光と闇の戦いから、もう1年が過ぎようとしていた。
場所を知られた事もあり、ニコ魔術研究所は撤去され、土地は競売にかけられている。有限会社モノポリアのいたアパートは取り壊され、今は新しいマンションが建設中だ。
時代は歩む。時とは恐ろしいものだ。あれだけ皆を惹きつけてやまなかった存在が、ここまで霞と消えてしまうのだから。
――人々の心の中からエルミナスの名は、もう忘れ去られていた。




街の外れに、森林地帯がある。所有者の怠慢により、すっかり密林と化しているその森は、近隣住民からは恐れられる場所だった。
つい数ヶ月ほど前、そこに1軒の家が建てられた。コンクリートで作られた、立派な建物である。高さ3メートルを越す塀がそれを取り巻くなど、なかなか警備は厳重だ。その門には金属のプレートが掲げられており、それにはこう記されていた。
『ニコ魔術研究所』と――。
「アル! ちょっと来なさい!」
洗濯物を取り込んでいた彼は、研究所一偉い博士・ニコに呼び出された。
「はいはい、何ですか?」
「新しい発明が出来たわ。さっそく試しなさい」
「この間失敗した『草狩り使い魔君(と言う名の芝刈り機)』の新バージョンですか?」
「いいえ、これは別作品」
彼女は机に、1枚の鏡を置いた。
「名付けて『夢見がちなシンデレラ・ピーポー』!」
重厚な木の縁に、磨かれた鏡。豪華な装飾の施されたそれは、まさしく御伽噺に出てきそうな逸品と言えよう。ただ、鏡が出てくる物語は『白雪姫』であるが。
「なるほど……少しオチが読めましたよ?」
アルはニヤリと笑った。
「この鏡に向かって何かを尋ねると、それに対する答えが返ってくるんですね?」
「大まかに言えばそうだけど、これはさらに改良されているの。何と! 質問した答えに対して、全く関係無い嘘情報を教えてくれるんだから!」
7秒間、空白の時間が流れる。
「え?」
「とりあえず、尋ねてみなさい」
とにかく、質問しなければならない空気を察したアルは、適当に話しかけてみる。
「世界で1番格好良いのは、だぁれ?」
すると鏡は淡い光を放ちながら、しゃがれ声で返事をした。
『除夜の鐘が108回鳴らすのは、『四苦八苦』の『四苦(4×9=36)』と『八苦(8×9=72)』を足した答えだからです』
12秒間、空白の時間が流れる。
「……あ、そうなのか! へぇ〜! てかそれは嘘なのか? これは嘘だよね? 嘘かよ! というか僕の質問に答えてよ! 大体……あぁもう、何だよ! リアクションに困るよ、これ!!」
「微妙に不評みたいね」
「中途半端過ぎるんですよ。良い物なら良い物を、悪い物なら悪い物として、しっかり作ってください」
「それじゃ……これは悪い物です」
「それなら問題ありません」
「凄く良いと思うのに……これだから一般人は……」
渋々鏡を仕舞うニコ。新発明のモニターから解き放たれたアルは、再び洗濯物を片付け始めた。
「平和ですね」
「本当、もううんざりするぐらい。サイレンの音に緊張感を高めていた、あの頃が懐かしいわ」
「エルを迎えた後、コーヒーを堪能していたのは、どこの誰ですか?」
「冗談よ。ちょっと思い出を美化しただけじゃない」
そう言って彼女はぽりぽりと、パスタ(茹でる前)をかじる。
「そんな私達も今では、新発明を開発しながら、細々と暮らす毎日……悪くは無いけど、どこか物足りないわ」
「博士は、刺激が大好きだからですからね。そんなに言うなら、音楽でもかけたらどうですか?」
「うん、悪くない」
彼女は傍のCDラックから、1枚のアルバムCDを取り出した。
「買ったばかりだから、もっと聞かなくちゃ」
「ただでさえ薄給なんですから、もっとしっかり元を取ってくださいね」
リモコンのボタンを押すと、機械的に調律されたメロディが、大音量で部屋に響き渡る。
「ニコ!」
女性の声が響いたのは、その直後だった。
「もっとボリュームを下げなさい。読書に集中できません」
ソファに腰掛け、点字つきの本を熟読する少女――エルだった。
「はぁい」
がっかりした表情で、音量を半分近くまで下げるニコ。エルの、彼女に対する躾は、まだまだ続いていた。
「若い頃から大きな音ばかり聞いていると、将来耳が遠くなりますよ」
「大丈夫、私が専用の補聴器を作るから」
「そういう問題じゃありません」
「分かってるってば。冗談、冗談。あんまり怒らないで?」
「ですが――」
「あれ〜?! ケイがいないわね〜?! どこにいったのかしら〜?!」
分が悪いと感じたニコは、わざとらしく話を逸らす。もう既に諦めているのか、エルはしばらく間を置いてから返事をした。
「近所の集会に行っています、ネコの」
「それならシデンは〜?!」
「まだ寝ています。あの子は夜行性だから」
「あらそう〜! 本当に大変ね〜! アッハハハ……!」
挙動不審な笑い声をあげるニコ。しかしエルは既に、読書に集中している。それを確認すると、彼女はホッと胸を撫で下ろした。
「ところでエルさん」
彼女達の話が終わったところで、アルが口を開く。彼は既に洗濯物をたたみ終えていた。
「本当にもう戦うつもりは無いんですか?」
「ええ」
エルは全く動じない。
「もう誰も、エルミナスの名なんて覚えていないわ。でも、それで良いの。本来の世界は、そうあるべきだから」
「だけれど、モノポリアが本当に壊滅したって証拠は無いんですよ?」
「それなら、モノポリアが本当に復活したって証拠も無いんですよ?」
両者の言い分は正しかった。シデンの話から、モノポリアが解散寸前であった事は間違い無い。しかし彼らは、肝心のボスに対面していないのである。証拠不確証のまま、一連の事件は幕を引いていた。
「ただ確実に言えるのは、街の人々にとって、私はもう必要の無い存在という事です。悪がいないのですから、当然でしょう。私達が望んでいた平和のためなら、私は喜んで隠居生活をします」
まるで隠遁者のような事を言うエル。とはいえ、外見はまだ二十歳そこらの少女と変わらないが。
「万が一、敵のキメラが現われたら?」
「……それでも行かないわ」
あの激闘から既に1年が経っている。彼女の決意は固かった。
「あのハイテンションなエルさんの姿……もう見られないのか」
「私の時代はもう終わりです。これからの未来は、若い世代に託しましょう」
そう語るなり彼女は、さらに読書に没頭していく。いくつかアルが話しかけても、彼女は全く聞こえていないようだ。
――正義の味方・エルミナスは、こうして引退した。

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