>>黒須
ふと時計を見た。時計の針は6時5分前を刺していた。今日はいつにも増して遅い。まぁ、あの人の事だから、遅れることくらい用意に想像できたけれど。
「ふぅ、ちょっと休憩しよう。」
僕は目の前に散らばる精密機械から視線をそらすと、部屋の片隅に置かれているソファに座り込んだ。いくら日本広しと言えども、学生の部屋にソファがあるところなど、ここ以外にはそう存在しない。このモノトーンカラーのソファは、僕の自慢だ。しばらくソファの上でボーっとして過ごした後、すぐさまフル回転モードへと頭を切り替える。机の上に並ぶ設計図―先程まで僕を苦しめていた張本人―を手にすると、眉間にしわを寄せながら睨みつける。どうしてもこの回路がうまくいかない。ある程度予想はしていたけれど、もう少しスイッチ付近の抵抗を抑えた方が良いかも知れない。いや、ここの電圧を高める方向が良いのだろうか。そんな事を考えていた時、部屋中に玄関チャイムが鳴り響いた。
「はい。」
「北岡だよぉ。」
「あ、先輩。」
ようやく本人がやって来た。
「どうぞ、開いているので入って下さい。」
返事をした後、僕は簡易給水場でお茶を淹れる為立ち上がった。お客にはやはりお茶が良い。これは日本人の常識かと。
「失礼しまぁす。」
どことなく控え目な声で、北岡先輩は部屋に入ってきた。先輩は僕に断りも無く、ソファに座った。それは先輩に限らず、ここにやって来る人のいつもの行動なので、僕は一切咎めない。
「遅れてごめんねぇ。」
「問題無いですよ。先輩の事だから、また寝ていると思いました。てか、別に時間を指定して無いじゃないですか。」
「いやいやぁ〜、こういう事は夕方の5時くらいにするのが一番良いと思うんだぁ。」
「そんな先輩のこだわり、知りませんよ。…はい、どうぞ。」
淹れ立てのお茶を2つ乗せたお盆を、ソファの前に置かれた小さなテーブルの上に置いた。
「どうだい、今度ネット販売用に製作している例のアレは?」
先輩の言う『例のアレ』とは、一言で言えば『リーフ対応各種センサー複合パック』の事だ。最近日本では考古学が流行っているので、それに便乗出来るのでは無いかと思って計画したのが始まりだ。赤外線センサーはもちろん、簡易X線射出装置、いわゆるレントゲンによって砂の中の遺跡を立体映像にして保存するといったものもある。さらにはリーフの内臓電源や受信システムを駆使して、装置にかかる消費電力を65%抑えるという目標も現実味を帯びてきていて、ネットオークション界ではこれの出品がかなり注目されている。
「少し悩んでいます。デザインを除いて大体は出来たんですけれど、どうにも画面が見にくくて…。今あちこち弄繰り回している最中です。」
「ハハハ…それは大変だぁ。」
そう気楽に笑いながら先輩は、お茶を静かに飲んだ。先輩は、他人事のような言葉を他人事のように思わせない事が多く、人間的にとても尊敬する。もちろん機械に精通するところも尊敬の対象だ。…よく寝るけど。
「それにしても…君程のシステム開発者が、どうして僕なんかにヘルプミー状態なの?僕はハード専門で、ソフトはちょっと苦手なんだよぉ?」
分からない人のために説明するが、人型ロボットで例えるなら、ハードとは機械のモーター等の部品やフレームの事を指し、ソフトとは人工知能等のAIの事を指している。
「確かに、今度作っているものはソフト中心だけど、それを実際使う相手は、どちらかと言うとハード面だからです。これを使用するのは人間だし、使用対象は物体です。それならソフトだけに留まらず、ハードも一緒に作業をした方が、より優秀なセンサーが出来ると思ったんです。」
「グー。」
「先輩、寝ないで下さい(汗)。」
早速だよ、この人(泣)。
「あぁ、ゴメンねぇ…。やっぱり黒須(くろす)君は偉いねぇ。これだけ職人気質だと、違法パーツにしておくのが勿体無くなるねぇ。どこかの会社に就職するとかは考えないの?」
「無いですね。思いついたアイデアをそのまま形にする事自体が大好きなので、それは少しでも曲げません。それに、敢えて違法パーツとして高値で、さらにオークションに売り出した方が儲かるんですよ。これは以前言いましたよね?」
「言っていたねぇ。『相手は僕の商品の良さを分かってくれている人だから、高値でもさらに競争が生まれる』って。僕も真似したくなるなぁ。」
先輩は朗らかに笑いながら、また1口お茶をすすった。いつも僕がわざわざ熱いお茶を出すのは、先輩をなるべく寝させないようにするためだ。だから今のように、お茶が残り20%になった瞬間、
「お茶淹れます。」
「あぁ、ありがとぉ。」
と、すかさずお茶を補充する。
「先輩、この間オークションで3台限定として売り出した『AI搭載型地形探査機ミニカー・偽装モデル』、凄い人気でしたよ。」
「本当?あれは凄く良い仕上がりだったからねぇ。僕も、わざわざ廃品集めてフレームを1から作り上げた甲斐があったよ。一体いくら位?5?」
単位が抜けているが、もちろん福沢○吉の枚数だ。僕は首を静かに振った。
「8?思い切って10?え、12?」
いくら彼が数字を挙げても、僕の首が縦に動く事は無かった。
「おぉ〜、20超え?」
「そこまではいきませんでいした。18です。1台あたり平均18万円。」
「グー。」
「ここまで話を引っ張っておいて、寝ないで下さい(汗)。」
僕は彼の眠気を一発で払える位熱々のお茶を淹れ、彼の前に差し出した。これでしばらく寝ないだろう。
「凄いねぇ〜。1回で54万かぁ〜。本当、僕も真似しちゃおうかなぁ〜。」
「そこで、先輩の取り分なんですけれど…。」
僕が一番話したかった話題を出そうとした瞬間、彼はいつもなら想像もつかないくらいのスピードで、僕の口を止めた。
「あぁ、別にいいよタダで。うん、0円でどう?」
「えっ?」
「ノーマネーでフィニッシュだよぉ。」
「そ、それはちょっと出来ませんよっ。あの時ばかりは先輩に手伝ってばっかりだったし、それに先輩はテスト勉強の時間まで割いてくれたじゃないですか。こんなにしてもらっていらないなんて、それは時給とかそういう問題で、ちょっと問題だと思います。」
そう訴える僕が相当必死だったらしく、先輩は僕の顔を見て笑いながら、何故か自信満々に話を続けた。
「良いよ、それくらい。確かに僕も手伝ったけれど、仕事をした訳じゃ無いからねぇ。それにテストの方だって好成績だし、ちっとも問題無いよぉ。」
「でも――」
「それに、先輩はやたら後輩からお金を貰うものじゃ無いからね。先輩が後輩にお金を出す、これが世の中の図式だよぉ。…僕にだって『立場』というものがあるからねぇ。」
「僕、世の中に馴染むつもりは、さらさら無いです!」
それでも食い下がる僕に先輩は、1つの妥協案を示した。
「それじゃ〜、こうしようか。僕は仕事しようと手伝った訳では無くて、先輩ならではの大きな御好意で手伝った…って事で。良いよねぇ?」
「…はい、分かりました。」
「よぉし、これで解決だぁ。」
半ば強引に先輩は、この難題を解決してしまった。本当にこのまま終わって良いのか気になるけれど、何だかどうでも良くなってきた。
「本当に先輩、いつもすみません。」
「グー。」
「寝ないで下さい(汗)。」
僕特製の超熱々日本茶も、彼にはブルジョアの優雅なアフタヌーン・ティー程度でしか無かったらしい。それにしてもこの先輩、太っ腹と言うのか、人が良いと言うのか、本当に素晴らしい人だなぁ…。
「グー。」
「寝ないで下さい、先輩(泣)。」
でも、このどこでも寝てしまう癖だけが痛恨の致命傷だなぁ…。


青葉(あおば)黒須、17歳の高校2年生。僕はとてもキレやすい。その事は自他共に認められている。ケンカなんて出来るほど腕っ節が強い訳でも無いのに、学校にいるとすぐキレる事が多い。しかも性格がねちねちしているときた。だから僕は、誰からも必要とされていない。同時に僕は、誰も必要としていない。ただ1人を除いて…。


「先輩、起きて下さい〜。」
「グー。」
「もうどっぷり深夜ですよ〜。」
「グー。」
「しかも他人の家ですよ〜。」
「グー。」
相変わらず先輩の眠りの深さに、僕は脱帽した。そろそろ起こしておかないと、下手すれば餓死する可能性がある。この人なら有り得る。この人だからこそ有り得る。普通有り得ないそんな事件でも、先輩にはそれを実現させるだけの力がある。
「仕方ない。あれをするしか無い…。」
僕はそう呟くと、机の中から小さな、妖しいほど黒い小瓶を取り出した。言わずと知れた伝説の香辛料『ブロワーズ氏の午前弐時』だ。以前オークションに出品した違法パーツで手にしたお金で、僕自らが落札したものだ。
「これを口にしたが最後、人はしばらく何もしゃべられなくなるという、もはや毒物…もう、こいつに頼るしかありません。」
僕はマスクを取り付け、こぼれないよう静かに蓋を開けた。染みになるからでは無い。皮膚につけば、しばらく麻痺するという話を聞いたからだ。
「先輩、恨まないで下さい。」
深呼吸で脈を整え覚悟を決めた後、僕は先輩の開きっぱなしの口に1滴、深紅の毒物を垂らした。
「……。」
最初の数秒は何も反応が無かった。滴下しておよそ8秒後に、先輩の目はゆっくりと開き始めた。
「……。」
「先輩…大丈夫ですか?」
すると先輩は満面の笑みを浮かべて、
「辛〜い…。」
と言うだけだった。
「…え、あ、えっ?辛いだけっ?」
「本当、口の中が異様に辛いよぉ…あ、お茶飲むね。」
「口の中、大丈夫ですか?怪我していませんか?火傷していませんか?」
「火傷ぉ?火事でもあったの?」
ま、まさか、あの劇薬をクリアする人間がいるなんて…!あれはそんじょそこらの香辛料とは訳が違うのに!ハ○ネロとかL○E×200なんかとは、次元が違うのに!
「ふぅ〜…でも何だか、ようやく落ち着いてきたよ…。」
しかも、もう効果切れっ?
「もうこんな時間だねぇ。そろそろお暇しなきゃいけないねぇ。センサー出来上がった?」
「え、いや、まだです。明日は学校に持ち込んで、向こうで作業しようかと思っていたところです…。」
「そうかぁ…時間があれば、様子を見に行くね。いつもの場所でしょ?」
先輩は驚く僕に少しも気付かず、ソファに置かれていた自分の鞄を手に取り、もう帰る用意を整えてしまっていた。
「是非見に来て下さい、寝ていなければ。」
「アハハ…保障しないよぉ〜。」
そして先輩は、一筋の風のように去っていった。呆然とする僕の部屋に残っていたものは、2つの茶碗だけだった。


一体あれは、北岡先輩が凄いのだろうか…
それとも、あの先輩を数秒で起こした、この劇薬級香辛料が凄いのだろうか…
世界7不思議級の難題にぶつかり、その晩僕は、眠れなかった…

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