第10.5話


>>草間
「よぉ、遅かったな。」
一学生の個室にしては広すぎる部屋の扉を開けるなり、尖田(せんだ)君は僕を出迎えてきた。
「相変わらず、テンションだけは高いんだね。」
「黙っていると、テンションが落ちるからね。これが約束のものかい?」
「そう。ついでに雑誌も。」
俺はカバンに入れて持ってきたソフトと雑誌を手渡した。
「あんがと。まぁ入れよ。」
「それじゃ、お邪魔するね。」
恭しく中へ入ると、その部屋の中身に、いつも目がいってしまう。部屋は20畳ほどの大きさで、とても大きな本棚が3つ、中には本がぎっしり詰まっている。机はきれいに整理されていて、とても使いやすそうだ。部屋の中央にはコタツが、その上にはパソコンが置かれており、ケーブルから察するに、回線がつながっているらしい。清々しい雰囲気を持つこの部屋は、僕と同い年である彼の部屋と言うよりも、イカした成人男性の一人暮らしすら連想させた。
「まぁ、ここに座れよ。」
パソコンの前に座りながら、その隣を指定した。
「いいの?」
「構わん、構わん。むしろ、来てくれなきゃ困るほどだ。」
明らかに彼は今日ヒマそうだった。
「それじゃ…。」
他人の家に来て、こたつに入るというのも、どうなんだろうか…。しかもこのコタツ、電源が入っているわけじゃ無いし。
「どう、サイトの様子は?」
「極めて順調、と言えるだろうな。これだけ来ればな。」
そう言って彼は僕に、とある画面を見せた。上には『入場者一覧』と表示されていて、『入場者』の数がリアルタイムに増えていく様子がよく分かる。
「これ、管理者画面なの?」
「そういう事だ。これを見れば、どこから来たのかさえ分かってしまう。」
「そんなものを調べて、どうするの?」
「別に何もしないさ。ただ見るだけ。」
「嘘だぁ。ちょっと頑張れば、そのパソコンの所在地まで分かるくせに。」
「ふふふ…バレたか。」
尖田君はニヤリと笑った顔を僕に見せる。僕が彼と出会ったのは、インターネットだ。そもそも閉じこもり気味だった僕は、閉じこもりの人たちがやって来る『閉塞空間』というサイトの常連だった。そこで出会ったのが、尖田君だ。彼は何1つ隠すことない書き込みを行い、不思議な人気を持っていた。そして不思議なことに、僕と彼の家が非常に近い事をそこで知ったのだ。
「あれさ、僕の家のパソコンを探知したんでしょ。」
「もちろん。近いものから調べていったら、偶然君だったのだ。」
家から徒歩15分の一戸建て。ひなびたマンション暮らしの僕としては、とても羨ましかった。しかし僕はその後、彼の驚愕の事実を知る事となった。
「でもまさか、あの書き込みが本当だったなんて…。」
「人間、1度は奇妙な事に出会うのさ。」
落ち着き払って語る尖田君は、心獣の影響で、この部屋から出る事が出来ないのだ。
「僕はこれを『閉鎖の定め』と呼んでいるよ。恐らく僕は、ここで一生を過ごすことを宿命として生まれてきたんだ。そう考えれば、別に怖くない。見たくない事まで言い当ててしまう未来予知の心獣使いの方が、悲しい存在さ。」
彼がこれほどまでに落ち着いているのも、理由があった。部屋から出られなくなるかわりに、パソコンを思い通りに操作する能力も手に入れていたからだ。
「この力のおかげで、僕はなんとか、食べていけるだけの収入は得られる。思い通りにサイトを経営して、バナー広告を載せておくんだ。計算で、100人に1人は間違えて入るんだ。すると僕の懐に数百円が入ってくる。サイト来訪者1日10万人なら、日給10万円強。簡単だろう?」
そうやって簡単に言いのける彼を見て、僕は、彼に人気が集中した理由が、なんとなくだけど分かった。


彼は部屋から出られない事故の代わりに、将来につながる後遺症を手に入れた。手に入れたものは大きいけれど、失ったものも大きい。
「それじゃ、尖田君、結婚できないね。」
「そうか?その気になれば、お見合いでもいい。」
「なるほど。でも、結婚式はどうするの?まさか、この部屋を披露宴にするの?」
「まさか。」
彼は鼻で笑った。
「地味婚さ、地味婚。籍を入れるだけでいいという、最もシンプルな結婚さ。」
「本当に、それでいいの?」
僕の心配そうな意見にも、彼は顔色一つ変えずに答えた。
「いいさ。この部屋から出ない、それが絶対条件なんだ。それにあった人生を送れるのなら、それこそ『自分らしい人生』になると思わないか?」
「心獣は『真の自分らしさ』だから?」
「一概にそうとは言えないが、そういう事だ。心獣とは『敷かれたレール』みたいなものだな。性別と同じように、すでに自分の中で定められていた、人生のレールの上を走るのも、意外と悪くないものだな。」
パソコンに向かいながら、彼は語り続けていた。
「本当に皆、そう思うかな?」
「少なくとも、これは成立する話だ。何故なら、その生き証人が、この俺だからだ。」
僕の方を向いて、ニヤリと笑った。
「草間、お前の心獣はどうなの?」
「え…。」
「自分では『気味の悪い、役立たずのお化け芋虫』とか言っている…けど、そんな負の感情ばかりが働いたレールの上を、君は走りたいのか?」
「は、走りたいわけないだろ!!」
僕はつい力んでしまい、こたつをバンと叩いた。自分の心獣の話になると、つい自分を見失ってしまう。悪い癖だ。
「それならば、『羽化』するんだな。」
「…『うか』?」
「そうだ。自分でレールを切り拓くんだ。そうすればお前も文句は無い。だろ?」
「……。」
「そうだ。お茶出すのを忘れていたな。何でもいいか?」
「……。」
返事は返さなかった。尖田君はそのまま黙って立ち上がり、部屋の端に設置された冷蔵庫を開けた。
「この年から収入があるというのは、なかなかいいものだ。家計を手伝う分、パソコンいじりの事でガミガミ言われずに済む。」
彼は麦茶を取り出すと、コップに注いでいった。
「…尖田君は、部屋から出たいとは思わないの?」
「ん?」
「もし自分で切り拓けるんだったら、どうして自分は部屋から出ないの?」
「…そうだなぁ…。」
僕の質問に少し悩んだ彼だが、すぐに顔を戻して、
「今の状態が気に入っているからな。」
「今が…だって、外に出られないんだよ!?」
彼はノコノコ歩くと、僕の目の前にコップを差し出した。
「さっきも言ったけど、意外と部屋を出るメリットが無いんだな。こうやって部屋の中でパソコンをいじくるだけで、一応収入が入ってくるし、今どき通販があれば何でも買えるからな。さすがに愛は買えないけどさ。…あでも、俺は使ってないよ。何だか、まどろっこしそうだし。」
彼はこたつに入りなおすと、再びパソコンをいじりだした。
「もはや、人が部屋から出るステータスが無くなりつつある証拠だな。」
「それでもさ、この閉鎖された空間から出たいとは思わないの?」
その意見に彼は、少し天井を見つめながら、
「…いや、しがらみからの解放というものは、結果では無い。」
「結果では、無い…?」
「人が真に『自由だ』と思える瞬間は、そういった束縛から抜け出した瞬間だけだ。その後に残るのは、再び束縛された生活に戻りたくなる焦燥だけさ。」
落ち着いてそう語る彼は、さらにこうも付け加えた。
「…人間って意外とマヌケだぜ?目指していた自由の正体は、上っ面だけしか違わない束縛なのにさ。」
「…。」
「ま、俺だって『しがらみからの解放』が嫌いなわけじゃないからな。少しずつだ。少しずつ解放していくんだ。そうすれば人間、実に理想的な解放感の中に生きていける。」
「…。」
「…ま、お茶でも飲んで、考えんだな。」
僕は、出されたお茶に口もつけず、じっと考えていた。
僕は、自分の心獣が気に入らない。それは醜い姿形だけでなく、その秘めたる力さえ何も無い事だ。しがらみなんてものじゃ無い。束縛でも無い。僕の汚点だ。それをゆっくり解放だって?とんでもない!一気に脱ぎさってやらなければ、僕はこの悲しさに潰れてしまいそうになる。でも、その先にあるものは…?尖田君の言う話が本当だとすれば、羽化を果たした後、一体僕に襲い掛かる『焦燥』は何なのだろうか?
「おぉい。飲まないのか?」
彼の声などもう聞こえなかった。僕はひたすら、自問自答を繰り返すだけだった。

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