>>良
それは、演説の1週間ほど前だった。トレーニングに出かけようというまさにその時、水鏡が尋ねてきたのだ。
「演説文を見て欲しい?」
「そう。僕って国語苦手でしょ? だからちゃんと日本語として成立しているのか、確認して欲しいんだ」
「嫌」
無理矢理外へ出ようとすると、水鏡が必死に絡み付いてきた。
「痛い、痛い、やめろ、本気で痛い」
「見てくれるまで、絶対に離さないよ!」
「分かった、分かった! 見る! 見るから離れろ!」
俺の叫びに、水鏡が腕を離す。その瞬間逃げようかとも思ったが、何だか面倒臭くなってきたのでやめた。それに、この間の大会で、水鏡は場数を踏んで強くなったのだ。あの変幻自在の水の腕が、逃げ回る俺を捕らえて終了、という場面が目に見える。
12月の玄関先は寒い。俺は水鏡をリビングへ連れた。
「それで、その原稿は?」
「これ」
手渡された紙を、俺はパッと眺める。
「7箇所、日本語としておかしい部分があるな」
「早いなぁ」
自分の机から赤ペンを取り、該当箇所にラインを引いた。それだけで原稿の半分が、赤く変色する。
「喋る時は問題無いが、この部分は『未開』だ。これでは『末開』だ。字が違う」
「そうなのか。凄いなぁ」
水鏡は納得してはいるが、言葉だけでは伝わっていないかも知れない。俺が代わりに訂正しておいた。
「俺が日本語として正しい文章にしておこうか?」
「今日の良君、サービス精神が豊富だね」
「こんな文章読んでる奴の友達とは、絶対に思われたくないからな」
日本語としてはおかしいが、意味が分からない訳では無い。俺は早速、文章の校正に入った。
「……あれ? 僕、バカにされた?」
「馬鹿にした」
「ひ、ひどい! 僕だって地理や歴史は、誰にも負けない自信があるんだからね!」
「演説では使わない」
「ですよねー」
それにしても、訂正箇所が多過ぎる。適当に終わらせよう、という魂胆は無謀だったらしい。それでも俺はペンを走らせ、何とか校正を終わらせた。水鏡の原稿はまるで、真っ赤に燃える夕陽のようだ。
「これでどうだ?」
「……うん、そうそう! こんな感じなんだよ!」
「お前、本当に作文が駄目だな」
「ダメでしょ?」
「駄目駄目だ」
「ダメダメでしょ?」
お前はどこまで自分の駄目さに自信があるんだ。
「なんというか、これは日本語じゃない。例えばここ」
『僕が向かった先は地元で有名な高校に入学した』
「書いていて気付かなかったのか?」
「国語が苦手だから」
「まだあるぞ。次はここ」
『物凄く満足がいかず、不満な顔をして』
「読み直して気付かなかったのか?」
「作文が苦手だから」
「他にもホラ」
『騒々しく騒いで学生の学生生活の暮らしを騒いで暮らした』
「もうな、阿呆かと」
「馬鹿だね」
何だかムカッとしたので、水鏡の米神をグーで殴った。
「それにしても、お前の政策はお前らしいな」
今一度文章を読み直して、俺はそう感想を漏らした。
「『国内・国外を問わず、考古学として歴史的価値のある出土品や遺跡跡の保護に力を注いでいきます。こうして人類の歴史を後世まで残す事で、次の世代に新たな刺激を与える事が出来のです。未来の力は、現在の我々と、過去の偉人が育んでいかなければならないのです』――偉そうな事を言ってるようで、実はお前の趣味全開、というところが凄い」
「そ、そんな事無いってば! 僕は僕なりに、今の教育を考えているんだよ!」
「……本当は遺跡を穿り回したいだけだろ?」
「それは否定しないけどさ!」
必死に言い訳をする水鏡。
「いつからお前は、こんなにあくどくなったんだ」
「わ、悪かったね。元々、こうするつもりでB-1に参加したんだから、好きにやったって良いじゃないか」
「あぁ、別に良いと思う」
「……え?」
俺の言葉に、水鏡は思わずキョトンとする。
「お前は心獣省長になった。お前は遺跡調査をしたい。好きにすれば良い。それが心獣省長というものだ。違うか?」
「違う……くない」
「それならいっそ、徹底的にやってしまえ。そんな事を提案するのは、後にも先にもお前だけだろう。悔いを残さないよう、全力をかけるべきだ」
そう言って、ニタリと笑ってみせる俺。少し前の俺ならこんな事、絶対に言わなかっただろう。それだけ俺も成長したという事か。『非難されても、どうせ水鏡しか被害無いだろうし』という他人事だから、という気持ちもあったが。
「良君……ありがとう! 僕、頑張るから!」
二十歳に満たない省長――彼がこれからの世界にどんな影響を与えるのか。どうやら、しばらくの暇潰しにはなりそうだ。
>>The Voice Of Energy
皆さんは覚えているだろうか。新心獣省長・水鏡の母校『スターライト高校』を。そこの校長兼理事長を務める人物・秋雨武候を。
「ホラ見て! 水ちゃんだよ! 水ちゃんがしゃべってるよ!」
皆さんは覚えているだろうか。秋雨家で暮らす両親不明の少女・秋雨璃々を。
彼女はまるでしがみ付くように、お茶の間のテレビに食いついていた。無理も無い。画面に映る水鏡は、毎週訪れる家庭教師であり、少女の盲信する恋人なのだから。
「水ちゃん神様みたい!」
「ほっほっほ。心獣省長というのは、まさに日本の神様みたいなものじゃからのぅ」
日本茶をすすりながらテレビを見る武候。画面のほとんどは璃々の頭で見えていない。
「水ちゃんってすごいんだよ! 私とした約そくは、なんでも守ってくれるんだよ! すごいよね!」
「あらあら、璃々ったら。大好きな人がテレビに出てるからって、テレビに近付き過ぎですよ」
その声は武候の妻・ハルである。彼女は璃々を3メートル後方へ引き摺った。
「テレビは最低3メートル離れなきゃダメでしょう?」
「分かったー!」
それでも前屈みになって距離を縮めようとする少女を見て、ハルは笑みを零す。
「ふふ……すっかり明るくなりましたね。初めて我が家にやって来た時とは、雲泥の差ですわ」
「しかし、その理由が『男が出来たから』だとは……。わしとしては複雑な気分じゃよ」
「たとえ小さくても、いつだって女の子は大人ですわ。あなたみたいに、いつまで経っても子供のままの男とは、訳が違いますのよ?」
武候はふぅと溜め息をついた。
「少し、外の空気を吸ってくる」
彼は部屋を出、中庭へやって来た。見事な日本庭園は、彼の趣味だ。
しばらく彼は沈黙する。脳裏には水鏡の笑顔が、何度も浮かんでは消えた。
「シット!!!」
彼の叫び声は自身の心獣と共鳴し、庭の立派な松の木目掛けて雷を落とした。
「落ちこぼれのためにわしが開いた学園から……わしの大事な孫を奪う男が、現れるとは! その上、心獣省長にまで上り詰めるとは! 許さん……許してなるものかぁ!!」
武候はまさに、自分の娘の婚約者に怒り狂う父親のような気分にいる。そもそも2年前から仲違いしていたのに、今回の水鏡の活躍により、その溝は一層深まっていった。彼の見せる鋭い目つきは、背後で燃え盛る業火のように、怒りに満ちている……。
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