>>シンゴ
朝早くから出かけたわりには、昼までに終わっちまった。ま、これから遊べるってのは嬉しいが…。
「問題は、遥の事だな…ちぇっ、かったりぃ…。」
頭をボリボリかきながら、俺はボロアパートに戻ってきた。俺の部屋は1階だが、2階の人が階段を上り下りするたびに、ギシギシ金属の軋む音が聞こえてきて、うるさくて仕方が無い、それくらいのボロさだ。ポケットから鍵を取り出しながら、錠に差し込んだ。
「…おんやぁ…?」
右に回せば開くはずなのに、開いた時のあの音がしねぇ。
「誰かいるのか…?」
無用心にも俺は、一気に扉を開いた。泥棒がいるかも、という発想は一切無しだ。『絶対狙われない』と言えるほど、ここのボロさには自信があるからな。それに、こうやって俺の部屋に入ってくる奴を、1人知っているし。
「あ、お兄ちゃん!おかえり〜。」
玄関横の狭い台所に立っている遥と、目が合った。
「お前、また来たのかよ。」
「『また』って…今頃何言っているの。お兄ちゃんがこのボロアパートにやって来てから、ずっとじゃない。いい加減慣れたでしょ?」
「ま〜な。もはや恒例行事だな。」
俺の家なので、遠慮なく入る。部屋に、醤油の匂いが立ちこもっているのに気付いた。
「お、昼飯か。」
「今日はうどんだよ〜。」
「俺、きつねな。」
「心配しないで。お兄ちゃんの家には、もう揚げしか無いから。」
遥は、手早く鍋の中のうどんをどんぶりに入れ、その上に揚げを1枚ずつ入れていく。最後にネギをぱらりと振りかける。
「さ、出来たよぉ〜。」
俺の家は極力荷物を少なくしているので、もちろんお盆は無い。遥が手で持ってきたどんぶりを、俺は受け取った。
「いっただっきま〜す!」
俺はすぐに箸を掴むと、一気にうどんをすすった。
「いただきまーす。」
遥は丁寧に手を合わせ、その後で箸を取った。
「ずるずる…ところで、遥。」
「何?」
「さっき『もう揚げしか無い』って言ったのは…本当か?」
「本当だよ。私、さっき見たもん。あ、お兄ちゃんも見てみる?」
「止めとく。悲しくなりそうだ。ずるる〜…。」
「それが賢明だよ。」
俺が家を飛び出して、もう数年になる。理由は俺のわがままだ。親父は酒造りに夢中、母親は『法を犯すな』の一点張り。母親も昔はやんちゃをしていたらしく、教育としていつも俺たちに『あんな事になるなんて…もう揉め事は懲り懲り!』と言い続けていた。家系も純日本風で、日本が全て、といった感じだ。それに対して俺は、外国や自分の世界の外が大好きだった。日本が嫌いな訳じゃない。だが、やっぱり未知の世界への冒険心は、俺の中では捨てきれない。
だからその手始めに、家を飛び出した。その時の事はあんまり覚えてねぇが、とにかく今は、こうやって1人暮らしを謳歌している。俺がこの女学院侵入作戦に積極的なのも、『法の外への興味心』なのかも知れねぇ。
1人暮らしが寂しいとは感じなかったが、どうも俺は家事が出来なかった。それをどこで聞きつけたのか、突然遥がやって来るようになった。『お兄ちゃんに、家事は無理だもんね〜。』と言うのが、遥の言い分だった。全く、せっかくの1人暮らしだってのに、家で暮らしているのと何も変わらない。
「ごちそーさま。」
丁寧に手を合わせながら、遥はうどんを食い終えた。
「それより遥…。」
「何?」
さっきから気になる事が、1つ…。
「お前、何で制服なんだ?」
1番上に来たブレザーの胸元に、女学院の校章が光る。あぁ…!眩しすぎて直視出来ねぇ…!
「あ、この服の事?えへへ…さっきまで、学校の図書室で勉強していたの。」
「日曜日だってのに、頑張るなぁ…。第一お前、勉強しなくても大丈夫だろ。」
「ダメだよ〜。いくら勉強できても、磨かなきゃ意味無いもん。知っている?歴史上の偉人たちの多くは、努力家なんだよ。」
「ふぅ〜ん…。」
興味が無いから、うどんを食い続ける。遥の作る料理は、ダシが効いていて美味いんだよな。
「帰ってみたら、ビックリ!寝坊助のお兄ちゃんがいないんだもん。どこに行っていたの?」
…来たな。俺は遥にばれないよう、静かに目を光らせた。今こそ、俺の力を試す時だ。
「…遥。」
俺はうどんのどんぶりを、ちゃぶ台に置いた。その俺の真剣さに、遥は戸惑った。
「…な、何?急に改まっちゃって?」
「ちょっと、重大な話がある。」
「私に頼み事?」
「そうだ。」
「珍しいね。」
確かに、俺が遥に頼み事をするのは、数年ぶりかも知れない。
「それで、お兄ちゃんは私に、何を頼むの?」
俺の意味深な発言によって、遥はすっかり興味津々だ。まだまだ、遥にはこれからもっと興味を持ってもらうからな。
「遥…お前には、俺たちの秘密プロジェクトに参加してもらいたい。」
「ひ、秘密プロジェクトぉ?!」
カッカッカ。見てみろ、この遥の驚いた顔を!まだまだ行くぜ!
「そうだ。秘密プロジェクトだ。しかし、内容はこのプロジェクトに参加する者だけにしか言えねぇ。」
「そ、そんなに凄い事なんだ。」
真剣な目つきで、俺を見てくる遥に対して、俺は威厳を込めた声で、トドメを刺した!
「さぁ遥…どうする?!」
「じゃ、断る。」
「頼む!お願いだぁ!」
一気に俺の声は、情けないものへと変わった。マジかよ?!ここまで引っ張れば、今までの遥なら食いついてきたハズなのにぃ?!
「フフフ…『今までの私』なら、ね?」
「ハッ!遥、まさか?!」
「私は日々精進しているの。お兄ちゃんの下らない発想なんて、既に読んでいたんだから。」
「し、しまったぁ〜!!」
くそぉ!なんて事だ!まさか、俺の行動パターンが読まれていたとはぁ?!
「全くよぉ…優等生の妹を持つと、苦労するぜ…。」
「劣等性の兄を持つと、本当に呆れる…。」
…参ったぜ…こりゃ失敗か?
「ねぇ、とりあえず、その極秘プロジェクトだけ聞かせてよ。」
「…興味津々じゃねーか。」
「ち!違うもん!絶対そんな事無いもん!『またお兄ちゃんが、変な悪事に手を染めているんじゃないかな〜?』なんて、そんな事、思ってないもん!」
顔を真っ赤にしてまで遥は、俺に抵抗してきた。…たまに俺は、こいつが本当に学園一の優等生か、疑いたくなる…。てか、バカじゃん。
「…口外禁止。」
「分かってるよ。」
あれほど俺をコケにしたくせに、これほど真剣になるとは…さすが俺の妹。行動パターンが読めねぇ。
「名付けて!『女学院に侵入☆ついでに彼女GET大作戦』!!」
言った瞬間、遥の思想が読めた。俺でも読めた。これはどう考えても…ネーミングセンスを疑っている顔だ。
「…俺が考えた名前じゃねーぞ?」
「…うん。」
ヤバイ。この状況、異常だぞ。だんだん遥の顔つきが複雑になってきた。
俺をけなしているんだろうなぁ。
俺を哀れんでいるんだろうなぁ。
俺を見下しているんだろうなぁ。
冷や汗をかきはじめてきた時、遥は俺に尋ねてきた。
「…それで、予定では私は何の担当なの?」
「そりゃ、もちろん…学園の情報を掴んでくる係りだ。」
それを聞いた瞬間、何故か遥は黙ってしまったが、やがてその重い口を開いた。
「うん…まぁ、それ位だったら、参加しても良いよ?」
「マジか!?」
思わず俺は立ち上がった。どこをどうすれば、その結論にたどり着くってんだ?!
「…あぁ!誤解しないでね!ちょっとお兄ちゃんが心配になったりとか、ちょっと犯罪めいた事に少し心動かされたりとか、それでも愛を求める姿勢に若干感動したりとか、もしかしたらその中に良さそうな人でもいないか気になったりとか、私が思春期真っ只中だからとか、そうゆう事じゃないから!」
…どうやら俺は、まだまだ遥を見守り続けなければならないようだ。
「安心しろ。そこまで聞かねぇから。」
「ほっ。」
『てかもう聞いたけどな。』なんて、死んでも言えない。
「とにかく、遥は俺たちに情報をくれたら良いんだ。それが仕事。」
「安心して。私はこう見えても、顔が利くから。」
『こいつ、どことつながりがあるんだ?』という事は、この際置いとくか。
「あ、そうそう、お兄ちゃん。早くうどん食べてよ。今から洗うから。」
「お、悪ぃ。」
どんぶりに残っていた汁を一気に飲み干し、どんぶりを遥に渡した。
「そっかぁ…私もプロジェクトの一員かぁ…。」
そう独り言を呟きながら、至って遥は上機嫌になったらしく、鼻唄交じりに皿洗いをするのだった。
「そうか。でかしたぞ、シンゴ。」
良は久し振りに俺を褒めた。次の日の放課後、俺たちは図書室に集まっていた。昨日の出来事を言うためだ。
「それでは今後、彼女の情報で動く事とする。意義のある奴は、挙手。」
「私だ。」
シンディは手をあげた。
「ところで、その遥ちゃんだが…いくつだ?」
「せ、先輩。まさか小さい子好きなんですか…?」
「水鏡。それ以上その話を口にするようならば、後で私の必殺技『ハードカバー・ブラスト』を叩き込む。」
「うわぁ!!ゴメンなさぁい!!」
何か物凄い事実がさらりと場に晒された気がしたけれど、俺と良は無視をする事にした。
「理由は簡単だ。この作戦は、基本的に高等部を狙うものだ。妹が小等部などでは、意味が無い。」
「…意味無い事も無いだろうに…。」
良は何か言いたそうだったが、口をつぐんでいる。仕方ないから、俺は答えてやった。
「遥は現在、11歳だ。」
「没――――――――!!」
シンディの叫び声は、すげぇ。振動で、机が少し動いた。
「よりによって、小等部ではないか!!」
「待って!先輩待って!」
「がるるるる…!」
シンディは水鏡に抑えられるが、どうも猛獣から人間に戻りきれていない感じがプンプン漂ってきやがる。獣の本性を現すたぁ…シンディ、さすがだ。
「シンゴ。説明しておいた方がいいな。」
「そーみてぇだな。」
昔からこの説明ばっかしてきたから、いい加減飽きてきた。良に言ってもらおっかな。
「良。代わりに言ってくれ。」
仕方ない、とでも言いたそーな顔で、良は獣――シンディに説明を始めた。
「そもそもシンゴの妹さんは、俺たちの同じ小学校だった。だが、その高い頭脳レベルにより、優盟女学院へスカウトされた。」
「がるっ?」
「そして次々と飛び級を重ね、現在11歳にして高校2年生、IQは150を越えるとか、越えないとか。」
「がるるっ?!」
「よって問題無し、という訳だ。」
「なるほど。それならば文句は無い。」
急にシンディが、人間に戻った。ホッと胸を撫で下ろす水鏡に、俺は呟いた。
「つーか遥も、今の今まで、よく謎の組織とかに狙われなかったもんだな。」
「確かに。あれだけ賢かったら、普通狙われるよね。」
「だから狙われたのだろう。女学院に。」
「な〜るへそ。」
良の一言に、俺と水鏡はセリフがダブった。
「とにかく、今はその遥ちゃんからの連絡を待つだけだ。分かったな?」
とにかく眠り続ける北岡先輩を揺すりながら、シンディは確認を取った。てかこの人、起きる事があんのか?
「それじゃ、今日はこの位で解散。」
「お疲れー。」
「お疲れ様ー。」
ま、ここは遥を頼りにすっか。
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