>>THE VOICE OF ENERGY
目の前に立ち塞がる信号機が青をさした瞬間、2台の乗用車とモンスターバイクは一気にエンジンを吹かし、まっすぐに伸びる公道を高速で駆け出した。ロケットスタートによる直線コースでは、数十センチほど司馬が優性を保っていた。
「凄いねぇ…こんなにスピード出して、体痛くない?」
車の窓を開けて拓弥は、司馬に尋ねた。メーターは既に150を越えていた。
「ワイはモノホンのスピード狂やさかい、このぐらいが丁度えぇわ!」
「そうなんだぁ…。」
「ところで、あんさん飛ばし屋のくせに、えらい間延びした口調やなぁ?!」
質問に答えたという気持ちもあり司馬は、今度は拓弥に、先程から気になって仕方が無かった事を尋ねてみた。
「これは昔からだよぉ。」
「んな眠そうな口調で、よー運転が出来るわ!『高速』は運動の世界やで!眠っているような静止の世界とは次元がちゃうわ!」
「……。」
「……ん?あれ?」
急に拓弥が静かになったのを不審に思い、司馬は運転席を覗いてみた。そこにはハンドルをしっかり握りつつ、いびきを立てて寝ている拓弥の姿があった。
「寝とるで、こいつ!?」
ツッコミを入れた瞬間、司馬に冷や汗が流れた。自分のよそ見運転や、彼の居眠り運転が原因では無い。前方数百m付近に緩やかではあるがカーブを発見したのだ。
「うおぉい!!あんさん、寝とる場合や無いで!?カーブや!!カーブが来とるぞ!?」
「ぐー。」
「『ぐー』か〜。そやなぁ!このままハンドルを切らずに『ドカーン』と派手に行くかぁ!……て、そんなワケあるかーい!!」
司馬の見事なノリツッコミが炸裂しても、拓弥は一向に起きる気配を見せなかった。そんな事をしている間にも、どんどんカーブは迫ってきていた。
「おぉい、起きろ!起きろ!起きろぉ!!」
ますます焦った司馬は、バイクで何度も車の側部を打ちつけた。どんどん助手席に凹みが出来、車も激しく揺らしたが、それでも彼は起きない。
「ちっ!もうカーブが来てもうたわ!」
彼は拓弥を起こすのを諦め、車から離れた。万が一事故が起こっても、自分も巻き込まれないようにするためだ。司馬はまるでサーキットを駆け抜けるレース用バイクのように、全体重をバイクにかけ、カーブを順調に曲がっていった。
「あの北岡って男、危ないで?!どないするつもりなんや!?」
彼は自分の体から冷や汗がゆっくり流れていくのを、はっきり感じていた。まさかすぐ目の前で居眠り事故が起ころうとは、夢にも思っていなかったのだ。
「……ちっ!いつもの交通事故なら、しょっちゅう見とるっちゅーのに!」
彼は迅い。彼は、大阪中の飛ばし屋の中でも最速の男だ。たまにやって来る挑戦者と高速道路や峠で勝負し、ある時は圧倒的なスピードで敵の戦意を失わせ、またある時は車体同士で激しく戦い、予想だにしないショートカットをして敵を出し抜いてきた。その時に起こる交通事故の全ては、決まってスピードの出しすぎによる操作ミスであった。そんな事故には無関心でいられる彼も、さすがに居眠り運転による交通事故は経験が無い。動揺するのも当たり前の事であった。そして無意識に車の前方に出て、車が見えない位置に着いたのも、当たり前の事であった。 「……カーブ…これで終わりや…。」
そこは、星観町と月島町を結ぶ道路の真ん中であった。大きく左折して行くこの道路は、それでも向きを90度回転させる程の大きな曲がり道だ。まっすぐに運転していれば、必ずガードレールにぶつかる道路なのだ。それがたとえ緩やかなカーブだとしても、これだけのスピードが出ていれば助からない。そう思いながら司馬が見たメーターは、180を差していた。
「……。」
しばらく、司馬は黙っていた。無性に自分のバイクのエンジン音が大きく聞こえた。自分が乗っている位置なら、普段ならもっと小さな音のはずなのに…。
「……え…?」
その時、彼は小さな声を上げた。
「大きい……何でワイのバイクのエンジン音がこないに大きいねん?!事故るなり爆発するなり、そっちの音の方がでかいはずやろ?!」
叫びながら司馬が後ろを振り返ると、見慣れた車が自分を追っていた。凹んだ助手席側の扉をした型遅れの白いワゴン車が、そこにいたのだ。車はあっという間に彼のバイクと平行に並び、運転席側の窓を開け、彼に話しかけた。
「ゴメンねぇ、話の途中でぇ…。途中で寝ていたみたい…。」
「……。」
「ついさっき気付いたんだよぉ。見ると目の前に君がいたから僕、慌てて追いかけちゃったよ。」
「……。」
「ところで…まだカーブ無いの?日本もアメリカみたいに、大きくなったもんだねぇ…。」
妙な納得を見せる拓弥に対し、司馬は悩んでいた。何故拓弥は、一切の記憶無しに無事カーブを曲がりきれたのか――これに対して彼は、今はまだ分からない、という結論を出した。
「(焦って答えを出したらあかん。ここは無視や。何とかして答えを見つけるんや!そうでもせな、ワイ、こいつに勝てる気がせぇへんわ。)」
「知ってる〜?アメリカってすごくでかいから、まっすぐの道路ばっかりなんだよぉ。だから免許も数日で取れたりするんだよぉ〜?」
拓弥の話を、司馬は聞いてはいなかった。正直なところ、彼は焦っていた。自分の意思無しでカーブを曲がりきるのは、運でも偶然でも無い、心獣によるものであると考えていた。だからこそ、拓弥の心獣能力を知る事こそが、彼に勝つ近道だと確信していた。
「(せやけど、どないしたらそれが分かるんや?また『運良く寝るのを待つ』ちゅーのは無謀やわ。何か障害物が突然やって来たら早い話やけど、それも他人任せやし、ワイが気に食わん。せやかて何か方法があるわけでも無いし…。)」
そう考えている間にも、拓弥は司馬のバイクめがけて突撃を出していた。そのたびに彼はそれを避け、そして拓弥の心獣について模索していた。その時彼の目は、遠方の十字路を捉えた。あまり司馬は賢く無いのだが、この時ばかりは名案が浮かんだ。
「(そや!急にあの十字路を曲がってみるんや!そしたらこの車がどんな動きをするか、きっと分かるに違いないで!別にワイはゴールを決めたワケや無いんや。曲がりきれへんなら曲がりきれへんで、ただの相手への妨害になるだけや。)」
彼は口元を緩ませた。次の曲がり道こそ、この勝負の明暗を分けるポイントである事を、彼は確信した。
「(っちゅー事は…ワイも心獣を使うた方がええわな。)」
右ハンドルを強く握り締めながら、彼は迫り来る拓弥に向かって叫んだ。
「あんさん!その車の名前は何や?!」
「あ〜……『中古車』ぁ〜。」
「まんまやがな!」
「だって、本当だもん。さっきゴミ同然で処分されかけていたから、僕が貰ってきたんだぁ。」
「ゴミ同然て…スクラップ工場か何かか?!」
「うん、そうだよぉ。あまりにボロボロだと売れないから、こうやってタダ同然で貰う事があ――」
「右行くで!!」
司馬がそう叫んだその場所は、先程見つけた十字路であった。彼は一気にバイクの右側に体重をかけ、足が地面に着きそうな程車体を傾けた。それと同時に彼の右足は、アスファルトを蹴ったのだ。
「『チェッカー・フラッグ』!!」
そう叫ぶや否や彼の体は、ほぼ同じスピードのまま右の道路へ突進したのだ。さすがの拓弥も焦った。そんな動きなど、物理の世界では考えられないものだからだ。またこの焦りは、自分もこのスピードのまま右の道路へ急転回させなければならない事も含まれていた。
「…ふぅ〜む。」
しかし、本当は心の奥深くでは焦っているのであろうが、彼の意識がそれを感じる事は一つも無かった。
「そこで右かぁ〜…彼、なかなかやるなぁ…。」
「どうや!?」
うまく右の道路へ曲がりきれた司馬は、このままでは転倒する事を感じ取り、一気にブレーキをかけた。道路に黒いタイヤ痕を残しながら、焦げたゴムの匂いを漂わせた。
「これだけの急転回、型遅れどころか、どんな乗り物も出来へんわ!」
彼の高速移動を行う心獣、『チェッカー・フラッグ』は、それを可能にする心獣であった。効果を右足だけに発動させ、それでアスファルトを蹴る事により体全体を高速化、結果200キロ目前のスピードであるにも関わらずバイクを90度転回させたのだ。
「さぁ!その心獣の正体!とくと見せてもらおーか!」
そう叫んで彼は、固い腕組みをした。自信満々でいる彼の目の前で、まさに今、彼の自信を打ち壊すかのような光景が広がっていた。
「……。」
何の不思議は無い。文字通り『車は曲がった』のだ。恐ろしい程の金属のうめき声を上げながら、ありえない乗用車の転回は成功したのだ。さすがにそのまま走る事は出来ず、乗用車はそのままブレーキをかけたが、そんな事はどうでも良かった。
「……何で、やねん…?」
開いた口が塞がらない彼の目の前に、さらに新たな光景が広がった。白い煙を上げながら止まったその車から、オーラとでも言うのか、何しろ白く透明な『何か』が剥がれたのだ。そしてそれは半透明を保ったまま、マントを羽織ったロボットへと変化し、車のボンネットの上で足をくんだのだ。
「……。」
「…君の心獣…『チェッカー・フラッグ』って言うのかぁ〜…うん、格好良いねぇ。」
運転席から、間延びした声が聞こえてきた。
「何だろう…?あの動きからすると、やっぱり高速移動系なのかなぁ?それにしては凄くいい動きだよぉ。」
「……。」
「…あぁ〜。ゴメンね、紹介がまだだったね。彼は僕の心獣『アウト・バーン』だよぉ。君の心獣と違って形があるから、バレやすいんだよねぇ〜…。」
拓弥の心獣は以前あぐらをかいたまま、司馬を指差し、カラカラ笑っていた。
『WIR FAHR'N FAHR'N FAHR'N AUF DER AUTOBAHN…!』
意味不明な笑い声を上げながら、『アウト・バーン』は頭の発光ダイオードを光らせていた。右目は内部でモーターと直結しているのか、細長い棒がクルクルと回転していた。
「そう言えば、君のバイクの名前を聞いていなかったよねぇ?教えてよぉ。」
そう言って屈託の無い笑顔を見せる拓弥に、司馬は、額から冷や汗が流れるのを感じていた。
彼は、自分が追い詰められている事にようやく気付いたのだった
彼は、自分は兎を狩る狐のようなものと考えていたのだが
兎は、どうやら牙を生やした猛犬だったようだ
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