>>水鏡
土管の中を水は、どんどん逆流していく。僕のアース・ブルーによって、重力に反する動きを繰り返していく。目の前の真っ暗な暗闇を、懐中電灯だけが僕たちの未来を照らしている。浸水してから、もうすぐで1分が経とうとしていた。
「困ったな。もうそろそろ、休める場所があると思ったのに。」
そう頭の中で考えながら、ふと後ろを見てみた。そこには、水道管にぶつからないように泳ぐ良君の姿があった。僕の方へ明かりを照らしながら、尚も平気そうな顔をする様子を見て、安心した。
「もうそろそろだと思うから、あと少し頑張ってね。」
アース・ブルーに体を預けながら、ボディランゲージでそう伝えた。すると良君は、強く頷いた。
「ほ。」
「ただ…。」
僕が安心したのも束の間、良君が語りかけてきた。もちろん、これは言葉による会話では無く、体を使っての言葉だ。
「こいつがな…。」
そういって僕に見せてきたものは、シンゴ君の足だった。
「もう息が切れたの!?」
「急いだ方がいいのは確かだな。」
溺れたシンゴ君の姿を見て、僕は一気に心獣のパワーを全開にした。さっきよりも激しい音をたてながら、数倍のスピードで水が進み出した。
「気をつけて!下手すると体をぶつけるから!」
そう言いたかったけれど、それを伝えるボディランゲージが見つからなかった。僕は2人を心配しながら、且つ全速力で、3つの物体を押し流していった。即ち良君とシンゴ君、そして僕の体だ。良君は水中でうまく体をさばきながら、シンゴ君の体を運んでいった。その瞬間、僕はふと不思議な感触に気付いた。
「ん?」
どこまで自分の心獣が広がっているか、それは僕だけが分かっている。それはつまり、どこまで水が存在し、どんな風に広がっているか、手で触るように分かるという事だ。そして今、先程まで感じていた水の先端が、とある場所で止まったのだ。
「…空間がある。」
そう思った次の瞬間、僕は水中から顔を出していた。どうやら、ようやく水面から出られたらしかった。
「ぷはぁ!」
隣で、良君が勢いよく飛び出してきた。
「良君!」
「ふぅ…ようやく外に出たみたいだな。」
「いや、まだだよ。ここは水路の中だから。」
「…ま、そんな簡単にはいかない、か…。おい、シンゴ、起きろ。」
良君は脈も呼吸も確かめずに、シンゴ君の頬をベシベシ殴りだした。
「ちょ…ちょっと良君。そんなに叩いたら…。」
「起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ。」
「そんなに叩いたら、逆に死んじゃうよぉ〜!」
「ん、確かにそれはまずいな。」
僕の必死の説得により、良君はその手を止めてくれた。
「それでは俺が殺人罪になるからな。」
「…やっぱり、自分の事が心配なんだ…(泣)。」
そうこう言っているうちに、連続ビンタが効いたのか、シンゴ君がガバッと跳ね起きた。
「…あれ、ここはどこだ?」
それが第一声だった。僕の代わりに良君が答えた。
「ここは土管のどこかだ。」
「おう、良。」
「もうしばらくしたら、陸に上がるマンホールなりなんなり、見つかるだろう。」
「なるほど!うっし!そんじゃ、それを探すぜ!」
さっきまで溺れていた事を忘れたのか、今日一番の元気を見せた。2人が無事である事を確認してから僕は、辺りを見回した。
ここは学校中の水が集まる、水槽のような役割を果たしている土管のようで、10m四方のコンクリートの壁に覆われていた。もちろん光が差し込むような穴は無く、懐中電灯による捜索なので、なかなか全体像が掴みにくかったけれど、なんとか直径2mほどの土管を見つける事が出来た。
「多分、この土管だよ。」
「どうしてそれだと分かる?」
良君の尤もな質問に、僕は丁寧に答えた。
「こういう水の通り道っていうのはね、下の方へ、下の方へ…って続いているんだ。つまり上へと上がる土管を歩いていけば、いつかは地上につながるんだ。」
そう言いながら僕は、土管の奥を懐中電灯で照らしてみた。その綺麗さからして、どうやら上につながっている可能性が高かった。
「それじゃ、2人とも。行くよ?」
「レッツ・ゴー!!」
シンゴ君は土管内にガンガン響くほどの大声で叫ぶと、一気に目の前の土管を駆け抜けていった。
「…!」
「耳が痛いな。」
こんな狭いところで叫んだらどうなるか、彼にはよく分かっていないらしい。シンゴ君は一気に加速をつけると、あっという間に土管の奥へと消えていった。
「ちょっと!シンゴ君!そんなに飛ばしたら迷子になるよ!?」
「……。」
返事が無い。
「遅かったようだな。」
「全くもう…。」
僕はため息と共に、額を抑えた。
一番心配の種であるシンゴ君を追いかける形で、僕と良君は土管を進んでいった。ただでさえ暗いから、走る事は出来ない。いつどこから何が起こるか、分からないからだ。懐中電灯の明かりで分かった事は、ここは学校中の雨水が流れる土管らしい、という事だ。
「そっか。それじゃさっきの水溜りは…。」
「あぁ。全ての雨水と、全ての処理済み下水の貯蔵庫、だろうな。」
「でも、全然臭いはしなかったね。」
僕たちが息継ぎをしたあの水槽は、とても下水が流れているものとは思えないほど、きれいな水だったからだ。
「ここの下水処理施設は日本でも有数のものらしいからな。ろ過施設で3日かけるのだとか。」
「3日かぁ…そりゃキレイになるよね。」
「ちなみに、その施設は今から約40年前に採用されたらしい。日本で問題となった四大公害のために制定された公害対策基本法を評価して、らしい。その頃からこの学校は、地球の環境に熱心だったという訳だな。」
…何でこんなに詳しいんだろう?
「そう『嗚呼、優盟女学院』に書かれていた。」
「何だかんだ言いながら、凄くその本のお世話になっているよね、僕たち(汗)。」
ここ最近雨は降っていなかったからか、土管の中はきれいに乾いていた。何だか、久し振りに物体の上を歩いた気がした。
「だいぶ歩いたと思うんだが…まだか?」
「そりゃまぁ、学校中の雨水がやってくるほどの土管だから、長いと思うよ?」
それにしても、ちょっと歩きすぎのような気がするな…。
「あと、シンゴはどこだ?」
「多分、向こうにいると思うよ。」
「いや、それは分かっているんだが…。」
しばらく、無言が続いた。土管の中を歩く2人分の足音以外、水の滴る音も、生徒たちの声も、街の騒音も、何も聞こえなかった。僕はだんだんと、それが飽きてきた。喋りたくなってきた。でもこんな奇妙奇天烈な状況で、一体何の話があるというだろう?もしこんな状況になった時、皆さんはどうするだろうか?昨日食べた夕飯の話をする人はいるのだろうか?そんな人を見つけるのは、『ジンギスカン』を歌詞も何も見ないで完璧に歌える人を探す以上に難しい。
「…ん?」
「あれ?」
何分経ったのだろうか、2人の足音がピタリと止んだ。2つの明かりが照らし出したその先は、土管が2つに割れていた。
「どうやら、選択肢が3つあるらしい。」
「3つ?」
そんなにある?
「1つ目は『バラバラで行動する』事。」
「2つ目は『2人で行動する』事?」
俺は返事をする代わりに、首を縦に振った。
「それじゃ最後は?」
「『シンゴは放っておいて帰る』事。」
「また!?」
僕は叫んだ。声は土管内で幾度もこだましたが、学習能力があったので、2人とも耳は塞いでいた。
「尤も、今回は俺も引かないから、安心しろ。」
そう言って良君は、左の土管へと進んでいった。
「あ、ちょっと、良君!?」
「選択権はお前にある。どれにするかは自分で選べ。」
「そ、そんな勝手な――!」
「第一、シンゴはそうやって動いているからな。」
少しも怯む事も振り返る事も無く、良君はどんどん奥へと歩いていった。そしてだんだんと、その姿が黒に染まっていった。
「『お前の自由にしろ』て事?」
そう呟いた時、僕は分かれ道の真ん中に、1人立ち尽くしていた。僕は覚悟を決めた。
「分かったよ。僕の自由にさせてもらうからね。」
自信たっぷりにそう言うと、僕は分かれ道の地面をライトで照らしてみた。
「今回僕は、2人のサポートで来ているんだ。実力を考えるなら、良君は1人でいても大丈夫なんだ。だけど、シンゴ君が心配なんだよね…。」
右の土管を注意してみてみると、誰かの足跡が、しかし確かにくっきりと残っていた。雨水と一緒に流れ込んだ砂によって、その形は鮮明だった。ついさっき、誰かによってつけられた足跡だという事も分かる。
「この足跡、よく見てみるんだ。歩幅はだいたい1m強。少し形が崩れている。分かれ道に来た時、この付近をウロウロした形跡があり、靴のサイズは26.5。」
そこまで判断した時、僕は右の土管を睨みつけた。
「シンゴ君は、右に行ったな。」
判断した時の僕は、躊躇しない。そのまま力強い足取りで、右の土管へと歩いていった。
「この先がどこに続いているのか、それは全く分からないけど、とりあえずシンゴ君のサポートにまわってみよう。逃げるのだけはゴメンだよ。」
砂の軋む音を聞きながら、僕はどんどん歩いていった。
しばらくすると、周囲がぼんやり明るくなっていった。
「やった!当たりかもしれないぞ!」
だけど、これだけじゃ分からない。もしかしたら天井に開けられたあの穴は、通る事の出来ない穴なのかもしれない。例えば、僕の近所の排水溝は石で出来ていて、そこに物を落とすと、もう二度と取れないと言われている。僕も子供の頃に、その穴に大切なおもちゃを落としてしまって、半ベソかいた記憶がある。
「まぁ、あの時は自分の心獣に気付いていたから、何とかなったんだけどね。」
その方法とは、こうだ。自分でバケツ一杯の水を排水溝に流して、アース・ブルーでおもちゃを掴み、そして引き上げるといった方法だ。液体なので、意外とうまくいったのを覚えている。
「結構便利なんだよね、アース・ブルーは。意外と応用が利くしね。」
だんだん明るくなっていく土管の中で、僕はさらにこう付け加えた。
「でも、良君やシンゴ君には及ばないよね。何だって、あんなに派手なんだもん。」
その時。
「だー!ちくしょー!」
「あ、シンゴ君だ!」
前方から、声が聞こえてきた。僕は慌ててその声の発生源へと急いだ。すると目の前に、光に照らし出されたシンゴ君が見えてきた。
「ど、どうしたの?!」
一見して、何かが起こっていたのは確かだった。彼の握っている木刀が、黒い煙をあげていて、目の前の石壁が焼け焦げていたからだ。
「おう!水鏡じゃねぇか。」
「何があったの?!」
「それがよぉ。これで行き止まりになっちまってよぉ。」
確かに、焼け焦げた石壁は、僕たちの行く手を完全に塞いでいた。
「それで、破壊しようと思ったの?」
「おぅよ!これがなかなか難しくてなぁ。ヒビすら、ちっとも入らねぇんだな。」
辺りを見回してみれば、この近辺の壁という壁が、その無残な焼け焦げた跡を見せていた。それでもヒビ一つ入らないその不屈の鉄壁に、もはや僕は少し感動を覚えた。
「この焦げ…ビター・スイート?」
「それ以外に何があるってんだ。」
シンゴ君の心獣でも破壊できないこの石壁、なかなか強敵だ。
「…ん?」
不意に、とある石壁の異変に気が付いた。
「どうした、水鏡?」
「…あ。」
2人の見た先には、ガラガラと音を立てながら崩れる石壁があった。そしてその崩れた部分から、奥へと通じているような石のトンネルが、深々と続いていたのだった。
「よっしゃ!破壊成功だ!」
「やったぁ!」
人を超えた石壁を、人が破壊する。何だか、これも感動する。
「そんじゃ水鏡、行くぜ!」
「うん!」
迷うことなく、僕とシンゴ君はそのトンネルへと突入していった。
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