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「おい、俺のハチマキ知らねーか?」
「先輩、そこにあるじゃないですか。」
「…お、本当だな。悪いなぁ、どうやら俺もボケちまったようだな。」
電柱に隠れながらの盗み聞きでも、その会話は聞き取れた。ポケットから取り出した携帯は、朝の9時少し前を示していた。もちろん、もう授業は始まっている。それを承知で俺を含めた物好き5人は、こうやって電気屋の隙をうかがっている。
「なぁ、シンディよぉ。本当にここで大丈夫なのか?」
シンゴは少し自信なさげに話しかけてくる。もちろん、目は電気屋の方を向いている。
「あぁ。私の調査の結果、最も古くからある電気屋で、なおかつ女学院とのコネを持っていそうな電気屋は、ここ星観町ではこの『山田電気店』以外に有り得ない。」
「でもよぉ、シンディ…他に電気屋なんて、たくさんあるだろ…。」
「それならば尋ねるが、普段9時半を回らなければ開店しないこのヤマダ電気店が、何故今、店の軽トラックを導入してまで作業員達が働いているのだ?」
店の前には『店気電田山』と書かれたトラックが1台、そして今から出かけようとしている作業員が2,3名、店の中を出たり入ったりしていた。
「どこかへ行こうとしているのは、間違いないよね。」
「そういう事だ。どう考えても私には、今から女学院へ向かおうとしている姿にしか見えないがな。」
確かに、そう考えるのが自然だろう。この電気店は創立4,50年を越える老舗である上、女学院から1kmという好条件も重なっている。
「私の結論を言わせてもらおう。女学院は十中八九!この電気屋に頼んでいる!そしてそれは、私たちにとって大チャンスだ!」
「なるほど。分かった。」
俺は答えた。これほどシンディが力んでいるんだ。間違いは無いだろう。
「つまり俺たちが、あの作業員をしばらく気絶させればいいわけだな?」
「そういう事だ。良、行ってくれるか?」
「人に使われるのは望まないが…そんな芸当が出来るのは、俺くらいなものだろう。」
「良君、気をつけてね。なるべく姿を見られないようにね。」
やたら俺を心配する水鏡を安心させるべく、俺はこう言い放った。
「心配するな。5秒で終わらせる。」
その瞬間、俺は電気屋の方へと走っていった。作業員は全員で3人、だが、誰も俺を見ていない。
「おい、新入り!準備は終わったか?」
「は、はい!」
「うぃ〜…そんじゃまぁ、ボチボチ行くか…。」
その瞬間、3人はこちらを振り向こうとした。しかし、こんな所でヘマをする俺ではない。内容は企業秘密だが、俺は毎日トレーニングをしているんだ。こんな老いぼれ三十路なんかと一緒にされては困る。
「『フリー・ユア・ソウル』」
磁力を一気に足へと集中させる。ピリピリするこの痛みが、膝に集まる。そして、絶妙な力加減をして、空中へ跳ぶ。作業員3人が振り向いたその時にはすでに、俺の体は彼らの死角、背後へとまわっていた。
「悪いな。しばらく寝てもらう。」
死角へ入ってからは、恐らくコンマ1秒の世界だった。膝の磁力を両手に集め、手刀を3人の首めがけて放った。若干鈍い音が耳に入った後、俺は地面へと着地した。彼らがいつの間に倒れたのか、少なくとも俺と彼らには知る由も無かった。
「…来い。もう片付いた。」
俺の呟きを聞き取ってから、真っ先に飛び出したのは、水鏡だった。
「は、早く中へ入れないと…!」
「お、水鏡、いい心がけだな!俺も手伝うぜぇ!」
予定通り、水鏡とシンゴは手分けして、作業員3人を店へと引きずっていった。現場をまじまじと見ながら、北岡先輩を引きずるシンディは、感心したように言った。
「流石だな。」
「お世辞か?」
「とんでもない。これは褒め言葉さ。…確かに、慣れすぎている感は否めないがな。」
「…これが、車の鍵だ。さっき落ちていたから、拾った。」
「どうも。」
ケンカでもしているのかと思われそうな会話を交わした後、俺とシンディ、北岡先輩の3人は、早速車に乗り込んだ。
「しかし…本当に北岡先輩で大丈夫なのか?」
「良、いい加減信じろ。」
「信じられるやつらの方が、どうかしている。第一、先輩はまだ寝ている。」
爆酔中の北岡先輩を睨みながら、俺はささやかな批判をする。
「大丈夫だ。今に起きる。」
そう言いながらシンディは、寝ている北岡先輩を、運転席に乗せた。その途端、奇妙な事が起こった。
「…あれ、ここは?」
熟睡だったはずの先輩が、電源が入ったかのように目覚めたのだ。
「やぁ、シンディ。」
「拓弥。今はまだ準備中だが、これからお前にはこの車を運転してもらう。」
「そうかぁ…それじゃ、エンジン入れる?」
「そうだな。もう入れておこう。」
「おっけぇ〜。」
そして突然、車が大きな音を立てた。
「!?」
その音は紛れも無く、エンジンをかけた時の音だった。北岡先輩がキーを差し込むのを、俺は見ていない。言っておくが、俺やシンディはまだ、キーを差し込んではいない。
「な…?!」
「どうした、良?開いた口が閉まっていないようだが?」
『驚いただろう?』とでも言いたそうな顔で、シンディは俺を見てくる。
『どうかしたの?』とでも言いたそうな顔で、北岡先輩は俺を見てくる。
俺やシンゴ、水鏡に見られるような、攻撃的な心獣というものは、実はこの世界では比較的珍しいものだ。普通の人なら『掌から鉛筆を出す』や『髪の毛を砂糖に変える』などのような能力しか使えない。尤も、能力者の工夫次第ではいくらでも凶悪にはなるが、最初から攻撃に向いているというものは、あまりいない。
つまり、北岡先輩のそれは、比較的パワーの強いものだった。
「不覚だ。」
ようやく声に出せた言葉が、こんな言葉と思うと、情けなくなる。
「そうだろう。水鏡から聞いているぞ。お前は『他者の強さが分かる』と。拓弥の凄さに気付かなかった事は、ショックだろう。」
「まさかこんな、寝ているばかりの先輩に、これほどまでの心獣が存在するなんて…。」
「言っておくが…拓弥はこんなものではない。」
「…。」
「『人は見かけによらない』とは、こういう事だ。体で覚えるんだな。」
その時、窓ガラスが叩かれた。外を見てみるとそこには、先程の作業員の着ていた作業服を着込んだシンゴと水鏡が、他にも数人分の服を持って立っていた。
「見つけてきたよ。」
「よし。良、拓弥。急いで着替えるぞ!」
いの一番でシンディが飛び出した。
「おい、水鏡。」
「何?」
「結局シンディが、一番張り切っているな。」
俺の意見に水鏡はただ、苦笑いするだけだった。


「よし、全員乗ったな?」
シンディのその言葉に、シンゴや水鏡は答えた。
「ちゃんといますよー。」
「カッカッカ。かくれんぼなんて、久し振りだぜぃ!」
この車は軽トラックだ。5人も人が乗っていたら、真っ先に怪しまれる。よって、一番老けて見えるシンディを助手席に乗せ、残りの3人は荷台に隠れる事となった。
「なるべく揺れないように走らせる。それでは、女学院へ向かう。」
北岡先輩は返事代わりにクラクションを2度鳴らし、そしてアクセルを踏んだ。俺はすでに箱の奥まで隠れていたから、周囲の動きは全く分からなかった。が、車が発進した事だけは分かった。
「すげぇな、おい!?なぁ、見ろよ!おい!?」
「シンゴ君、はしゃぎ過ぎだよ。」
「悪ぃ、悪ぃ!ちょっと楽しみすぎたぜぃ!」
言っておくが、侵入作戦は、遠足ではない。
「ところで水鏡。」
「何?」
「北岡先輩の心獣とは、何だ?」
この2人の先輩と知り合いであるお前なら、何か分かるだろうところが水鏡の口から出たのは、意外な返事だった。
「それが…僕もよく知らないんだ。」
「そうなのか?」
「うん。お父さんがF1レーサーの専属整備士だって事以外は、ちょっと…。」
「おいおい。普通はもう少し知っているだろ?」
シンゴのその言葉を聞いて、水鏡は黙ってしまった。
「…おい、どうした?」
「…先輩…寝てばっかりだし…。」
(汗)
急に、トラックは急ブレーキを踏んだ。
「おや、今日来る予定の電気屋さんかい?」
どうやら、女学院の正門へとやって来たようだ。
「はい。どこから入ればいいでしょうか?」
「それならね、ここを真っ直ぐ入ったところを、左に曲がったところの駐車場だよ。」
「どうも、すみません。」
シンディの適切な応対が功を差して、見事トラックは学園の敷地内へと入っていった。
「やったぜ…!」
「まだ喜ぶのは早い。とにかく、放送室に入るまではヘマするなよ。」
助手席から聞こえてくるシンディの声を聞いて、俺たちはさらに箱の奥へと身を潜めるのだった。




>>シンディ
ふむ、我ながら見事な作戦だった。今朝早くにシンゴから得た情報を元に、1時間足らずで学園内に侵入できた。あれほど計画段階では困難を極めた事が、嘘のようである。
「シンディ。これで分からないな?」
良が作業服に伊達メガネの姿で、私に尋ねてきた。後ろにいるシンゴは、付け髭にサングラスだ。
「…ふむ。予想以上に分からないものだな。」
「よっしゃ!これで忍び込めるぜぃ!」
「分かっていると思うが、2人とも、会話は禁止だ。」
「分かっている。」
「問題ねーぜ!」
不安はあるものの、仕方が無い。顔を知られている3人のうち、特にこの2人は目立っている。だからこそ、拓弥と一緒に水鏡を先に行かせた訳なのだが。
「とにかく『自分は作業員である』という思い込みが重要だ。分かったなら、校舎へと入る。」
「覚悟は決めている。」
「いざとなったら、ホウキは学校中にあるからな!」
まぁ、これなら問題は無いだろう。私は無言で、校舎へと入っていった。
「ふむ…隅々まで掃除が行き届いていて、心が落ち着くな。」
まず初めに私は、素直にそう感じた。床も窓もピカピカに光っている。後ろを振り返ってみれば、中の迫力に圧倒されるシンゴの姿が、印象的だった。
「シンゴ。あまりキョロキョロするな。」
流石に気になったのか、良が注意した。良い心構えだ、と思った。
「さて、ここから放送室までは80m程の一直線だ。しかし間には、職員室や会議室が並んでいる。慎重に、且つ大胆に歩くとするか。」
ここでためらった者は、容赦なく地獄へと連れ込まれてしまう。この場にいる3人は、すでに知っている。しかし、私たちの足取りは、それほどまで重いものではなかった。『覚悟を決める』とは、これほどまでに人を支えるのか。今度考えてみよう。
「……。」
言葉の無い、静かな戦い。突然前方の教員室から、教師が1人出てきた。シンゴがビクッと動いたのが分かった。でも、もう誰も、誰にも注意できない。これが辛い。
「あ、こんにちは。」
教師は一礼してきた。私たちは迷わず、会釈を交わした。その教師は疑う事も無く、そのまま廊下を歩いていった。授業中なのか、静かな廊下は私たちの足音を響かせていた。
「…分かるだろうが、もうすぐ放送室だ。気を抜くなよ。」
私が2人に注意したその瞬間だった。1人の女学生が、教室から出てきたのだ。軽い挨拶を交わして、長い黒髪のその少女は廊下へと出てきた。チラッと後ろを見てみた。そこには動揺を必死で隠している2人の作業員、良とシンゴの姿があった。
「慌てるな私たちは電気屋から来た作業員だ。それだけを考えろ。」
もちろん口で喋らない、目での合図だ。私たちはそ知らぬフリをして、立ち止まる少女の横を素通りした。彼女が何を考えているのか、少しも振り返らない私たちには少しも分からなかった。そして黙ったまま、放送室の扉の前に立ってみた。目の前には『午前中は修理につき、立ち入り禁止 寿 風華・雷華・水智』と書かれた張り紙が存在していた。…誰だ?
「失礼します。」
私はノックをした後、扉を開けて、堂々と放送室の中へと入った。後ろの2人が入ってきたのを確認した後、私はようやくまともに声を発した。
「よし、侵入成功だ。」
「いやっほー!」
真っ先に雄叫びを上げたのは、他ならぬシンゴその人だった。あまりの単純さに、私は眉間にシワを寄せてムッとした。それを察知してか良は、シンゴの額をはたいた。
「まだ侵入しただけだ。もう少し喜びを控えろ。」
普段の彼の言動に些か疑問を抱いている私だが、今回ばかりは彼の言葉に賛同した。
「さて、これからお前らはどうするつもりだ?」
「僕らは、もう少し待ってようと思うんだ。」
一足先に侵入していた水鏡と拓弥は、揃って口を開いた。
「授業中じゃ、楽しくないからねぇ〜。」
「もし楽しいとしても、すぐそばに教師がいるって言うのは、ちょっと…。」
若干食い違った意見だが、確かに、すぐ動き始めないという点に関しては同じらしい。
「それなら、俺もここにいる。」
まだ誰も話を振っていないにも関わらず、今度は良が喋り出した。
「ついでに放送室の機械を直しておくというのも、悪くは無い。」
「はぁ?!良、この機械は直す予定だったのか?!」
シンゴは耳障りなほどうるさい声で、驚嘆の声を上げた。
「そりゃそうだよ、シンゴ君。」
「本来は電気屋が来る予定だ。」
「放送が出来ないのは、ちょっとねぇ〜。」
私を除く3人の意見は、ピッタリと一致した。女学院に侵入した、その罪滅ぼしのつもりなのだろうか?私は眼鏡を調えながら、最後にこう締めくくった。
「分かった。昼休みまでここで待機し、機械を修理する。そして昼休みに入った瞬間から、各自自由行動だ。不満が無いなら、すぐに作業にとりかかれ。」
もう既に作業を始めていた拓弥の元へ、良と水鏡が参加した。それを怪訝そうな目で見ながら、シンゴはその場で横になった。若干意見の食い違いはあったものの、何とか作戦は成功したようだ。そんな初めての偉業に興奮していた私たちは誰1人として、幾度と無くノックされる扉に気付くはずが無かった。

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