第9話
>>良
「もぐもぐ…なぁ、結局…昨日の作戦は、無駄だったのか…もぐもぐ…?」
次の日、俺が昨日買ってきたケーキを3人で食べながら、朝っぱらから作戦会議を始めていた。
「…シンゴ、食べながら喋るな…もぐもぐ…。」
「良君もだよ…もぐもぐ…。」
3人ともバカなので、どうしても箸が…いや、フォークが止まらない。
「いや、昨日の作戦は…ごくり…全く持って見事なものだった。」
「それじゃ、どーして失敗したんだ…もぐもぐ…。」
「侵入は成功していた…ぱくり…ただ、出口が無かった…もぐもぐ。」
「まさか、あれだけ閉鎖された空間だったなんて…もぐ…思わないよね…。」
それよりも、相変わらず水鏡の食事のスピードの遅さが気になる。まだ2口目だぞ(汗)?
「これ、うめぇな…ごっくん。」
「うむ。『滅鬼』の刺激的な辛口加減が、甘さ控え目の…もぐ…クリームをひき立てている。」
「くっそ〜…今度はうまくいくと思ったのによぉ!」
シンゴは悔しさのあまり、強引にケーキを頬張る。もうケーキは見る影も無い。
「まだあるぞ。」
「お、サンキュ〜…もぐもぐ…。」
お店の名前の書かれた箱を差し出すと、シンゴは自分で皿にケーキを盛った。
「結論として言わせてもらえば…ごくり…あの侵入経路には出口が無い。」
「あの土管…もぐもぐ…中は意外とキレイだけど、どうやって今まで掃除してきたんだろうね…もぐ…もっとコケやカビで…もぐもぐ…荒れていると思ったのに…。」
「確かに。」
「…もぐもぐ…。」
水鏡はまだ咀嚼している。長い。長すぎる。
「…それよりも水鏡、早く飲み込め。いつまで噛むつもりだ?」
すると水鏡は口の中のものを飲み込み、喋りだした。
「やだなぁ、良君…『8020運動』を知らないの?」
「国民の人権や弁論の自由を訴えた運動か?」
「シンゴ君、それは『自由民権運動』だよ。逆にどこで知ったのさ?」
「『スーパー武人対戦』でな。」
「ホラ、8020運動だよ。『歯を大事にしましょう』て運動!」
水鏡は完全にシンゴを無視した。
「あぁ、そういえば、そんなものがあったな。ガキの頃に散々言われたな。」
「確かにな。」
アレだろ?80歳まで20本の歯を残そう、てやつ。
「そう、それだよ。だから僕は1つ食べるのに、最低8020回咀嚼する事にしているんだ。」
「…。」
「…。」
「…あれ?2人とも、どうして黙るの?」
俺とシンゴは、水鏡に悟られないように、目で会話をした
「(水鏡、本気だ。)」
「(あぁ。目に1点のくもりが無い。)」
「ねぇ、どうしたの?」
「何でもない…しっかりものを噛んでくれ。」
「?」
頭から疑問符が出ているのが、よく分かった。視線をおろし、ふと気付くと、俺の皿のケーキが無い。そう言えば、さっき食べ終わった事を忘れていた。
「1つ貰うぞ。」
俺はそう一言呟いて、箱からケーキを1つ取り出した。『滅鬼』の芳醇な香りが、皿から俺の鼻にかけて立ち込めてくる。
「もぐもぐ…それでさ、今度はどうするの…?」
「お、水鏡も積極的になってきたな。」
「ごふっ!?」
俺の言葉に、水鏡はむせた。慌てて自分のお茶を喉に流し込み、そして大きく息をついた。
「そうだった!どうして僕は、こんなに協力しているんだ!?」
「カッカッカ…そちも悪よのぉ…カッカッカ…もぐもぐ。」
「…本当に怖くなるよ…僕はこの作戦には反対のはずなのに…いつの間にか、そう考えている自分がいなくなるんだ…。」
そう静かに呟く水鏡の目は、何か愁いを帯びていた。
「何を真剣になる必要がある?『忙しい』という事はいい事だ。それで自分を見失うのなら、まだ幸せだ…ぱくり…。」
新しいケーキを口に入れながら、俺は暗くなる水鏡にそう言ってやった。
「そんなものなのかな?」
「そういうものだ。人間ヒマになるほど…もぐ…恐ろしいものは無いぞ?水鏡だって経験あるだろう?…もぐもぐ…夏休みになると急にヒマになるから『宿題なんて少しくらいサボっても…もぐもぐ…大丈夫。』と思って、最後の週に泣きを見たりするやつだ。」
「あぁ、あるねぇ。」
俺の言葉に、シンゴも激しく頷いた。そう、ここにいる3人は、それを毎年欠かさず経験しているのだ。
「だからそれくらい、心配する事ではないのだ。てか早く食え。夜まで食う気か?」
「あっはは…ゴメンゴメン…ぱくり…。」
その後しばらく、無言が続いた。人気の無い日曜日の図書室に、咀嚼と茶を飲む音だけが静かに響く。そして何分か経ってから、水鏡はすくっと立ち上がり、
「侵入は犯罪だって、何度も言っているでしょ!!」
「ちっ。騙されなかったか。」
惜しい!
「良君、今僕の事を騙そうとしたよね?!」
迫り来る水鏡の目つきは、普段の彼を想像出来ない程、鋭く吊りあがっていた。
「してない、してない。」
俺は白を切って、首を振った。
「どう考えたって、説得でも何でもなかったよ、さっきの話!」
「人生の教訓、て事で。な?」
「『な?』じゃない!!」
「おい、水鏡ぃ、飲み込んでから怒れって〜。」
シンゴはシンゴで、自分の食べかけのケーキを守るのに必死だ。ダメだ、あいつは俺を助けてくれそうに無いな。
「そうだ!よく言ったぞ、水鏡!」
「…あ、この声は…。」
図書室に喝を入れるその声は、俺たちの背後、図書室の入り口からだった。その聞き覚えのある声の主は容易に想像できたが、それでも無視するわけにはいかない。振り返ってみると、
「全く、お前らはまだ懲りていなかったのか。」
ご立腹のシンディが立っていた。
「よぉ、シンディ!」
「気安く呼ぶな!」
シンディは背負っていたカバンを下ろしながら、俺たちの机の元へやって来た。
「…てかお前ら、何食っているんだ!?」
「ケーキ。」
「見れば分かる!」
「じゃ、聞かないでよ。」
「そういう訳にはいかん!」
シンディはケーキの箱を取り上げようとする。
「シンゴ!」
「OK!」
慌てて俺はケーキを手の甲で払いのけた。机の上をうまく滑りながら、箱はシンゴの元へと辿りついた。
「お、お前ら…!」
「シンディも1つどう?」
「いらん!…水鏡ぃ!」
「ビクッ!」
シンディは苛立ちを抑え切れなくなると、傍にいる水鏡に八つ当たりすると言う、悪い癖を持っているらしい。
「お前まで何食ってんだ、あぁ!?」
シンディは水鏡に詰め寄った。目の前にはまだ3口しか食べられていないケーキが、お皿の上に丁寧に乗せられていた。
「ま、まぁ、先輩、落ち着いてください…。」
「ここは飲食禁止だぁ!!」
シンディは歯を強く噛み締めながら、カウンターの方を指差した。そこには普段『飲食禁止』と書かれた張り紙があるのだが…
「…あれ?!」
その人差し指は、何も無い壁を指すだけであった。俺は静かに言った。
「…と言う訳で、本日は飲食禁止解禁です。」
「お前ら、剥がしたな!?」
「証拠は?」
俺の返答に、シンディは歯軋りを立てるだけだった。
「ま、まぁ、先輩、落ち着いて…!」
「うがぁぁぁぁ!」
日曜ノ朝ケーキノ罠ニ狂フシンディ、降臨。その儀式の隣で、俺とシンゴは静かにケーキを食べ始めた。
「そういえば先輩、今日は日曜なのに、どうしてここに来ているんですか?」
「…うむ、そうだった。私とした事が、うっかりしていた…。」
シンディは一先ずケーキの事は置いといて、自分の用事を済まし始めた。
「え〜っと…どこかな?」
「本を探しに来たんですか?」
「いや、本では無い。」
シンディはウロウロと、机を見て回るばかりだ。何の用事なのだろう?図書室の机とイスの数の確認でもあるのだろうか?
「あ、いた。」
「『いた』?」
何がいるのだ?俺たちは驚いてしまった。シンゴなぞ、ケーキを喉に詰まらせてしまった程だ。生物なら、俺たちが発見できないはずが無い。むしろ、発見出来なかった方が信じられない。俺たちに存在を悟られることも無く、ここにいた生物とは、一体…?!
「よいしょっと!!」
一際大きなかけ声をかけて、シンディはその生物を上へと引っ張った。
「…ぐぅ…。」
「北岡先輩!?」
水鏡は絶叫した。俺たちは驚きを越え、むしろ呆れてしまった。何故一学生が、日曜の朝っぱらから、こんなところで眠りこけているのだろうか?
「拓弥は、この図書室が大層お気に入りでな。こうやって一晩過ごす事もあるのだ。」
「自分の家で寝ればいいのに…。」
「自分の家だと、進路の事でうるさくて眠れないらしい。」
「はぁ…。」
だんだん水鏡の声が呆れ口調になってきている。しかし、まぁ、寝ている北岡先輩なら…分からない筈だ。妙に納得。
「尤も、本を借りにやって来たのもあるがな…。まさか、こうしてお前らと出くわすとは、思っても見なかった。」
「照れるぜ、シンディ〜。」
「褒めていない!けなしているんだ!」
赤くなるシンゴに、赤くなるシンディ。見ていて楽しいな、もぐもぐ…。
「それで、篠塚先輩、今日は何を借りに来たんですか?」
「あぁ、ちょっと面白そうな小説を見つけたからな。」
「何てタイトルですか?」
「『砂のお椀』。」
「それ、テレビドラマにもなったやつですね?」
「そうだ。砂関係のものには弱くてな…。」
「砂、ですか…。」
そう言いながらシンディは、本棚の奥へと消えていった。よく分からない理由だが、まぁ、そこはとやかく言う事でも無いだろう。水鏡も自分のリーフに『液体大全集』なる百科事典のピットを常に入れている程だからな。尤も、それは水鏡の心獣の特性のせいなのだが。
「…先輩、僕らの机に北岡先輩置いて、行っちゃったね。」
「…起こせ、て意味じゃねーのか?」
興味津々、といった感じで、シンゴが会話に入り込んできた。
「…。」
一瞬、静かになった。だが、全員の目が、同じ考えを持っている事を示していた。
「…それでは、北岡先輩覚醒の儀式を行う…。」
俺の重々しい口調を聞いて、2人はニタリと笑うだけであった…。
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