>>THE VOICE OF ENERGY
「ふぅ…。」
目の前の仕事を終わらせた瞬間、レイは大きなため息をついた。自分で決めた事とはいえ、少しだけ後悔していた。彼らが、特にシンゴが疲れ切っていた事は知っていた。だから彼らを礼拝堂で休ませたのだ。
「(でも…せっかく遊びに来られたのに、ああやって放ってしまったのは、どうなのでしょうか…?)」
彼女はまだ悩んでいた。わざわざ来てくれたのなら、自分が対応しなければならないのではないか。そんな罪悪感が残っていたのだ。
「…あ。」
ふと横を見た。赤い、赤い夕陽が、そこにあった。
「きれい…。」
レイはいつもこの部屋で仕事をこなしているが、普段の生活リズムのためか、こうやって夕陽を眺めるのは久し振りであった。星観町は決して空気の澄んだ町ではないが、その鮮やかな色は、荒んだ心を沈める働きを有するらしい。彼女は自然と笑顔になっていた。
「まだ、礼拝堂でしたね…。」
身の回りを簡単に片付け、部屋を出た。考えるのはもう止めよう。今は二人に会わなくては。そう思い立った、まさにその瞬間だった。
「うわあぁぁぁぁ〜…!!」
礼拝堂からだった。水鏡の叫び声が、彼女の突如として耳に入ってきたのだ。
「水鏡さん!?」
誰が聞いても、何か異変が起こった事が分かる悲鳴に、彼女は一気に加速した。何が起こったのか、そんな事など考えていられなかった。ただ、自分の出来る事は何でもしたかったのだ。すでに周囲の景色は変化し、目の前に礼拝堂に通じる扉が現れた。普段静かに開閉するように言われている彼女だが、そんな事は記憶の彼方、一気に突き破った。
「どうしましたか?!」
網膜に飛び込んできたものは、たくさんの長いす、ステンドグラス、像、震える水鏡、シンゴ、そして大きなナイフを持った男だった。
「動くな!!」
男は言い放った。
「動けば、こいつらの命は無ぇからな!!」
その声に従い、レイはすぐに動きを止めた。そして、落ち着いて周囲を見渡した。他に侵入者の形跡が無い事から、単独犯である事は分かった。そしてナイフを強く握るその男は、よく見れば傷だらけであった。
「どうかなされたのですか、その傷は――」
「うるせぇ!!ごちゃごちゃ騒ぐんじゃねぇ!!」
男はよほど興奮しているらしく、彼女の言葉に耳を貸そうとする気配が無い。レイとしては、何とかしてこの状況を把握しておきたかったが、こちらから動けば人質となった水鏡たちの命が危ない。
「(仕方ありません。)」
レイは、男の出方を待った。しばらく、怖い程の沈黙が周囲を包んだ。
「……!」
彼女には、どこからか響いてくる時計の音だけが、異常に大きく聞こえた。
男には、遠方からやって来るサイレンの音を、聞き漏らさんとしていた。
水鏡には、自分の鼓動が大きくなっていくのを、認めざるを得なかった。
シンゴは、気絶していたので、何も覚えていない。
しばらくして、ポツリと男が口を開いた。
「いいか…何もしなければ、危害は加えない…。」
「はい…。」
彼女もまた、小さく返事した。
「初めに言っておく。俺は、B−1の出場選手だ。」
「お疲れ様です。」
「ところが、だ。今回の対戦相手が、前回のB−1の準優勝者だ。半人前の俺に勝ち目は無い。予想通り、試合はあっちの一方的有利だ。どうすればあいつに勝てるか、逃げている最中に考えていた…。」
レイは、水鏡に視線を移した。彼は突きつけられているナイフに怯えているらしく、震えもせず、全くと言っていいほど動かなかった。
「そこで、俺は思いついた。『こんなところに教会がある。ここで人質を取る。これであいつを棄権させる。』これなら俺は確実に勝てる。」
震える男の手が握るナイフは、夕陽を反射させ、礼拝堂の壁を照らしていた。その色と形は、このナイフが起こすかもしれない惨劇の様子を表しているように思えた。
「手をあげろ!あいつが来るまでの間、お前も俺の人質だからな!!」
彼ら2人を犠牲にさせるわけにはいかない。レイは手を上げ、ゆっくりと男に近付いていった。
「ところでお前…教会のものか?」
「はい…。つい先程、仕事が終わりました…。」
「ケッ。とんだアフター・5だな。」
男はやって来たレイを、乱暴に、地面に座らせた。隣に座っている水鏡は何か言いたそうにしていたが、犯人がすぐそばにいる以上、言葉を発するわけにはいかなかった。
「さて、と…。あの野郎が早くやって来りゃ、話は早いんだがなぁ…。クソッ!」
男はイライラしていた。
「(せっかく素晴らしい計画を考えたんだ。早く来てもらわねぇと、作戦がおじゃんじゃねぇか!)」
彼はピットを見た。どこか毒々しい着色をされた彼のピットは、確かに選手位置表示状態であった。
「(あれは、きっと表示モードを見ているんだ…。)」
深く男を観察していた水鏡は、その考えに辿りついた。
「(B−1においてピットは、選手の位置を知らせるレーダーの働きをするって話を聞いた事がある。自分の位置をわざと表示させる事によって、相手をここに呼んでいるんだ。)」
彼はあまり怯えてはいなかった。その事は、彼の横に座る事になったレイにも知れ渡っていた。
「(だけど、きっと来ないよ。だってこの人がいる場所は、教会のど真ん中なんだから、警戒されるに決まっているじゃないか。)」
水鏡はさらに考えを進めていた。自分の状況、周囲の状況、男の心理状況、相手の心理状況。そして彼から出てきた結論は、ただの一言、
「(この人、賢くないなぁ…。)」
だった。
「……ん!?」
男は鋭く反応し、左ポケットに隠し持っていたらしいナイフを左に持ち、とある方向を向いて叫び出した。
「お前、何だ?!動くんじゃねぇ!」
『誰だ!?』ではなく『何だ?!』だった。2人はその方向を見てみた。
「……。」
長いすの向こうから、白い物体がハイハイしていた。
「あ、あれは…。」
紛れも無く、レイの心獣だった。子供たちと離れたのか、礼拝堂までやって来たらしい。しかし、この状況を理解しているとは思えなかった。もし自由に操れるのなら、とっくにレイが呼び出していただろう。彼が自分からやって来たのは、彼の気まぐれだった。
「おい、お前、あれを知ってるのか?あぁ?!」
「わ、分かりました、分かりました!言います!言いますって!」
ナイフで脅された水鏡は仕方なく、レイの心獣の説明をした。
「…それで、あいつの知能はたかだか1歳児程度って訳か。」
「はい。呼ぼうと思ってもなかなか反応しませんので、どうか傷つけないで下さい。」
「…傷つける、傷つけないは、お前らの出方次第って事…忘れちゃいねーだろうな?」
男は鋭く睨みつけてきた。水鏡はビクッと震えた。
「分かっています。」
怯える水鏡の代わりに、レイが返事を返した。そんな姿を見て、水鏡は考えるのだった。
「(やっぱり、この人は凄い人だなぁ。これだけ睨みつけられているのに、ほとんど震えていないなんて…。精神力が強いというのもあるだろうけど…羨ましいほど人間が出来ているなぁ…。)」
そして、いまだに倒れているシンゴを見た。
「(…それに比べて、シンゴ君は…(泣)。)」
シンゴは、気絶している。それも初期の段階だ。男がナイフをギラギラ光らせながらやって来た瞬間、彼は気絶したのだ。
「(ハァ…何て情けないんだろう…(泣)。)」
人質としては情けないだけのシンゴだが、しかし、人質を取っている身としては、イライラの対象に他ならなかった。男はだんだん、寝てばっかりのシンゴに腹を立ててきた。
「(何をこいつは、呑気に寝ていやがるんだ?俺ぁ、生きるか死ぬかの大会に出ている身だぞ。お前みてーにダラダラ生きている輩とは、訳が違ぇんだよ!)」
そしてそのイライラは、やって来ない対戦相手を待つごとに、強くなっていった。
「おい!お前、早く起きろってんだ!」
男はシンゴの腹に蹴りを入れた。声にもならない声を出したものの、目覚める気配は一向に無かった。彼は余計に腹が立った。もう一度、今度はさらに力を込めて蹴ろうとした時、
「どうか、蹴らないであげてください。彼はただ気絶しているだけです。」
と、レイに言われてしまった。彼の腹の煮えくり具合は、この時既に最高潮を迎えていた。
「あいつは来ない、俺は不安、苦しい、辛い、こいつは腹立つ、寝てやがる、そこへ俺に口出しするだとぉ!?うっせぇんだよ!!」
今まで一番の力が込められた彼の怒りの蹴りを、シンゴは腹で受け止めた。声にならない一つうめき声を上げるが、それでも彼は起きようとしなかった。それもそのはずである。蹴られるたびに彼は気絶しているのだから。
「起きろ!!起きろ!!てめぇ、バラされてぇのか、あぁ!?」
二度、三度、四度、五度…それでもシンゴは反応を見せない。この時彼はきれいな花が咲き誇る川原で、無邪気に走り回っていたという。そして、これ程までに蹴られ苦しむシンゴの姿を、レイは見ていられなかった。
「や、止めてあげてください!」
「てめぇ、自分の立場が分かってんのか?!」
「お願いですから、もうこれ以上は――!」
「分かった、分かった!…その代わり…。」
そう呟きながら男は、体をレイの方へ向け、
「お前が吹っ飛べ!!」
叫びながら、恐らく彼の全力キックを放った。




彼の足は、空を切った。
「……あ…?」
それは、男の動きを全て予測できなければ出来ない程の動作だった。彼女は高速で迫り来る足を跳躍で避け、すぐさま彼に足払いをかけた。予想だにしなかった回避と足払いによって、男は派手な音を立てて地面に倒れた。
「水鏡さん!」
「分かっているよ!」
水鏡はシンゴを背中に背負い、一目散に部屋の端へ逃げた。そのまま外へ飛び出そうとした瞬間、
「あ!で、でもレイさんは!?」
彼の性格上、彼女を放っておく事など出来なかった。しかし、あまりのんびりもしていられない。ジレンマに悩み足が動かない水鏡を落ち着かせるかのように、レイは笑みを浮かべた。
「大丈夫です。ここは私に全て任せてください。」
その時、男がゆっくりと立ち上がった。
「て、てめぇ…!!」
その表情は文字通り『この世のものではない』程のおぞましさだった。水鏡は、大きく震えた。
「水鏡さんは、シンゴさんを安全な場所へ運んでください。私に加勢するのは、その後で十分ですから。」
何一つ迷いの無い言葉と笑顔で、ようやく水鏡は決心がついた。
「分かりました!すぐに戻ってきます!!」
一気に扉を蹴破り、水鏡は外へ飛び出した。
「待て!!」
「お待ち下さい。」
追いかけようとする男の正面に、レイが立ち塞がった。
「彼を追いかけるのは、私を相手にしてからですよ。」
「…ケッ!気にくわねぇな。その薄ら笑いがよぉ…。大体、てめぇの心獣は俺の足元に及ばねぇな。」
確かに、彼の言う通りだった。レイは何一つ震える事無く、この殺伐とした空気の中に1人、突っ立っているのだ。唯一の頼りの綱である彼女の心獣も、この状況の事を理解していないらしく、ただ長いすによじ登って遊ぶだけだ。この状況で一体誰が、彼女に軍配があると言うだろうか。
「見てみろよ、あの貧弱な体。…あんなガキに、仮にもB−1選手の俺が負けると思ってんのか?」
彼は右手を差し出した。それが彼の戦闘態勢なのだろう。それはつまり、彼が本気を出したという事である。
「来いよ…俺がぶっ潰してやる…。」
レイは一つ、小さく呼吸を整えてから、かけ声を一つあげた。
「『グランドクロス・ベイビー』!」
その瞬間レイの心獣は、背中から白い羽を生やし、彼女の元へと飛んできた。その周囲には白く光る羽が、ゆらゆらと舞い散っていた。
「…んだよ。賢けぇじゃねーか。どこが1歳児だぁ?」
「…いいえ、この子は賢くありません。この子が出来るのは、これくらいですから。」
柔らかな笑顔ではあったが、その目の奥では、これから起こる戦闘に向けての決意が秘められていた。

 戻る