>>黒須
「いやぁ…見事なまでの天災ぶりだねぇ…。」
僕の隣に立つ黒い影は、落ち着き払った声でそう呟いた。
「…何で…何でですか?」
僕の右手は、間違いなく貫通した。しかしそれは、彼の頭などでは無く、足元の地面だった。王手は僕の元から数m離れた場所で、グッタリと横たえていた。
「どうしてここにいるんですか…先輩?」
地面を見据えたままの僕の側に、北岡先輩はゆらりと立っていた。
「ちょうどあそこの土管で寝ていたんだよぉ。」
「そんな事、今どきの○太君しかしませんよ!それに、どうして僕の邪魔をしたのですか!」
あの時――僕の渾身のパンチが当たるか当たらないか、寸前のところで、1台のバイクが走ってきた。バイクは転倒しながら走り続ける、という物理学的に有り得ない動きをしながら、王手の体を吹き飛ばしたのだ。1度だけ先輩が見せてくれた心獣『アウト・バーン』の仕業である事は、目に見えていた。
「どうしてですかっ?僕が痛めつけ過ぎたからですかっ?これは僕の問題です!先輩には何も関係無いじゃないですか!」
「あぁ〜…あまり1度に言わないでよぉ。ゆっくり説明するからさぁ。」
実に先輩らしい、間延びした喋り方で僕をなだめながら、先輩は口を開いた。
「黒須君はねぇ…『悪者』である事に逃げようとするからねぇ。このままじゃいけないと思っていた事は確かだよぉ。」
「僕が…『悪者』に、逃げてるですかっ?」
「うん。君の中で悪者が『何をしてもいい存在』みたいになっていたからねぇ。真人間には出来ない事を、悪者はやってのける。だから自分が悪者になっている間は、自分が強くなっているように感じているでしょぉ?」
「そ、そんな事は――!」
「違うって言いたいの?それなら、この状況はなぁに?」
そう言って先輩は僕に、この空き地の今の状況を、初めてゆっくりと見せてくれた。服を焦がした男と、血を流した男と、それを守ろうとしていた男――横たわる3人の様子は、先程まで行われていたバイオレンスの様子を、事細かに物語っていた。
「これだけボロ雑巾にしたんだから、今日は許してあげなよ。どうせ、しばらくは君の目の前に現れないんだから。」
そう言うと先輩は軽く笑った。この惨状を見ながら、よく笑みを浮かべられるものだと、僕は思った。
「先輩…僕がどれだけジメジメした性格か、よく分かっているでしょう?」
「うん、そうだねぇ。」
「それなら、話は早いですよっ。残念ですが、僕の悪者像はこれからも変わりません!いくら先輩の頼みでも、それを変える事は出来ませんから!」
僕は半ば笑いを浮かべた顔で、強気な態度を取った。どんな仲の良い人物にでも、こんな態度を取ってしまうのは、僕の悪い癖だ。しかし一番驚いたのは、先輩の返事を聞いた時だった。
「うん、知ってるよ。」
「…え?」
呆気に取られる僕に少しも微笑みを崩す事無く、先輩は話を続けた。
「君がポリシーを変えない人だって事くらい、僕だって知っているよ。そもそも僕はそれを変えようなんて、これっぽっちも思っていないんだから。」
「……それじゃ、それじゃどうして!?どうして僕を止めたんですか!?それなら僕を止める必要の方が、これっぽっちも無いじゃないですか!!」
僕のこの声には恐らく、怒りが込められていたと思う。そしてそれは恐らく、自分の邪魔をされた事に対しての怒りだったと思う。それを先輩は全て知りながら、静かに呟いた。
「悪者に『なる』のと『逃げる』では、全然違うんだよ?君には立派な悪者になって欲しいんだぁ。」
そう言うと先輩は爽やかな顔を見せながら、しかしその声にはあらゆる皮肉を込めてこう呟いた。
「まぁ、悪者も大変って事だよぉ。」
今まで何度も思ってきたけれど、その時僕はこの先輩の偉大さに、あらためて深い尊敬を覚えた。一体この先輩はどんな人生を経験してこれだけの人物になったのか…僕なんかでは計り知れないその奥の深さに、僕は惹かれているのだろう。さっきまで感じていた苛立ちとは一転、僕の心には風が吹いていた。そして今日一番落ち着いた気持ちで、僕は口元で笑った。
「はは…また先輩には、お世話になってしまいました…。」
その独り言が果たして先輩に届いたのかどうかは、誰にも分からない。でもその代わりに先輩は、大きなあくびを1つすると、
「…ふわぁ…運動したから眠くなってきたなぁ…。寝るから起こしてね。」
「はい…て、え?寝る?!」
「ぐー…。」
「えぇ?!せ、先輩!先輩!暴行犯って疑われますよ?!聞いていますか、ねぇ!?」
王手を救うのを『運動』と言い切った先輩は、空き地の比較的きれいな場所に寝転がると、一気に眠りの世界へと引きずり込まれていったのだった。
僕は悪者です。性格は暗いです。贋作作ってネットに売り込む事も多々あります。それで得るお金は、高校生にしては大金です。人から好まれていません。僕も好みません。だから僕は、誰からも必要とされていない。同時に僕は、誰も必要としていない。
ただ、
ただ1人を除いて…。
>>良
「おい、あいつ遅いなぁ…。」
「どこまで連れて行かれてんだ?」
「まさか、どこかでボコられてんじゃねぇの?」
「あー、そうかもなぁ!」
クラス中が嫌がる現国の授業中、クラス中がその話題で盛り上がっていた。
「ほら、静かにしなさい!ここはテストに出るわよ!」
もはや誰も教師の話を聞いていない。シンゴもその混乱に乗じて、俺の隣にやって来ている。
「この時間のこのクラス崩壊ぶりは、見事なもんだよなぁ!俺は堂々とゲームが出来るから、文句無いけどな!」
「俺は文系だから、国語系の授業はしたい方だけどな。…まぁ良い。これでこのクラスの現国のトップは保障された。」
「よし!バーティブレイツ決まった!」
…友人の話を聞かないような奴が、一体どうやって他の授業を聞くと言うのだろうか。いや、シンゴがまともに授業を聞いている姿も、ここ最近見ていない。俺はちらりとゲーム画面を覗いて見ようとしたが、画面が窓からの光の反射によって、何も見えなかった。
「くそ!頼むから応援しっかりしてくれ〜!」
こいつ…真正の落ちこぼれだな(汗)。
「あの王手の事だからなぁ…やっぱ殴り合いじゃねぇの?」
教室の反対のほうでは、あの黒須という奴が連れて行かれた話題で盛り上がっていた。
「違ぇって!絶対『火の玉』だろ!」
「たかが黒須相手にか〜?」
「ギャハハ、ありえねー!」
…やはり、誰も気付いていないか…。何が有り得ないだ。あの男の心獣は奥が知れない。いくら見ても、その奥が見えてきやしない。それはまるで、光さえ吸い込むブラック・ホールを見ようとしているような気分にさえ陥る。そんな男が、あの王手程度にくたばるとは到底思えないがな…。
「尤も、それくらい奥の深い奴なら友人も出来ずに、自分から崩壊する奴の方が多いだろうが……フフ、きっと良き師にでも出会ったんだろうな…。」
口元で笑いながら俺は、彼が帰ってくる姿を一目見ようと授業が終わるまで、ずっと窓の景色を見つめ続けるのだった。
「よし、今だ!アシド・レイン!!」
「いや、そんな終わり方は止めろ(汗)。」
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