっていた。何でもたった1人のこのスターライトの学生が3人をコテンパンにしたらしい。
「その王手が倒れたらどうなるか、お前らは考えた事があるか?」
「無い。」
きっぱりと、良君は答えた。
「あんな奴を相手にしていたら、切りが無い。」
「そうだ。良、確かにお前の言うとおりだ。だが、それはただの不良の時の話なら、だ。」
「どういう事ですか?」
僕の問いに、先輩は普段とは比べ物にならない程真剣な目つきで、眼鏡を直しながら答えた。
「ただの不良なら、何十人が1人にやられようとも、話はそこで終わるだけだ。だが…この高校を一番しめていたあの王手がやられたとなれば、今まで王手によって日の目を見なかった不良グループは勢力を拡大させ、ケンカも頻繁に行われる可能性が非常に高い!」
「え、えぇっと…それって、どういう意味だろう…?」
「それはつまり…。」
頭がこんがらがる僕とシンゴ君を差し置いて、良君はさらに話を切り出してきた。
「スターライトは喧嘩っ早い学校と見なされ、一層優盟女学院の警備は強化、それによって俺たちの侵入作戦は不可能となる。違うか?」
「まず間違いなくそうなるだろう。その証拠に今日の未明、他校とここの生徒が乱闘を行い、たくさんの怪我人が出たそうだ。そしてそれを受けて女学院は、緊急ではあるが警備を強化し、ここ1週間までに全面的な補強を完了させるそうだ。」
「直接ではなく、間接的に計画が邪魔されている、か…これは危ないな…。」
2人は事の重大さに、黙りこくってしまった。確かにこれは危ないかもしれない。このまま女学院が僕らなんかじゃ手が出せないほど警備を固めた場合、少なくとも今年度は作戦が中止される事になるだろう。そして篠塚先輩と北岡先輩が卒業して僕ら3人だけになった場合、今までのように失敗ばかりが続くのは目に見えていた。
「それじゃ、もう時間は無いって事か?!どうすれば良いんだよ?!この間の完璧な作戦も終わっちまって…俺たちに一体何が残されてんだよ!」
「シンゴ、うるさいぞ。」
「これが黙っていられる事か!!」
そう叫んで机を殴るシンゴ君の拳に、今まで見た事が無いほどの力が込められていた。それを静かに見つめる先輩の目は、とても冷たかった。
「私も相当悔しい。目的は不純ではあるが、これは俺たち落ちこぼれがお嬢様学校という壁を壊さんがために開始した、私たちの意地と誇りを賭した戦いだからな…。」
「確かに。」
「あぁ…!」
…。
そんなに奥深かったっけ、これ(汗)?!
裏表の無い、ただの下心だったでしょ!!
「ちくしょう…!!」
僕の激しいツッコミも知らず、シンゴ君はその手に込められた力のやり場に困り、イスに力なく座った。
「俺はよ…ろくにゲームしかしない落ちこぼれ学生だぜ……だけどな!俺だって知ってたんだよ!このままじゃいけねぇ、何か行動をしなきゃいけねぇ、それくらい知ってたんだよ!…なのに、もう終わりかよ……もう…。」
「分かったよ、シンゴ君。だから、ね?」
今にも泣き出しそうなシンゴ君の背中を、僕は優しくさすった。良君や先輩は、いつものようなからかいをする事も無く、僕の行動を見守るようにただただ黙るばかりだった。その光景を目の当たりにした僕は、悩んだ。シンゴ君の言うとおり、確かに僕たちはこの作戦に命を賭けてきた。それは立案者である良君も、今でも否定側にいる僕も、途中参加した篠塚先輩も、同じ意見だった。そしてあと1歩と言うところで、この現実は重かった。悔しいだろう。涙も流したくなるだろう。…でも…、
「(何で皆…僕に相談しないで、思いつめちゃったのかなぁ…(汗)。)」
友達なんだから、もっと頼りにして欲しいな。
「先輩…本当に手は無いんですか…?」
困り果てたように聞こえただろう、僕の問いかけに先輩は、ひどく思いつめたような口調で答えた。
「1つ、ある事はあるのだが…。」
「それは?」
静かであまりにも重々しい深呼吸をした後、先輩は口を開いた。
「全員で正面から突入する――突撃作戦だ。」
「…ほぼ100%、無理だな。」
そう呟く良君の言葉は、僕らの心そのものだった。完全な行き止まりに追い詰められ、皆は今までに味わった事の無い程重い空気に包まれながら、僕だけはこの作戦の本来の目的を思い出しながら、180度違った苦悩を抱えるのだった。




>>
「あら茜さん、今日はいつもの場所の警備じゃ無いのね。」
体育のため校舎から直接グラウンドへ出る扉から顔を出したとき、私は偶然彼女と出くわした。急に話しかけられたためか、彼女は少しだけ肩をピクリと震わせた。
「み、命様でしたか。」
「茜さん…普段からもう少しリラックスした方が良いわ。あなたが連日学校の警備に当たっている事を、私が知らないと思って?」
「大丈夫です、ただ最近寝付けないだけですので。」
茜さんは笑顔を見せたけれど、彼女の目の下はうっすらと黒を帯びていた。
「それに、不審者が急増したというのに休んでいるようでは、葉隠機動部隊隊長『マネキンの』茜の名が廃ってしまうというものです。」
「そう…通り名って、管理が大変なのね。」
それだけ自分の仕事に誇りを持っている人だという事くらい知っていたのに…どうしてもお節介を焼いてしまう。それは、学校で一緒に過ごす事が多いからなのかも知れない。茜さんは私の、姉のような存在だから。姉を心配しない妹は妹では無いと、私が思っているから。私はふぅとため息をついた。
「でもあなた、本当に働きすぎよ。明日は休みなさい。私が直接訳を言って有給にして――」
「命様。お気遣いは嬉しいのですが、応援が揃うまでの1週間は私に警備をさせてください。万が一の事があった場合、今の状況では対応しきれない可能性があります。」
「でも茜さん、あなたの今の労働量は労働基準法に違反しかねないわ。親しくしている仲だから私たちも渋々認めているけれど、これ以上はさすがに無茶よ?」
私の言葉に頷くも、それでも茜さんは食い下がった。
「確かにそうかも知れません。しかし、それでも私はここを、命様をお守りしたいと思っています。あと1週間、せめてあと1週間だけは…。」
彼女がどれだけこの仕事に熱心か、それは側にいる私がよく分かっていた。尤も、その熱心さがどこから湧き出てくるのか、それも私は知っていた。
「どうしてそんなに無理するの?」
「無理などしていません!」
「自分に身寄りがいないから?」
その言葉を呟いた途端、茜さんの表情は一気に強張った。あまり触れたくなかった話…でも、大切な事だから…。
「茜さんの気に障る事を言っているのは承知よ。あれは確か私が小等部2年の時、あなたは葉隠機動隊の予備員に入隊したのよね。私は嬉しかったわ。自分の目指したい目標が出来たから。」
「…命様、今とそれと何の関係が――」
渋る茜さんに私はハッキリとした口調で、彼女の言葉を遮ってまで言い放った。
「茜さん、私はあなたに倒れられて欲しくないの。あなたには私の家――葉隠家と言う身寄りがいるでしょ?身寄りが心配して、何が悪いのかしら。」
「し、しかし…。」
「是が非でも、明日は休んでもらいますからっ。」
顔には何も出さなかったけれど、私は言ってから少しだけ後悔した。どうにもこういうセリフは恥ずかし過ぎて、口調が荒っぽくなってしまう。次の言葉も出てこないで困っていた時、茜さんは含み笑いをした後、うっすらとルージュをつけたその唇を動かした。
「命様は、いつだってそうですね。せっかく私が恩返ししようとしても、それを止めてしまって。」
「フフ…足りないなら、今頃はもっと働かせているわ。」
軽い冗談で私たち2人は笑った。
「…あっ。」
ふと私は手に持っていた靴を足元に置き、上靴から履き替える事にした。
「そうでした。命様は授業の準備をしている最中でしたね。」
「大丈夫。まだ時間はあるわ。私は早めに授業の準備をするタイプだから。」
そうは言ったものの、目の端で見た時計はあと数分を指していて、内心慌てふためく私の姿を、茜さんは楽しそうに見ているだけだった。




>>THE VOICE OF ENERGY
星観町にそびえるビルの屋上にも、暗闇が迫ってきていた。そのビルはあまり高くは無かったものの、町を一望出来る程度の景観は持っていた。その日――マネキンの茜が臨時休暇を取った日と言うべきだろうが、その屋上に1人の男が人を待っていた。細い煙草を手にした男の出で立ちは、地味なシャツに細長いズボンと、場合によっては学生とも思われるものであったが、極めて目立つ黒のサングラスにきれいに剃った頭、何よりも煙草の煙たさがそれを否定するのに十分であった。貯水タンクを囲むフェンスにもたれかかりながら、口から紫煙を漂わせる姿は、平和な街にとってあまりにも重く、黒い。その彼と直接顔を合わせないよう、フェンスの反対側にスーツ姿の男性が立っていた。煙草の男が非現実の化身ならば、こちらの男性は日常の象徴であろう。
「それで、以前話していた件について、条件を飲んでくれるという事ですね?」
「まぁな。場所がちょいと気に食わねぇが…それくらいは我慢しておいてやる。」
「ありがとうございます。」
2人の男たちはフェンスを挟んで向き合わないよう、常に相手のいる向きとは反対の空を見つめていた。深く煙草を含み、男は再び紫煙を吐き出した。
「しかし…この俺に急用が来るなんて…葉隠もいよいよ人材不足か?」
男は皮肉を込めた口調で、畏まる男性に尋ねた。しかし、畏まるとは弱腰になる事では無い。相手に失礼の無いように強くならない事だ。男性はしっかりとした語調で、且つ丁寧に答えた。
「いいえ、応援部隊は兵揃いです。しかし『念には念を入れる』という言葉がありますから。」
「それにしては、強気な『念』だな。…そこまでする必要はあるのか?」
まだ納得のいくような話では無いらしく、男はしきりにそこを尋ねた。男性は男性で、いくらでも尋ねても良いといった感じで、男の疑問を片付けていく。
「『念』ですからね。それ位あなたの仕事は重いのです。」
「ふぅん…。」
若いのか老けているのか判断しにくいその男は、黒のサングラスを通してしばし夕陽を眺めた後、結局この言葉で締めくくった。
「ま、俺に任せとけ。」
男性は口元に笑みを浮かべながら、彼に確認を含める事も含めて、改めて口を開くのだった。
「それでは明日から応援が来るまでの間、我が葉隠機動隊共々、よろしくお願いします、五十嵐様。」

 戻る