>>THE VOICE OF ENERGY
夕暮れの礼拝堂で、今まさに決戦が行われようとしていた。男は自信があった。自分はB−1を1年間生き抜いた選手、対する相手はひ弱な女、その心獣が頼りになさそうなこの状況を見れば、誰でも浮かれるのかも知れない。
「仕方ねぇ。さっきの2人も人質にするつもりだったが…お前だけにしとくか。」
「どうぞ、出来るものなら。」
しかし、彼はイライラしていた。どうとらえたって勝ち目の無い女が、挑発ばかり繰り返していたからだ。
「…いい加減…その減らねぇ口を黙らせとくからな…。」
男はポケットから5cm程の鉄釘を数本、自分の手で握り締めた。これが彼の心獣に関わる事は、想像に難くない。男はしばらく黙っていた。
「どうかしましたか?急にお話を止めて…?」
「…うるせぇな…お前を黙らせる方法を考えてんだ……。」
彼が話を止めた理由は、別である。
「(…釘の事は、バレちゃならねぇ…バレない方が、俺の心獣は威力を発揮するからな…。)」
心獣と言っても、千差万別、様々な種類がある。戦闘用・非戦闘用だけでなく、戦闘用だけでも、真正面から向かうタイプ、隠密的に仕掛けるタイプ、中には無駄に目立たなければ発動すらしないものも存在する。
「(俺の心獣は、こっそり仕掛けなければ、相手がひっかかってくれねぇからな…ここだけは焦るんじゃねぇぞ、俺…。)」
彼の釘を握る両手は、だんだん汗で濡れてきた。
「(くそ…いつもこうだ…仕掛ける前になると、いつも緊張してきやがる…これは冷や汗か…?)」
「大丈夫ですか?汗、かかれていますよ?」
「うるせぇな。黙れ。」
男は適当に返事をしながら、周囲を見渡した。レイの立っている周辺は、イスが散乱し、視界が悪くなっていた。
「(…真正面から殴りかかり、その隙に周囲にしかけるか…。)」
彼は妥当な計画を立ててから、両手の釘に集中した。
「(今度こそはうまくハメるぞ、『キルジョイ』!)」
その瞬間、彼の釘にヒモ状のエネルギー体がまとわりついた。このエネルギー体こそが彼の心獣『キルジョイ』の正体である。彼にしか見ることの出来ないそのヒモは、粘着力は無いものの、相手の行動を妨げるだけの働きは十分持っている。
「いくぞ、女ぁ!!」
男は一気に駆け出した。右手を力一杯握り締め、レイの顔面めがけてストレートを放った。レイはその動きを一瞬で読み、バックステップでかわした。
「(くくく…バカめ!!)」
男はニヤリとした。今のクロスプレーの瞬間、男は彼女の死角めがけて、礼拝堂中に心獣をまとわりつかせた釘をまき散らしたのだ。心獣にひっかかった瞬間、男は追い討ちをかけるだけでいい。
「(後はメチャクチャに走りまわせば、必ず罠にかかる!!)」
男はニヤリと笑った。
「フフ…何か楽しい事でもありましたか?」
「あぁ…楽しくなってきたぜ…。もうすぐでお前をぶん殴れると思ったらな…。」
「そうですか…それは楽しみですね…。」
「ククク…。」
「フフフ…。」
「ククク…。」
2人の静かな笑いが、静かな礼拝堂に響き渡った。しかしそこに広がる緊迫感は、一向に解けないままだった。ひとしきり笑ったところで彼女は、今までで1番真剣な目つきをして、男に呟いた。
「でも…私は簡単にひっかかりませんからね?」
「クク…ん?!『ひっかかる』…?!」
ギョッとした、という言葉がピッタリだった。あなたは今まで自分が今考えていた事をズバリ言われ、ゾッとした経験は無いだろうか?今の彼は、まさにその通りだった。
「(何故だ?俺の心獣が妨害用だと気付かれたか?いや、今のセリフではまだ分かっていないかも知れない。それよりも、何故俺が心獣を使用したとバレたのか…?)」
男はしばらく考え込んでしまったが、未だにバクバク音を立てる心臓を沈めつつ、結論に達した。
「(…当たり前じゃねぇか…。何も様子を見せずに突進すれば、何か心獣を使用した事ぐらい簡単に想像がつく。しかも、そういう攻め方をする使い手って奴は、大抵攻撃的じゃねぇ。)」
男は再度、周辺を見渡した。今のクロスプレーで、辺りはさらに見通しが悪くなっていた。そして彼の心獣は、丁度いい具合に網を作っていた。
「(クク…あの女、俺なんかにブラフをかけてきやがっている…こいつはちょっと、痛い目でも見せてやるか…。)」
男はレイをにらみつけた。それに怯える事無く彼女は、さらに警戒を強めた。
「なかなか良い反応してんじゃねーか。」
「ありがとうございます。」
そう応えてレイは笑顔を見せるものの、少しも警戒を解く事は無かった。
「後ろの赤ん坊も、ちゃんとついて来てやがるしな…。」
彼の言うとおり、レイの心獣『グランドクロス・ベイビー』も、彼女の動きにあわせてしっかりついて来ていた。何だかんだ言いながらも、やはりこの天使は心獣なのだ。
「それぐらいしか自慢がありませんので。」
「おっと、自慢話はそこまでだ!」
自分から始めた話を止めて、男はまた駆け出した。今度こそ本気で殴りかかってきた。拳の行方にためらいが見られない。ストレート、フック、足掛け、男はありとあらゆる手段で彼女に襲い掛かった。レイはそれでも顔色一つ変える事無く、うっすらとした笑顔も変える事無く、1つ1つ、確実にかわしていった。しばらくその状況が続いたが、その時彼の目に自分の心獣の姿が飛び込んできた。
「(よし!キルジョイにひっかかれ!!)」
男は口元を緩ませた。今まさにひっかかるかと思われた瞬間、レイは前へ出てきた。予想もしなかった彼女の行動に、男は思わず出しかけた手を引っ込めてしまった。彼女が自分の懐に入り込み、腹を殴ってくると思ったからだ。しかし彼女はそんな事をする気配すらなく、むしろ反撃のチャンスをみすみす逃したまま、彼の反対側へまわったのだ。しばらく無言が続いた。
「…どうして殴らなかった?」
「避けるので精一杯ですので。」
「嘘付け!あんな避け方出来るくらいなら、いくらでも反撃できたはずだろ!!」
「…暴力はしたくありませんから。」
彼女は敬虔なる神の子だ。簡単に人を殴れるような人間では無い。男もその事に薄々感づいてはいたが、彼女のどこか高圧的な態度に、若干の疑問を払えずにいた。
「フン!さっきの腕前がありゃ、俺を黙らせられそーなのになぁ!?」
「…私を黙らせるのでは無かったのですか?」
「んな事、分かってるっつーの!!」
男はがむしゃらにレイへと突進し、無差別に攻撃を繰り出した。男の苛立ちは極限に達した。この時彼は、自分がどんな行動を取り、どんな事を思っていたか、覚えていなかった。
「この女ぁ!!」
だから、自分の心獣にひっかかるとは思っても見なかったのだ。
「ぐふっ?!」
気が付いた時には、もう遅かった。立ち上がろうとする男の前に、すぐさまレイが立ち塞がった。
「もうあなたに勝ち目はありません。自分の心獣の場所すら分からない状態では――」
「うるせぇ!」
「もう少し落ち着いていられたら、勝負の行方は分からなかったと思います。」
レイの言葉を聞くたびに、男の自信は確実に揺らいでいった。
「(くそっ…この状況、どー考えたってヤバイじゃねーか…。)」
男は静かに、自分の足元を見た。彼女が言った通り、右足は自分の心獣にひっかかっていた。だが、彼にはその事よりも、どうしても分からない事があった。何故、自分の心獣が見抜かれていたのか?しかもこの場所で彼が倒れるには、レイはいくつもの彼の心獣を避けていかなければならない場所だった。
「(何故だ…何故俺の心獣がバレたんだ?!俺の『キルジョイ』は、俺にしか見えないんだぞ?!)」
「あなたの心獣は『キルジョイ』という名なのですね。」
男はさらに体を固めた。
「ヒモ状をしていて、あなたにだけしか見えない…かわすのは大変でしたよ?」
男は自分の心獣について、何も喋っていない。喋っていたのはレイの方だ。喋らないどころか、存在さえも隠していたはずであるにも関わらず、レイは彼の心獣の特徴全てを言い当てた。
「(な…何故俺のキルジョイが分かった…?!)」
「『何故俺のキルジョイが分かった…?』」
彼女のそのセリフに、男はとうとう口を止めた。
「私には、あなたの心獣は見えていません。それは紛れも無い事実です。ただし、私は知る事が出来ます。…あなたが知っているから。」
その時、彼女の心獣が目に入った。
「…まさ、か…。」
「『グランドクロス・ベイビー』…この子は、あなたの心を知っています。」
「全部…読まれていた…。」
今から殴りかかっても、動きを読まれる…逃げようにも、行く先を阻まれる…裏をかいても、裏を読まれる…。男は拳を強く握り締めるも、反撃するチャンスを失った事を自覚した。彼は自分よりも上の世界にいる人物を、初めて認めたのだ。
その日を境に男は、B−1に参加するのを止めた。
>>水鏡
「本当に、遅くなってゴメンなさい!」
僕はレイさんに平謝りをした。
「いえ、別に大丈夫ですので…。」
「いえ、そういう訳には…。」
僕が急いで戻ってきた時男は、礼拝堂から警察に連行される瞬間だった。どうやら誰かが通報していたらしく、あっさりと事件は解決していたのだ。
「待っている間、加勢できなくてゴメンなさい。」
本当なら、女の子1人を残す事自体、間違いなのに…僕は彼女の言葉に甘えてしまった。これを謝らないで、どうしろと言うのだろう?
「私は、水鏡さんたちが無事だった事が嬉しいです。」
「確かに、お互い無事で何よりです。男が襲ってきたときは、どうしようかと思いました…。」
「誰でも、襲われたら怖いものです。それでも一生懸命戻ってこようとなされた水鏡さんは、良い人ですね。」
「え…いやぁ、それほどでも…(照)。」
思わずにやけてしまった。
「人を守ろうと頑張る人は…私は好きです。」
「……はい。」
褒められたらしい。僕は素直に喜んだ。
「もうすぐ夜になります。早めにお帰りになられた方が、また襲われないと思います。」
「あ。本当だ。もうこんなに暗いや…。それではレイさん、また今度。」
「さようなら。また会いましょう。」
僕は彼女と簡単なあいさつを交わして、家路に着いた。
「『人を守る』かぁ……難しいなぁ…。」
彼女がさっき言っていたその言葉が、やけに僕の胸に染みた。
この時僕は決めた
僕の心獣は人を傷つけない
人を守るために使おう
そう、素直に思った
>>レイ
水鏡さんを見送った後、私は小さなため息をついた。
「お疲れ様。」
私の背後から、声が聞こえた。
「あ、兄さん。」
「……まぁ、良いでしょう。それよりもレイ、何故あなたは自分の心獣について話さなかったのですか?あの様子では彼は、あなたが事件を解決したと思っていないようですよ。」
その事は私も知っていた。私は少しだけ考えて、兄さんに自分の考えを話した。
「水鏡さんがあまりにも申し訳なさそうに思っていたので、励ましたかったのです。それで…。」
「結果、その事についてはうやむやにする事になったのですか。…なるほど。レイらしい考えですね。」
兄さんは散らかった長いすを片付けながら、こう付け加えた。
「ただし、あまり深く考えすぎない方が良い。ここへ通う者たちはレイ、あなたから元気を貰っています。あなたには元気でいてもらいたい。」
その言葉が、裏表の無い兄さんの気持ちである事が分かった私は、思わず胸を熱くした。
「…はい。」
「よし、良い子だ。…それよりも、一緒に片付けてくれませんか?さすがの私も、この数では大変ですので。」
「あ、は、はい!」
私はすぐさま兄さんの元へと駆け寄り、一緒に長いすを片付け始めた。その時私の眼の端では、イスをジャングルジムにして無邪気に遊ぶ私の子の姿が、この事件の解決者の姿が映っていた。
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