>>良
「ん?」
「誰か寝てるぜ?」
「そりゃまぁ、人じゃ無い方がもっと怖いよ。」
図書室のイスを2,3個使って、のんびり寝ている学生の姿が、俺の目の前にあった。発見した瞬間、長髪を後ろでくくっていたため、女かと思った程だった。しかしどう見ても服装は男子校であるこの高校のものだし、そもそも顔が男だった。
「おい、とりあえず起こしてみっか?」
「いや、こいつを起こしていいものか…。」
正体を掴むためにやってきた筈なのに、何故か起こすのがためらわれた。いや、本来なら起こしても不思議では無いはずだ。人の快眠を邪魔する程度の事が、人の道を外れたいわゆる外道とするならば、図書室で平気で寝ているこいつも外道に間違いない。いっそこの俺の拳で制裁を加えてやろうか…?
「あ、北岡(きたおか)先輩だ。」
水鏡がポツリと呟いた。いつの間にか俺たちの元へとやって来ていたようだ。
「おい、水鏡、こいつを知ってんのか?」
「うん。この間会った篠塚先輩の友達だよ。」
「篠塚ぁ〜?」
まるで記憶に無い、といった顔を見せる。ま、シンゴの頭では、そこが限界か…。
「ホラ、チョーカーをつけていた先輩だよ。」
「あぁ!首輪かぁ!」
「誰が首輪だ!」
図書室一杯に広がる程の罵声が反響する。何とあの首輪男もといシンディが、本棚と本棚の隙間をぬって出てきたではないか。
「あ、首輪!」
「だから!首輪では無い!これはチョーカーだ!」
カンカンに怒っているシンディの手には、『世界の粒子』と題された本が1冊握り締められていた。
「そうだぞ、シンゴ。ちゃんとあだ名はつけただろ。」
「あぁ…不信任か。」
「ぐぎぎぎ…!」
「まぁまぁ、先輩、ここは落ち着いて…!」
シンディをなだめる水鏡。何だか急に人が増えたな。
「それよりも先輩、また本借りるんですか?」
「そうだ。」
シンディの怒りを故意に反らすため、水鏡はどうでも良い事を口にした。
「僕みたいに、リーフで専門書買ったほうが良いですよ?安いですし、それに軽いですよ?」
「それも尤もな話だ。しかし、ああいったデジタル領域で書かれた書物と言うものは、そうそう人間の頭脳に染み付くものでは無いと、私は考えている。こうやって本を借り、期日までに全て読みきり、そして返す。これを繰り返した方がより頭に残るため、効率が良い。」
そう語るシンディの手に握り締められているその大きな本は、よく見るとかなり古い本である事が分かった。
「そうですか?」
「そうだ。それになにより、この作業で覚えた記憶と言うものは、頭にだけでなく、体にまで染み込んでいくのだ。よく覚えておけよ、水鏡。」
「は、はい…(汗)。」
水鏡に返事させた後、彼は眠る学生の元へ歩み寄った。
「さて…そろそろ拓弥を起こしておこう。」
「北岡先輩、完全に寝てますね。」
「そうなのだ。この男はいつでもどこでも寝られるからな。」
側の机に本を置きシンディは、拓弥と呼ばれる就寝男に近寄っていく。
「この男が寝ていられない場所にいる時、何者もそばにいてはならない…。」
「当たり前だろ。」
「おい、起きろ。」
俺のツッコミが無視された。シンディは1発平手打ちを放った。気持ち良い程渇いた音が、図書室に響き渡った。
「むにゃ…。」
「起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ…。」
シンディはペシペシペシペシ拓弥の顔をひっぱたいている。
「おい、水鏡。」
俺とシンゴは、水鏡の肩を叩いた。
「どうしたの、2人して?」
「とりあえず、場所を動くぞ。」
「え、何で?」
理解していない水鏡に、シンゴが怒り出した。
「当たり前だろ!今から俺たちゃ、綿密な計画を立てるんだぞ?聞かれたくないし、バレたくないだろ。」
「大丈夫だよ。篠塚先輩は置いといて、北岡先輩はそういう事に疎いから。」
「水鏡〜…。」
シンディの唸り声にも似た声が、耳に響く。
「わひ!ゴメンなさい!」
「ったく…お前らのその邪な計画、必ずやこの私の手で阻止してやるからな!」
そう呟くシンディの目は、まるで悪を憎む正義の目だった。それを見た時俺は、いつか自分がなるべき立場を、この時深く理解しようと思った。
「シンディ、仲間に入らない?」
シンゴの誘いの声にも、シンディは「断る!!」の一言で片付けてしまった。うぅむ。あの水鏡ですらなびいたと言うのに、この男、さすがだ。
「起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ…。」
…しかし…。
「起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ…。」
もはやペシペシ頬を叩く音が、部屋中に反響し始めてきた。
「かれこれ10分ほどは叩いてるぞ(汗)?」
魚のような目をして頬を叩き続けるシンディの姿は、なかなか恐ろしいものだった。と言うよりむしろ、それほどまでされても起きないこの男の方が恐ろしいのかも知れない。
「うぅ〜む…。」
「あ、起き出した!」
それまで微動だにしなかったはずなのだが、何を考えたのか、急に電源が入り出した。ゆっくりと大きな伸びをした後、まだ眠そうな目で辺りを見回していた。
「……。」
いつの間にかシンディは、頬を叩くのを止めていた。まだ何も起こっていないのに、さっきまでの騒々しさから一変、空気が急に重くなった気になった。しばらく無言が続いた後、ようやくその男が口を開いた。
「…あ…シンディだ。」
約22秒。これだけ反応が遅いと、デパ地下惣菜戦争にも生き残れないだろう。
「北岡先輩、おはようございます。」
「…おぉ…海堂君だぁ…。」
何とも間の抜けた声で、拓弥と呼ばれる男は喋り出した。…独特な空気を持っている事だけは分かった。
「ん〜?」
「どうした?」
シンディの声にも気が付かないのか、黙ったまま俺とシンゴの顔を凝視し始める。…そういえば初対面だった。
「シンディ、この人たちは?」
「ほら、お前ら、自己紹介でもしろ。」
あんまり他人に自己紹介は気に喰わない。二度と喋らなくなるような相手に、一体どうして自分の身分を明かさなければならないのだろうか?理解不能。馬鹿馬鹿しい。
「流だ。」
結局したけどな、自己紹介。
「君はぁ?」
「火鳥っス!」
少しニコリと笑うと、
「そっか。海堂君の友達って事は、みんな2年生かぁ…。君たち、あまりここへは来ないよね?」
「あぁ。最近来るようになった。」
作戦会議はいつもここで行われるからな。
「…あ、分かったぁ…。君たちも、寝に来たんだねぇ?」
「違います(即答)。」
だから、決して休憩所代わりにしている訳では無い。
「そうだぜ!俺たちゃ女学院侵入の作戦練ってんだ!」
俺は無言で、シンゴを本気で殴った。
「……!」
シンゴは頭を抱え、無言でうずくまった。これで少しは静かになるだろう。しばらく会話に入らないので、ご注意を。
「馬鹿だな。」
シンディが嘲るように呟いた。俺も水鏡も分かっているので、決して否定はしなかった。いや、むしろ認めた。イコールでつなげても構わない。
「そっかぁ…。て事は、この間の事件、君たちだったのかぁ…。」
「北岡先輩、ゴメンなさい!」
水鏡は大げさと思えるほど激しく、頭を下げた。
「ん〜…?」
「僕がついていながら、あんな不祥事起こしてしまいましたぁ!」
久し振りに先輩に会ったためか、若干水鏡のテンションがおかしくなっている。本人なりに罪悪感を抱えていたのだろう。水鏡は思わず頭を下げていた。だが…お前もノリノリだっただろ(汗)。
「まぁまぁ、頭を上げて。」
「でも…。」
「良いじゃない、侵入。うん、頑張りなよ。」
「拓弥ぃ―――――!!」
耳を突くような、北岡先輩の爆弾発言と、シンディの絶叫。シンディは彼の胸倉を掴み、何度も揺すった。
「お前自分の言っている事、分かっているのかぁ?!」
「分かっているに決まっておろぉ〜。」
「分かっていない!お前は絶対に分かっていない!」
怒り心頭のシンディに、眠くなりそうな声でこう答えた。
「だって人生1度きりだしぃ…少々犯罪気味な方が、後々の思い出になるよ。『犯罪話は肴にするために存在する』と、かの有名なシェークスピアが――」
「言ってない、言ってない。」
その時突然、俺たちの大喜利を邪魔するかのように、電話の着信音が響いた。広いこの図書室だと響きすぎて、誰の着信音なのかが分からなかった。
「ん?電話?」
どことなくロック調の着メロが、図書室に響き渡る。俺はズボンの中の携帯を触ってみた。震えていない。俺のではない。シンゴや水鏡も、俺と全く同じ事をしている。2人とも違うようだ。そもそも俺たちには、今まで聞いたことの無いような着メロだ。
「…あ。」
シンディが小さく叫ぶと、自分のリーフを見つめた。
「私のだ。」
彼がそう呟いた瞬間、俺たちは白い目をした。
「先輩、リーフを電話にしているんですか?」
「そうだ。格好がつくからな。ちょっと失礼。」
なるべく足音を立てないよう、且つなるべく電話に早く出るよう、シンディは小走りで図書室の出口へと走っていった。
「…まさか、リーフを電話にするやつが、本当にいるなんて…。」
「まぁ、ね…。」
俺の呟きに、水鏡も頷いた。リーフを電話にする、今ではそんな事も可能だ。しかし、それはあくまでも『可能』なだけで、実際にそれをしているやつはいない。やっている人を見れば分かるのだが、断然格好悪いのだ。腕時計に向かって喋る姿は、安っぽさ全開のB級映画のようで滑稽だ。それを『格好つくから』とは…。
「篠塚慎司…なんて恐ろしい奴なんだ。」
俺の呟きに激しく同意するように、シンゴや水鏡は強く頷くのだった。
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