>>シンゴ
「くっそぉ…。」
次の日、ごく普通の普段着に着替えた俺は、放課後早々、女学院の周辺を散策していた。
「良のやろぉ、まだ頭が痛むぞ、このやろぉ…。」
ジンジンする頭を抱えながら、人通りのあまり無い街道を歩いていた。人の少なさが気になったが、まぁ、心配ねぇだろ。
「くっそぉ…コブ出来てるぜ…。」
昨日良が殴った俺の後頭部には、それはもう立派なコブが出来上がっていた。これのおかげで今朝は、遥に散々問い詰められたからな。そりゃもう、大変だったっつーの。やれキズは無いか、まだ痛まないか、うるさいんだよな。…確かに、大丈夫じゃねーけどよぉ…。
「…それにしても、なんつー広さの学校だ。」
これだけ広い学校も、そうそうあるもんじゃねぇぞ?校舎はひとまず置いといて、グラウンド2つ、陸上用トラック1つ、テニスコート6つ、10レーンはありそうな競技用プール1つ(屋内型)、その他もろもろの施設が広がっているこの運動場を見て、驚かないやつがいるか?!
「ま、どれもこれも、この高い壁を越えなきゃ見えねぇけどな(汗)。」
さっきから俺の目に飛び込んでくるものは、もはやこの付近の名物となった、高さ6.25m(『嗚呼、優盟女学院』より)のコンクリート壁だ。壁一面には甲子園球場みたいな植物が生えていて、俺たちから『グリーン・モンスター』と呼ばれている。これを越える方法が無けりゃ、運動場側からの侵入は無理だ。
「つか、壁ばかりだと飽きるなぁ。俺、一体何してんだか…。」
ため息をつくたびに、俺は悲しくなる。嗚呼、この壁の向こうには禁断の花園が待っているというのに…。
「待っているって…いうのによぉ!!!」
意味の無いシャウトを繰り返しているうちに、坂(この街道は緩やかな斜面になっている)を駆け上がってくる女子陸上部員の姿が見えてきた。10人程度で構成されたその団体さんは、かけ声を繰り返しながら、あっという間に俺の横を走り去ってしまった。
「ハァ…元気なもんだぜ…。」
こう見えても俺は、あまりスポーツ系の女が好きじゃない。てか、むしろ嫌いな方だ。もっと女ってのはだな、こう、おしとやかであるべきなんだ!それをどう間違って、あんな汗ベタベタの体育系の世界へ浸かっちまうのか…俺にゃ理解できない。
「…しゃーね。違うところ調べっかな…。」
頭をポリポリかきながら、別の場所へと移動しようと思い立ったその時だ。目の端に、少し奇妙な光景を見た。
「?」
振り向いてみると、さっきの団体さんのうちの1人が、その場で足踏みしている。止まっているんだろうな、ありゃ。急に止まると体に悪いから、マグロみてーにいつまでも動いていなくちゃならんとは、俺には可愛そうに見える。まぁ、足踏みしているだけなら俺だって分かる。それだけなら俺だって分かる。それだけなら、俺ですら分かる。
「……。」
なら何で、後ろ向きでこっちに向かってくるんだ(汗)?ムーンウォークなのか?
「……。」
人が後ろ向きに走る姿って、結構気味悪ぃもんだな。後ろを振り返る事もなく走ってるところが、また一段と恐怖を煽ってくる。おいおい、俺はどうすりゃ良いんだ?邪魔にならねぇように逃げるか?それともここで止まれば良いのか?
「……。」
反対方向に逃げちまえ(笑)。
「さらばだ〜!」
俺はこの緩やかな坂を下りながら、次の目的地を考えていた。
「このまま下ると、正門に辿り着くな。でもあそこは近づけねぇし、その向こうの体育館裏に行ってみるか?いや、でもそこは良の場所だしなぁ…。」
良の野郎…ここが壁だらけだってこと知ってて、俺に任せたな?!どうりであいつの口調がおかしいと思ったんだ!だってあいつ、やたらここを主張するんだぜ。『俺は、ここを全てシンゴに任せようと思う!』とか言ってよ。これを狙っていたんだな。くそ!俺のこと、ただの足手まといだと思っているだろ。
「今に見てろ。絶対に抜け穴見つけて、ギャフンと言わせてやるからな。」
俺がそう呟いた時、誰かの走る音が聞こえてきた。振り向いてみると、
「…て、まだついて来てるぞ、あのムーンウォーク女ぁ?!」
正確に『月歩き』をしているわけでは決してないが、どんだけの距離をその格好で走ってんだ?!
「くっそ!何だ、あいつは?!」
「…れ〜…!」
「ん?」
何か叫んでるぞ?
「…〜ま〜れ〜…!」
「何だっ?何か用か?!」
このままじゃラチがあかねぇ。俺は走りながら、声を掛けてみる事にした。
「止〜ま〜れ〜…!」
「『止まれ』?止まれってか?!」
「止〜ま〜れ〜…!」
「分かった!分かったっつーの!」
分かったから、それ以上その走りをするな!キモい!俺はすぐに足を止めた。
「ゼェ…ハァ…。くそっ。こんだけ走ったの、久しぶりだな…!」
小学校の頃は『体育のガキ大将』とまで言われた俺だが…老けたぜ(泣)。やがて月歩き女は、俺の元へとたどり着いた。
「何だよ、おめぇ。俺に何か用か?」
てか、おかしいぜ?もう疑われないと思ったのによぉ…まさか、本当に怪しまれてんじゃねーだろうな?もしそうだったら…良の心配通りじゃねーかよ(汗)。
「…。」
「おい、何か返事しろよ。」
「全く…あたしにあいさつ1つしないなんて、あんたも随分怖いもの知らずになったものね。」
悩ましげに口を開いたその声に、俺はビクッとした。
「…まさか…。」
「そう、そのまさかよ。」
クルリと俺の方に振り向いたそのショートヘアーの女は、俺を見下すような笑みを浮かべていた。
「ま〜た天誅下さないといけないみたいね、晃平?」
「け、渓(けい)?!」
俺は数歩後ずさりして、目の前にいる渓の姿を確認した。
「何よ〜、人をバケモノみたいな言い方して。こりゃ本当に天誅が必要かも。」
「や、止めろ!止めてくれ、天誅だけは!!」
「そうそう。調子に乗らなければ、あたしは文句言わないわ。」
「くっそ〜…!」
「ほっほっほっほ〜!」
高笑いをする猫眼のこの女の正体は、何を隠そう俺の従妹だ。そういやこの女、女学院生だった!すっかり忘れてた!
「でも本当に久しぶりね〜。最後に会ったのは、晃平の入学祝いの時だったかしら?」
「そ、そうだな。」
「何よ、あんた、ちっとも変わってないわね〜。」
「お前もな。」
「アラ、あたしは変わったわよ?この自慢の足に、さらに磨きがかかったんだから。」
そう言って自慢げに足を見せてくるが…昔からケンカばかりしてきた仲だ。そもそもこいつを女として見れねぇ。本当は食いつきたくなる、女子高生の生足のはずなのに(泣)。
「あ、そ。」
「この学校じゃ、このあたしのスピードについてこられる子は、1人もいないわよ。」
「短距離専門だけどな。」
「カチーン!」
「ほほぉ、それならば長距離の成績も上がったと言うのかね、桜井(さくらい)君?」
「当たり前でしょ!あんた、あたしがどれだけ練習してると思っているのよ?!」
「さしずめ『風呂上りに軽く柔軟すれば、普段運動しなくても体が柔らかくなる』程度でしょうなぁ!」
「拳を固く握り、百会にジャストミート!」
「正拳突き?!」
渓の拳は俺の脳天に直撃し、俺の脳髄を軽く震盪させた。
「アホ、バカ、ドジ、マヌケ、馬鹿、スケベ、阿呆、キモい、うつけ、だら、死ね!!」
「ひ、ひでぇ(泣)!」
「この陸上部のエースに向かって、よくもそんな侮辱が言えるわね?!最低!」
「な、なんだよ…。」
「言っとくけど!あたしが本気を出したら、あんたなんて太刀打ち出来ないんだから!手も足も出ないんだから!」
「そ、そういやそうだった…。」
くそ…この女、イヤな事を思い出させやがる…。
「思い出したかしら?確かあれは小学校3,4年生の時だったわよね?」
「あぁ。お前の大事にしていた鉢植えを、俺が割った時だ。」
俺が木の棒を振り回していた時、誤って鉢を割ったのだ。
「でも、あの時は格好良かったわよ?マッチ程の火がついた棒で、真っ二つだったんだから。」
尤も、それが原因で俺は、自分の心獣の存在を知った訳だけど。
「その代わり、お前に本気で殺されかけたけどな。」
「…アラ、何の事かしら(汗)?」
「とぼけるなっつーの。お前の心獣、子供には本気で危険なんだぞ!触るものが次々と刃物に変わってくんだからな!」
俺が反撃に出た途端、何故か渓は体を軽くびくつかせた。それでも俺は構わなかった。
「触るもの皆傷つけた!」
「だ〜か〜ら〜…。ちょっと怪我させた事は謝るから、罪償うから、その話だけは言わないでよ〜。」
急にしおれた声で、渓は俺に懇願してくる。あの事件は確かに俺の負い目でもあるが、渓にとってもかなりの負い目なのだ。
「何だよ、自分から言い出したくせに。」
「お願い!」
手を強く合わせ、俺に土下座までする。本当に思い出すのが嫌なのだ。だから俺はこうして、何気無く思い出しては話を持ち出しているって寸法だけどな。
「分かった、分かった。もう言わねーっての。」
「本当?!」
「しつこいぞ。」
「ハ〜…良かったぁ…。」
ま、一種の逆襲って事で。こうでもしなけりゃ俺は、こいつのペットになり兼ねない。
「ところで晃平。」
「何だよ。」
「あんた、こんなところで何してるの?」
渓の鋭い観察眼に、今度は俺の体が震えた。
「…あぁ!まさか、1週間ほど前に忍び込んできた不法侵入者って…!」
「違う!俺は違う!無実だ!」
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!今俺の正体がバレちまったら…こいつに殺される!ここは何とか言い逃れねぇと――!
「スケベ!」
「ち、違う!」
「アホ、バカ、ドジ、マヌケ、馬鹿、スケベ、阿呆、キモい、うつけ、だら、死ね!!!」
「違う!誤解だ!…てか『だら』て何だ?!」
俺すらよく知らない単語を並べながら、渓はどんどん怒りのゲージを溜めていく。
「男子禁制の世界に足を踏み入れるなんて…堕ちたわね、晃平。」
「お、おい、話を聞いてくれ!」
「大丈夫。あんたと過ごした17年間…せめてあたしは忘れないから。」
「だー!だったらせめて、俺の言い分を…!」
「だからこそ、一親友として、一従妹として、あんたを始末させていただくわ。」
ヤバイ!目が怖い!光っている!渓は足元に落ちていた木の枝を手に取り、俺をしっかりと見据えた。
「行くわよ、『ジャミロクワイ』。狙うは晃平の喉だからね。」
その言葉の瞬間、木の枝がうすい銀色に瞬いた。マズイ!あれは渓の心獣の、能力発動の合図じゃねぇか!
「本当は、その喉を掻っ切るか心臓を貫くかで迷ったんだけど…あんた武士だし、心臓に勝利の旗立てられるのは…嫌よね?」
「お、落ち着こう!なぁ、渓?!今どき武力はダメだぜ!?ナンセンスだぜぇ?!」
「…。」
しめた!動きが止まった!
「な…?」
しばらくの沈黙の後、
「遺言はそれだけ?」
「はぅわぁぁぁ!!!!!」
「3秒だけ猶予を与えるわ。それが最期のあたしからの情け…。」
「待て!待て!待て!」
「さん〜…。」
早く、早く何とかしなければ、冗談無しで殺される!
「にぃ〜…。」
そ、そうだ!以前も似たような時があって、その時良が何か言ってた!
「いちぃ〜…。」
思い出せ!思い出すんだ、俺!死と生の狭間に立たされながら、俺は記憶の細い糸を掴み、メチャクチャに引き寄せる。
「ぜ――!!」
「俺にそんな甲斐性があると思うか!?」
「それもそうね。」
俺の魂の叫びを聞いて納得したのか、渓の目は元に戻った。それと同時に、再び木の枝が薄い銀に瞬いた。2度目の発光は、解除だ。
「た…助かった…。」
もはやボロボロ涙を流しながら、俺はアスファルトの上に横たわった。
生きてる…。
俺…生きてるんだァ!
「アラ、晃平、どうしたの?」
こんなに、こんなに生きている事が素晴らしいなんて、考えた事も無かった!
「大丈夫、晃平?」
横たわる俺の側へ跪き、渓は俺の頭を撫でてきた。でもそんな事、どーでもいい。今は生きる喜びを噛み締めるばかりだ…。
「おーい、晃平。」
嗚呼…こんなに空は青いのか…。
嗚呼…こんなに鼻は美しいのか…。
嗚呼…こんなに世界は広いのか…。
「…聞いてる?」
「生命万歳!!」
「指を2本突き立てて、こめかみを貫く!」
「牙突零式っ!」
鋭い突きが、俺の頭を震わせてく…。
「お、お前…世界、狙えるぜ…!」
ガクッ!
結局俺は、渓に頭が上がらないのだ。世界が真っ白になっていくのを感じながら、俺はとうとう気絶した。
「……あ、やり過ぎちゃったかな?」
いつかの朝みてーに、俺の記憶が戻った時、日はとっくに沈んでいた。
寒い、寒い路頭に放り出されたまま、俺は誰に心配される事もなく、寝ていた。
|