第12話
>>遥
文字通りの五月晴れが気持ち良いお昼休みの廊下で、私はふと足を止めた。5月の中旬過ぎ、火曜日。遥か遠くから、煙が上がっていた。あれは多分B−1選手が巻き起こしたものに違いない。お兄ちゃんもこの間、出かけた先で襲われたって言っていた。日本もこの時期からだんだんと物騒になってくる。私も気をつけなきゃ。
「どしたの、遥ちゃん?」
ふと、隣から声をかけられた。私は慌てて返事を返した。
「あ、いえ、ただボーっとしちゃっただけだから。」
「そう?」
「それよりお姉ちゃん、やっぱりその荷物、私が持つから。」
「いいって、いいって!これくらい、荷物でも何でも無いわよ。」
そう言って笑顔を浮かべた「お姉ちゃん」とは、私の従姉、桜井渓という名前の人です。私の方が5つほど年下だから、私は普段から「お姉ちゃん」と呼んで慕っている。そのお姉ちゃんに両手で抱えるほどのダンボールを持たせているのに比べ、私には何も荷物が何一つ無い。その荷物は全て私が頼まれたものなのに。でも、仕方ないのかも知れない。私、身長、130cmも無いから。
「でも、何だか悪いな。」
「そう?それじゃ、これを持っててくれない?」
お姉ちゃんはダンボールの中から、電球を1つ取り出した。とは言えそれは、直径が30cmを越える大型電球だけど。
「あ、持つ!」
そう言って大型電球を抱える姿は、傍から見れば、かなり大きな荷物を持っているように見えていると思う。もう少し大きくなりたいな…。
「あ、そうそう。」
「どうしたの?」
「この間ね、シンゴに会ったのよ。」
「お兄ちゃんに?」
ぎくっ。
「まるでここを探るかのような動きで、凄く怪しかったわ。」
「へ、へぇ…(汗)。」
「遥ちゃんから言っておいてくれない?『妙な事を企んでいたら、今度こそ天誅だ』って。」
「わ、分かった。」
お兄ちゃん、探るの下手すぎ。
「お姉ちゃん、それ、もう誰かに言ったの?」
「ううん、まだよ。これだけで確信出来るとは言えないでしょ?」
「…。」
私も、バレないようにしなくちゃ。
「それに…あいつがそんな事しているなんて、ちょっと信じにくくて。」
事実、お姉ちゃんはお兄ちゃんを貶している。でも本当は、お姉ちゃんはお兄ちゃんの事が心配で仕方が無い事を、妹分の私は知っている。だから本当は2人とも、仲が良い。
でも今回は特別だから、私は少しだけ意地悪した。
「そうかなぁ?お兄ちゃんは結構ワルだもん。何か企んでいるに違いないよ。」
「アハハ。ま、確かにそうね。…て、アレ?そういえばこの荷物、どこへ運べばいいの?」
「放送室。それで、この電球は体育館。」
「よぉーっし。放送室から行くわよー!」
「おー!」
お姉ちゃんの後ろをついて行く光景に、周りの女学院生たちは、愛嬌のこもった目で見てくる。
「お姉ちゃん。何だか私、皆に見られている気がする。」
「あんたは可愛いからね。」
「でも何だか、子ども扱いのような気が…。」
「高校生にして見れば、11歳なんて子供よ。」
そう答えるお姉ちゃんを見上げながら、私は納得した。
「そっか…。」
他愛無い会話を交わしているうちに、ようやく私たちは放送室に到着した。
「失礼しまーす。」
お姉ちゃんがノックをした。
「はーい。どうぞー!」
扉の向こうから、聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。そう、学校で1番有名な声が。中に入るとそこには、放送用機材でいっぱいになった部屋が広がっていた。
「寿(ことぶき)さーん。頼まれていた荷物を持ってきましたー!」
「あ、遥ちゃん?どうぞー!」
私とお姉ちゃんは床に広がるケーブルを踏まないように歩きながら、ゆっくりと中へ進んでいった。しばらくすると、テレビスタジオのような部屋が見えてきた。
えー…。ここが女学院の情報発信地です。部屋は大きく分けて2つあります。1つは放送を収録するためのスタジオで、キャスターの座るイスや机、撮影用のカメラやマイクが並んでいるのが特徴的。もう1つはそれを編集するスタジオで、音響用のカセットやCD、MD、よく意味の分からないボタンの並ぶ操作台もあって、ここを見れば放送室である事がよく分かります。
言葉を統一させるために、前者のスタジオを『撮影用スタジオ』、後者の方を『編集用スタジオ』と定義します。
「あれ、寿さん?どこですか?」
「ここです。」
ヒョイと撮影用スタジオの中から、寿さんが姿を現した。
「え〜っと…眼鏡をかけていないから…。」
「雷華(らいか)さんですか?」
私とお姉ちゃんは少し戸惑いながら、勇気を出して尋ねてみた。
「残念。私は風華(ふうか)です。」
クスリと笑うその笑顔を注意深く見てから、ようやく私たちは間違いに気付いた。
「あぁ!ゴメンなさい!」
「ま〜た間違えちゃったわ。ゴメンね。」
「フフ。気になさらないで下さい。逆に間違えてもらうのが、私たちの習慣になっていますから。」
「そうなのだー!」
急に、背後の掃除道具入れが、凄まじい音を出して開いた。あまりの衝撃に、私は思わず小さな悲鳴を上げた。
「はっはっはー!どう、お姉ちゃん?うまくいったでしょー!」
ガッツポーズを決めながら、雷華さん(今度こそ本物)は飛び跳ねた。
「もう、雷華ったら。遥ちゃんが怖がっているじゃないの。」
「いえ、別に怖かった訳じゃ無いので。」
相変わらずのハイテンションに、お姉ちゃんも飲み込まれそうになってた。…あ!電球?!
「…良かったぁ〜…電球落とさなくて。」
偶然ケーブルに引っ掛かり、落下だけは免れていた。心底、ホッとした。
「雷華…あんたって子は、本当、人の寿命を縮めるイタズラばかりするのね。」
「あ、渓じゃない。どうしたの、こんな所まで来て?部活じゃないの?」
「あのね…遥がこれだけの荷物を持てるハズ無いでしょ?だからあたしが手伝っていたの。」
お姉ちゃんは両手に抱えたダンボールを強調しながら、何気無く雷華さんを非難した。
「遥の体の割に、荷物が重すぎるわよ。」
「いや〜、だって遥ちゃん、身長にコンプレックスあるでしょ?『こうやって重い荷物で体を動かせば、いつかは大きくなるよ〜』という事を、体で覚えさせようと思って。」
「ハァ…。」
いつの間にか眼鏡をかけた風華さんと、お姉ちゃんの大きなため息が、編集用スタジオの中で響いた。一通りため息をつき終えた後、お姉ちゃんはこう呟いた。
「雷華、あんたはそんな心配しなくてもいいの。遥の身長は、あたしの管轄なんだから。」
「え〜!それじゃ私は、何をすればいいのよぉ?!」
「と、とりあえず雷華さんは、キャスターを頑張って下さい。」
私は慌ててフォローした。雷華さんは女学院で唯一の、放送部のキャスターです。そのハッキリクッキリした喋り方と、迫っていく程の行動的な実況で、皆から好かれています。団体には所属しない、キャスターとしての中立的な立場に重きを置いているのも、人気の1つです。
「きゃ〜!『頑張って下さい』だなんて…ホント、遥ちゃんは可愛いなぁ、もぉ〜!」
…懐かれているのかなぁ?雷華さんはそう言うなり、私の頭をグリグリ撫でてきた。
「か、髪の毛がボサボサになっちゃいますよぉ〜…。」
「ほ〜れほれ、グリグリグリ〜…。」
「あぅ〜…。」
「ところで雷華、遥を撫でるのもいいけど、この荷物どうすればいいの?」
お姉ちゃんは、雷華さんを止めようとしなかった。私の頭を撫でながら、雷華さんは返事を返した。
「あ、それはねぇ、お姉ちゃんの荷物だから。」
「そうだったわ。渓さん、その荷物をそこへ置いて下さい。」
指定された場所へ荷物を置いた時、ようやく私は、雷華さんの撫で撫で地獄から抜け出す事が出来た。
「お姉ちゃ〜ん…。」
「頭、ボサボサ(笑)。」
お姉ちゃんは笑いを堪えながら、胸ポケットから自分の櫛を取り出し、私の髪を梳いてくれた。
「雷華、その荷物を整理しておいて。私は放課後の放送の準備に入るから。」
「任せなさいって!」
そうしてもらっている間に私たちは、寿姉妹の仕事を見ていた。その2人の後ろ姿が全く同じ事を考えると、少し顔がにやけてしまった。今更言うのも変だけど、風華さんと雷華さんは一卵性双生児です。眼鏡が特徴の風華さんがお姉さんで、喉が自慢の雷華さんが妹さんなの。
「…。」
喉自慢じゃありません(笑)。
「…あら?」
不意に、風華さんの拍子の抜けた声が聞こえてきた。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「おかしいわ…電源がつかないの…。」
風華さんは一番大きな機材の電源を何度も押しながら、困った顔をしていた。
「お姉ちゃん、それ、一番大事な機材じゃない。」
「そうなのよ。駄目、つかないわ。」
風華さんは何度も電源を入れようとボタンを押して、雷華さんは何度も配線を調べていた。
「こっちは異常無いわ。コンセント抜けていないし。」
「遥ちゃん、機械の事分かる?」
「えぇ?!機械なんて、分からないですよぉ。」
「そうよねぇ…。」
『特報リサーチ女学院X』(報道通信部のあだ名)の1人として敬われている風華さんが分からないのなら、私なんか何の役にも立たないよ…。機械なんて、全くの分野外だもん。
「ちょっといいかしら?」
私の隣にいたお姉ちゃんが、機材の前へと歩み出た。
「こーゆー機械はねぇ…衝撃を与えれば直るものよ!」
「えぇ?!」
「ちょ、ちょっと渓さん?!」
お姉ちゃんは小さく助走をつけると、そのまま電源のボタンに踵落としを決めた…て、えぇぇ!?
「渓!何してるのよ?!」
そう叫ぶ雷華さんの悲鳴は、私たちの心情そのものだった。
「衝撃。」
「見れば分かるわよ!壊れるじゃない!」
「大丈夫よ。そう言えば、地球に降ってくる隕石を破壊しに行く『アルマゲドン』って映画、見た?確かあの映画でも、隕石から脱出する時に機械が故障するのよ。それをロシアの人がボコボコに殴るの。すぐ後に直ったのを見て、あたし思ったのよ。『あぁ、そっか。スペースシャトルもテレビも、大差無いんだなぁ』て。」
「いや、そんな説明されても(汗)。」
何故か自信満々なお姉ちゃんに、思わず私たちは呆気に取られた。
「大丈夫よ!ホラ、そのうち電源が入って――」
その瞬間、機材が大きな火花をあげた。
「きゃぁぁ!!」
その場にいる4人全員で、叫び声をあげてしまった。恐る恐る機材のほうを見てみると、何だか電気のようなものが、バチバチ音を立てていた。そのうち、黒い煙まで立ち込めてきた。
「…。」
お姉ちゃんはあまりの破損具合に、声も出ないと言った感じだった。
「…とりあえず、『故障』という事が分かっただけでも、前進ね。」
諦めの混じった雷華さんの声が、何とも悲しげだった。
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