>>秋雨武候
 庭の無礼者を川へ適当に流してから、わしの怒りはようやく最高潮に達した。
「えぇい!! 璃々!! 璃々はどこじゃぁ!!!」
「どーしたの?」
「おぉ、そこにおったのか。よしよし」
 思わず恵比須顔になってしまうのは、わしのちょっぴり悪いところじゃ。
「わわっ。おじいちゃん、お庭が大変な事になってるよ?!」
 ……そ、そうじゃ! 思わず忘れてしもうた!
「璃々よ! 言っておった『追っ手』が、遂にこの家を嗅ぎ付けよったぞ!」
「えぇ……!」
 この時の我が孫の顔は、今までで一番の衝撃を受けた顔じゃった。
「だが大丈夫じゃ。わしが全力をもって、璃々を守ってやるからのう」
「でも、それって……」
 ふむ、やはり璃々は不安を隠せないようじゃ。この場所が発覚した、という事は必然的に、わしらの家族構成、素性も全て発覚したという事。璃々だけを別の場所に匿ったとしても、次はわしらが襲われ続けるのじゃからのぅ。
「安心しなさい。わしらはもう既に、たんまり給料は貰っておる。今から老後暮らしで、ようやく肩の力が抜ける、というものよ。フォっフォっフォ……」
「あ、うん、それもあるんだけど……その、水ちゃんが――」
「璃々よ。今はもう、悠長な事を言っておられぬ状況じゃ。良いか? 奴に、これからのわしらの居場所を知られてはならぬ!」
「そ、そんな!」
「わしはさっきまで、追っ手の小童と戦った! だから確信しとるのじゃ! 奴らは十中八九! あの男が、わしらと何らかの関係がある事を知っておる! 証人を増やして雲隠れは出来ぬ!」
「だからって、水ちゃんにだまっているなんて、出来ないよ!」
「璃々!! 璃々は、奴と自分、どっちが大事なのじゃ!?」
 甘えた事を言う我が孫に、わしはドンと一喝をいれてやった。この現実を叩きつけられ、璃々は口を噤んだ。厳しいようじゃが、これが現実なのじゃ。
『わたしをかくして……おねがい……わたしは、みつかっちゃだめなの……』
 初めてこの子に出会った時は、いつもそう呟いておった。わしだって半信半疑じゃった。何せ10にも満たない頃から、しきりに周囲の目を気にしておったのじゃからな。正直なところ、可哀相な子だと思っておった。
 しかし、日増しに増える怪しい人影と、彼らの会話を盗み聞きするにつれ、璃々の言っておる事は本当じゃと理解したものじゃ。
 なにやら、わしら一般人の知らぬところで、何か大きなものが動いておる。幸い、その事にわしが気付いている事を、奴らは誰も感付いておらぬ。よってわしは、璃々を匿い続けたのじゃ。これが誰かの、大きな後悔にならぬために、な……。
「璃々よ……これはお主の定めなのじゃ。それは、わしと初めて出会った時から、お主が言っておった事。それを璃々は、璃々自身で反故しようというのか?」
 移ろう我が愛しい孫の瞳。分かってくれ。お主はもう1人では無いのじゃ。そしてわしは、お主のためならいくらでも力を惜しまぬつもりじゃ。


「……『やつ』じゃない」
 途端、孫の目は鋭さを持った。
「水ちゃんは『やつ』なんて名前じゃない。水ちゃんだもん」
「璃々!!」
「かくれなきゃいけない! めいわくかけたくない! 分かってる! でも! でも、水ちゃんを放っておけないよ!」
「奴のせいで人生を捨てるつもりか?!」
「分かってる! でも分からない!」
「正気になるのじゃ、璃々!」
「正気? 変わってる? 私はいつも通り! 何も変わってない! いつもの私! いつものおじいちゃん! いつもの朝! いつm……ちょっと変わった庭! 私の気持ち! 変わらない! 何も変わらない!」
「ならば何故、あの男1人に現を抜かしておる!?」
「知らない! 分からない! 変わってる! でも変わらない! 私は変わってる!」
「いい加減にしなさい、璃々!!」
「知らない! おじいちゃん知らない! 分からないもん、知らないから! Et arma et verba vulnerant mihi!」
「あ、璃々! ま、待ちなさい……!」
 涙と怒りの混ざった顔のまま、璃々は部屋を抜け出してしまった。後に残ったのは、やり切れない高揚感と、乱れた庭の喪失感、そして部屋の静けさの虚無感である。
「……えぇい!!」
 軟水男に抱いていた今までの怒りを軽く越える憤怒。それがわしの体中を駆け巡り、その腕が庭の岩石に向けられる。
 拳が割れそうな感覚に、かつての若き自分を思い出した。
「怒り、苛立ち……あの頃と同じじゃ。わしは同じじゃ、何も変わっとらん。璃々よ、お主が変わってしもうたのじゃ。何故……!」

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