第13話


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車の窓から眺める景色は、次々と私の背後へ流れていく。どこまでも、あても無く。さっきまでここにいた人影は町に消え、そして町から新たな人影が現れる、その繰り返し。だんだん、どっちが動いているのか分からなくなってきた。
「いかがなさいましたか、お嬢様。」
ふと、私を呼びかける声が聞こえてきた。私の目の前の助手席に、じいは座っていた。眼鏡の奥の目を細めながら、優しく私に尋ねてくる。
「先程から考え事のようですな。」
「考え事……そうね、無くは無いわ。」
その時の私は確かに、少し考え込んでいた。
「それなら、このじいめが聞いて差し上げましょう。」
「いらないわ。大した事じゃ無いから。」
「それなら、尚更大丈夫でしょう。下らない相談の相手なら、いつだって私の仕事です。」
わざとそっけなく返事したのに、じいにはいつも効かない。今日はいつもより気分が良かったから、それに乗る事にした。
「じい、秘密は守るって約束する?」
「もちろんですとも。お嬢様の秘密を明かした事など、ただの1度もございません。」
「…それなら話すわ。」
前を向き直していた体をまた窓に向けて、私は口を開いた。
「昨日のお昼頃、彼らが来たのよ。」
「彼らと言いますと、あの少年たちでしょうか?」
「そう。しかも新たに2人も連れて、白昼堂々、放送室にいたのよ。」
「それはまた凄いですな。あの学校の警備は厳重ですぞ?一体どんな方法で――」
「電気屋に変装したと言ったら?」
私の問いかけに、じいは口を止めた。
「ご冗談を。」
「本当よ。あのおバカさんたち、どこで聞きつけたのか、近くの電気屋に成りすまして来たのよ。ご丁寧に運転手まで同行させて、本格的な変装をしていたわ。…じい、疑っても無駄よ。私がこの事件の目撃者なんだから。」
景色はだんだんと、女学院に程近い駅前に変化していった。何人かの女学生を見つけたとき、じいはようやく口を開いた。
「もしや、女学院の中にスパイがいるとでも?」
「そこまでは分からないわ。私は探偵じゃ無いもの。」
「お嬢様は、そのスパイを探そうとは思わないのでしょうか?お嬢様は、御自分の立場を分かっておられますか?」
心配そうな口調から、じいの心情はよく分かった。でも…私だって譲れないものがあるの。私は毅然とした言葉で、はっきりとじいに伝えた。
「私は葉隠グループの大社長の1人娘で、優盟女学院に通う一生徒よ。それ以上でもそれ以下でも無いわ。」
「それなら、尚更警戒を――」
「警戒する相手なら、よ。」
じいは再び、口を閉ざした。ほんの少しだけ、周囲の空気が静まり返った。窓から女学院の校舎が見えてきたとき、私から話を戻した。
「男って言うのは、あれくらい根性が無きゃ駄目ね。」
5月の天気にしては、空はやけに曇っていた。遥か頭上に浮かぶ雲はまるで、今のじいの気持ちそのものだと、私は思った。
「…じい、あまり気にする事は無いわ。大丈夫よ。警備員たちは皆猛者揃いだし、女学院生の中にも心獣に特化した生徒たちはたくさんいるわ。女だって、自分の身くらい自分で守る時代なのよ。」
「…お嬢様なら、警備無しでも安心でしょう。」
「あら、ありがとう。それならここで降ろしてくれても構わないのよ?」
「いえ、そうは行きませんぞ。私たちにも立場が御座いますので。」
私たちなりの冗談が交わされたところで、車は校門をくぐったのだった。5月の終わり、曇天、私の心はいつになく爽やかだった。


「おっはよー!」
教室のドアを豪快に開けながら、渓が入ってきた。その教室中に響き渡る声に私は本を読むのを一旦止め、彼女のいる方を向いた。クラスの皆に適当に挨拶を交わしながら、噂の彼女は私の元へやって来た。
「おっはよー、命!」
「あら、渓、おはよう。朝練は終わったの?」
「終わったから、こうやって教室にやって来たのよ。相変わらずクールなんだから〜。」
「それ、褒めているの?」
「うん。」
真顔で返事する渓の顔を見て、私は少しだけ顔を微笑ませた。
「そう、それなら素直に喜んでおくわ。」
「それで良し。褒められたら素直に喜ぶ、これ人間の基本なんだから。」
何度も自分で頷きながら渓は、私に人間論を語り初めた。でも渓の場合、本当に褒めているのか分からないけれど、それはどうしろと言うのかしら?
「さて、と。後は智尋(ちひろ)ね。」
「『後は智尋ね』って言ってもあの子、いつもギリギリじゃない。待たない方が賢い選択だと思うわ。」
「そうだけど〜。やっぱり小学校の頃からの付き合いだし…ね?」
私は栞を挟んだ本もそのままに、まだ誰も座っていない智尋の席を見つめた。相も変わらず机の中には、また怪しげな物ばかり詰まっていた。
私と渓、それに話に出てきた智尋の3人は、小等部の頃からの友人だ。大企業の大社長の1人娘と言う事であまり友達の出来なかった私に話しかけてくれたのは、他ならぬ渓、その人だった。初めの頃は、私は彼女が一般家庭出身である事に馴染めなかったけれど、彼女の持ち前の明るさに私は次第に惹かれ、親友になった。
「智尋ってば、昔から朝が遅いんだから…今度うるさい目覚まし時計でもプレゼントしない?命、一番うるさい目覚まし時計が何か、聞いてもらえない?」
智尋も一般家庭出身の子だけれど、彼女はその秀才を発揮して入学してきた子だったから、私たちの中でもリーダー的存在だった。人によく懐く性格もあってこれまでに、彼女に対する浮いた噂は1度たりとも聞いた事が無い。
「それならやっぱり、スリーパーキラーシリーズの最新型ね。半径1m以内にいた熟睡中の成人男性を20分間悶絶させた程の威力よ。」
「分かった、それにしよっか。」
その時、授業開始のベルが鳴った。渓は急いで自分の席に着いた。智尋は来ない。ゆっくり開けられたドアから、古典の教師が入ってきた。
「はい、おはようございます。それでは出席を確認しますね。」
依然智尋のやって来る気配が見られないまま、授業は始まった。


そして結局、3時間目まで始まってしまった。
「(あの子、どこで何をしているのかしら?)」
休み時間中に電話をかけても、電源すら切られていた。あの子が携帯の電源を切る事は、滅多に無いのに…。
「おや?宇兎柳(うつぎ)は来ていないのか?」
数学教師は、教室中を見渡している。そして今日の出席を確認した。
「朝から来ていないのか…家から連絡は来ていないし…。」
さすがにクラスの皆が騒ぎ始めてきた。
「宇兎柳さんの身に、何かあったのかしら?」
「最近物騒になって来ましたからねぇ。」
「心配…少し…。」
教室中がざわざわとし出してきた。私は隣に座る渓に、小声で話しかけた。
「この人たちは本当、智尋の事を心配しているのかしら?お嬢様の心配って、どこか平和ボケなところがあって嫌なのよ。」
「そう言う命なんて、全然心配しているように見えないんだけど(汗)。」
「声や顔で、誰に言えばいいわけ?心で思っていれば良いの。」
私の冷たい意見にフゥと、渓はため息をついた。でもそのため息は諦めや軽蔑といった意味では無く、気が置けない者に対する挨拶みたいなものだった。
「ま、命らしい考え方ね。それだったら智尋も無事だと思うわ。根拠無いけど。」
彼女のその言葉に、私は思わず微笑んだ。そしてそれを見て渓も笑った、その時だった。
「とぉぉー!!」
凄まじい音と共に、背後から少女のかけ声が響き渡った。もちろんすぐさま、教室中から軽い悲鳴が飛び交った。急いで後ろを振り向いた時、事態を飲み込んだ。背後に置かれていたダンボールのうちの1つから、髪の長い少女が飛び出してきたのだ。
「おはよーございまぁす!智尋、見参!」
『仮面機動型二輪自動車乗り』の変身ポーズのような格好をしながら、その少女――智尋は笑っていた。
「……。」
「……。」
教室中が、しんと静まり返った。
「…宇兎柳、遅刻。」
「えぇぇぇ!?」
その静寂は、教師の口で掻き消された。
「私!私!ちゃんとこの教室にいましたよ?!」
「でも今見参したのなら、遅刻だ。」
智尋がいくら喚いても、教師は聞く耳を持たなかった。当たり前だけど。教室からは、とりあえず不審者で無かった事を確認し、安堵の息を漏らす生徒の笑い声が響き渡るようになった。――ただ一部、白い目で睨みつけるお嬢様の方々を除いて。
「宇兎柳さんたら、あんな箱の中に隠れていらしたの?」
「本当、汚らわしいですわ。」
「そんな野蛮な事、私には到底出来ませんわ。」
別にしなくても良い、と思った。私だってしないわ、あんな楽しそうな事。
「宇兎柳、お前はどうしてあんな箱の中に隠れていたんだ?」
「今日こそ、早く学校に到着するためです。」
彼女は段ボール箱を指差し、こう付け加えたのだった。
「だからまずあの段ボール箱に忍び込み、1晩を過ごしました。朝起きたらそのまま登校済みって思ったんですけれど…寝坊しちゃいまして…(照)。」


…智尋は、ある日を境に、こんな可哀相な子になってしまいました。その理由は誰も知らないけれど、それでも私と渓は、彼女を受け入れています。
ちなみにこの女学院では、ろくにクラス替えが行われない風習がある。実際にはあるのはあるけれど、それは小等部から中等部、中等部から高等学校と、それに合わせてついでに行われる程度のもの。
偶然にも私たち3人は同じクラスだったため、この関係は一切くずれずにここまでやって来られたのかも知れないと、最近思うようになった。
隣で大口を空けて呆ける渓を見ると、それを痛感します。

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