「はーっはっはっは!!」
突然襲いかかってきた恐怖に、人々は絶望する。街は今や、緑色の絨毯に覆われていた。
「このカビのキメラ、モールド様に逆らうとはな! この平和ボケがぁ!」
振り回している彼の指先からは、大量の胞子が撒き散らされている。それが何かに触れると、カビは信じられないスピードで成長を遂げた。
「吸い尽くす! この世の全てを吸い尽くしてやるぜぇ!」
今、カビの絨毯が、道路標識に襲い掛かる。それらは根元からずるずると登ってきたかと思うと、一時停止の標識はパキリと音を立て、折れてしまった。カビによって侵食されたのである。
「はっはっは……はーっはっはっは!」
狂気に満ちた笑い声をあげながらモールドは、逃げ遅れた1人の少女を追い詰めていく。
「どうした? もっとこのモールド様を楽しませるんだな!」
やがて少女は、行き止まりにさしかかった。右も左も、高く伸びるビルの壁である。彼女は袋小路へ追い込まれていたのだ。
「ようやく追いついたぞ、かわい子ちゃんめ!」
指先からポタポタと漏れる緑の液体が、彼女の顔を歪ませる。
「お前も俺様の体の一部になりなぁ!!」
「うるさい」
冷静なツッコミに、痺れるキック。爆発したかのような音と同時に、モールドの体を強烈な電撃が襲った。その冷ややかな対応は悪を挫くためであったが、同時に、彼女の寝起きが悪い事も関係している。
「ぐぼぅ……そこ、キク……!」
「必殺。トルニオン・スタン」
全くこいつめ、やる気が無いのか、冷静なのか――怪人・モールドが覚えている最後の記憶はそこまでだ。背後の人物から突きつけられた指から、殺傷力の強い電撃が流れたのだから。
そこは背中の一点――かつて自分も受けた、あの急所である。
「……もうやられた?」
こう言うのは失礼かも知れないが、突然の悪はあまりにもあっけなく終わりを迎えた。故カビ男はガクガクと体を揺らしながら、電流で少しずつ蒸発していく。
「大丈夫?」
恐怖で立てない少女を抱きかかえる、仮面の女性。紫と白の鎧から見える白のロングヘアーが、儚げに見えた。しばらくすると少女の顔に笑顔が戻ってきた。それはどこか力強かった。
「私……去年も助けられたの、エルミナスに」
「……姉さんに……?」
「お姉さん、ありがとう!」
ニコ博士が特別に作ってくれた補聴器から、少女の言葉が伝わってくる。女性は思わず呆けてしまった。実は彼女、正義の味方として初めての出動だったのだ。いつまで経ってもキメラが現われないものだから、ずっと初陣を保ち続けていたのである。
しかし今、この言葉でようやく彼女は、自分の存在をはっきりと自覚した。何度も聞かされていた、彼女の姉の言葉を。
『正義の味方はね、万人の悲鳴と、1人の感謝で作られているのよ』
仮面に隠れて見えないが、彼女は口元に笑みを浮かべた。
「名前で、呼んでくれる?」
「うん!」
腕をピンと伸ばし、空を切っていく。その計算し尽くされた動きもまた、彼女の姉から伝えられたものである。
「雷鳴へ導く者、ウィルオウィスプ参上」
人々の拍手の中、声高らかに名乗るシデン。新生モノポリアに対抗するべく用意された、新生ニコ魔術研究所の新ヒロインなのだ。
ふと、彼女は呟いた。
「姉さん……私を導いてくれる?」
シデンの脳裏に、エルの笑顔が浮かぶ。
今にして思えば、彼女の人生はエル無しではあり得ないものだ。エルを倒すために生まれ、エルと戦い、エルに助けられ、エルからたくさんの事を学んできた。彼女ならきっと、エルミナスの意思を世に伝えてくれるだろう。
「以後、お見知り置きを」




「くそ! やはりあの時、始末していれば良かったものを!」
ここは郊外のアパート、とある1室。モニターに写されたウィルオウィスプの姿を見て、憤怒する男がいた。白衣に身を包み、何やら複雑な化学式が書かれた書類を叩きつける――マナギだった。
「秘密裏に準備を進めていたのは、我々だけでは無かったようだな」
その傍には、ソファに腰を下ろし、昼間からブランデーを堪能する男がいた。彼こそ旧モノポリアの首領・ウィルである。
「ウィルさん! やはり奴らとの争いは避けられないんですか?」
「闇ある所に光あり、その逆も然り――その程度で騒いでいてはいけない」
「そりゃウィルさんは冷静沈着だから、激高しないだけですよ」
「なぁ、マナギ……いい加減私の事を『ボス』と呼んでくれないか? これではただの男性デュエットみたいで、馴染まないのだが」
「ウィルさんをボスと呼ぶ事の方が、私は馴染みませんけどねぇ」
そう言って水差しに手をかけるマナギ。彼はコップに水を注ぎ、それを一気に飲み干した。
「裸一貫からやり直した者の底力……奴らに見せてやろう」
「私の自慢のキメラ達もね!」
「材料が集まれば、またデバイスを作るつもりだ。何せあの『機械の申し子』から、ご自慢の設計図を手に入れているんでね」
ウィルの手中には、あのデバイスの設計図が握られている。彼らの頭脳を持ってすれば、再びシデンレベルのキメラが誕生するのも時間の問題だろう。
「それじゃ、次はイカでどうですか?」
「うん、悪くない」
「スミで分身を作り、2対1の勝負を持ちかけましょう。少し時間は掛かりますが、1週間もあれば下地は完璧ですからね」
「それじゃ、早速準備に取り掛かってくれ」
「了解!」
賃貸アパートの1室で、世界征服のために動き出した新生モノポリア。急がなければ、大家が家賃を催促してくるからだ。
――悪の組織・モノポリアは、こうして生まれ変わった。

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