>>水鏡
「どう?開きそう?」
「なんとかなりそうだ。このマンホールの管理が、十分にされていなかったおかげだ。少し離れていろ。」
力をこめて、良君は頭上のマンホールを押し上げていく。
「さすが良だな。それに比べて、俺は…。」
シンゴ君の言葉は、それ以上続かなかった。あれだけ連続で心獣を使ってしまったからなぁ…。そもそもシンゴ君の心獣は、エネルギー効率が悪いから。
「ふん!」
かけ声と共に、大きな岩が土から掘り起こされた時のような音がした。真っ赤な光が土管の中に差し込んできた。
「やった!開いた!」
「とりあえず、出るぞ。」
良君、僕、シンゴ君の順番で、マンホールから外へ出てみた。
「…。」
「…。」
「結構離れていたね。」
僕は目算200m以上先にある女学院を見つめながら、呟いた。
「まさか、プールの水が抜かれるとは思わなかった。」
塩素臭のする水を滴らせながら、良君は言った。
「今日はプールの点検の日だったのかも知れないな。」
「びっくりしたよ。急に目の前を流れてくるんだから。」
「まぁ、せっかくだからな。あれだけの流水に身を任せるのも、悪くない。そういうお前たちも、あんな縦穴で何をしていたんだ?」
マンホールを閉じながら、会話を続けた。
「すごかったんだよぉ!シンゴ君を探していたら、すごい顔つきでシンゴ君がやって来て…。」
「くそぉ!まさかあの穴が、ネズミの巣穴だったとはぁ!」
話によると、僕とはぐれた後、シンゴ君は怪しい穴を発見し、木刀で破壊してみたらしい。
「そしたらよぉ、何百匹ものネズ公が襲い掛かってきてよぉ…。」
「だから一緒に逃げたよね。心臓が破裂するかと思ったもん。」
『いや、それくらい気づけ』とでも言いたそうな顔で話を聞く良君に、僕たちは鼻息荒く冒険談を聞かせ続けた。
「途中で水を発見したから、水鏡がネズ公を洗い流してくれたんだけどよぉ…そこにあの穴があってよぉ。」
「そこにシンゴ君が落ちちゃって。」
「あの穴はヤヴァイぞ!なんせ底が見えなかったんだからな!」
「間一髪で助け出せたけれど、そこへプールの水が襲い掛かってきて…。」
良君は頷きながら、
「それで、いつのまにかここまでやって来てしまった、という訳か。」
「そうなんだ。」
「ははは。」
「ははは。」
「ははは。」
あまりのヘマに、もう笑うしかない。
「ハァ…完全敗北じゃねぇか。」
シンゴ君は汚れた一張羅をはたきながら、ガッカリした口調でそう言い放った。
「くっそぉ!せっかくいい所まで来たのによぉ!」
「シンゴ、あまり叫ぶな。通行人の目が痛い。」
びしょ濡れになった少年3人がマンホールから出てくれば、誰もが見ずにはいられない。
「それじゃ…今日はもう帰ろうか…。」
「くっそぉ…!」
シンゴ君は『悔しくてたまらない』といった感じで、また叫んだ。彼の中ではもう、通行人の存在が消えているらしい。右手に木刀、左手を強く握り締め、成人シンゴ君は大股で帰っていった。
「あ!明日の朝、反省会だから!図書室でね!」
僕の声に、反応しなかった。それ以上何も言う事が出来ず僕らは、黙って見送ることしか出来なかった。
「…聞こえたのかな?」
「大丈夫だ。そういう重要事項は聞き逃さない男だ。お前よりな。」
今、さらりと良君が酷い事を言ったような気がしたけれど、僕は無視をする事にした。
「さて、と。明日の朝から図書室だな?」
「そうだよ。」
良君はズボンのポケットを探りながら、話しかけてきた。
「ところで水鏡、お前は甘党か?」
「どうして?」
「いいから。どっちだ?」
何故このタイミングでその話なのかは分からなかったけれど、僕は答える事にした。
「どっちかって言うと、甘党かな。」
「そうか、分かった。」
彼は何かを見つけ出したらしく、ポケットから1枚の紙切れを取り出し、目の前で広げた。
「それは?」
「駅前のケーキ屋のチラシだ。プールの水と共に、流されていた。」
「よく見つけ出せたね、あんな急流の中で(汗)。」
「俺は動体視力が自慢だからな。」
「そういう問題なの?」
「これを見てみろ。」
そう言って良君は、そのチラシの一部分を指差しながら、僕に見せてきた。
「期間限定☆東北名物辛口地酒『滅鬼』をふんだんに使用した『滅鬼ケーキ』…240円』
「あの『滅鬼』がケーキになって登場だ。」
「…。」
「買いに行く。」
「確かにコレは、良君のツボだね。良君、完全にケーキ屋の罠にはまったね。」
「『滅鬼』のためなら、罠でもいい。水鏡は普通のケーキが良いか?」
そう言ってショートケーキの写真を指出す良君を見て、僕は慌てた。
「な、何言ってるの?!僕はいらないよ!」
「そう言うな。俺は久し振りに『滅鬼』の名を見て、気分がいいんだ。」
良君の顔には、どことなく笑顔が見て取れた。
「はぁ…それじゃ、1個もらおうかな。」
「うむ、それでよろしい。…普通のショートケーキか?それとも、チーズケーキか?」
「え、う〜ん…普通の方で。」
「OK。明日持っていってやる。それじゃ明日な!」
「じゃあね…。」
口笛を吹きながら、軽い足取りで、良君は駅の方へと行ってしまった。雲1つ無い夕陽の赤に染まる道路に立ちすくみながら、ポツリと、僕は呟いた。
「良君…君は何しに来たのさ…(汗)?」
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