>>水鏡
夕方。目の前の景色が赤い。煌々と夕陽が燃え、目に入る全てのものをどんどん、きれいな赤に染めていく。僕は夕方が好きだ。日が沈む瞬間なんか、きれいな場所だったら、ちょっと感動して目頭熱くなるしね。
「ふぅ。やっと課題終わった…。」
そう言って僕は、プリントアウトしたA4用紙を数枚、きれいになおした。まさか英語の課題があったなんて、僕もうっかりしていたよ。あぁ、同じ格好続けていたから、肩が凝ったなぁ…。
「ん、んん…!」
僕は手を思いっきりのばし、久し振りの背伸びをした。よし、これでしばらく自由の身だ。
「そういえば良君たち、帰っちゃったかな?」
『少しぐらいなら待つ』って言っていたけど、時計はもう6時を過ぎているし、あまり期待しない方が良いかも知れないな。
「それにしても、僕もよくこんな時間になるまで頑張っていたなぁ…。」
自分の事ながら、ほとほと感心してしまった。
「もう行かなきゃ。」
荷物を手早くまとめると、僕は足早にパソコン教室を出た。右ポケットに入れられた携帯には、何も連絡は無い。という事は、まだ待っているかも知れない。僕は2人がいると思われる2年8組の教室に向かった。
「あ…。」
やっぱりいた。教室にたった2人、窓際でたそがれている。赤く染まった背中を見せながら、黄昏の中でたそがれる…凄い青春じゃないか。感動の涙を流しながら僕は、無言で教室に入った。声をかければ早いと思ったけれど、何となく声を掛けにくかった。
「…やっぱり…良いよな…。」
「…あぁ…。」
2人は何かを話していた。
「…こういう風景…なかなか味わえないからな…。」
「…確かに…。」
「…しっかり…目に焼き付けようぜ…。」
「…当たり前だ…。」
…。そうか。2人ともようやく、この夕方の美しさに気が付いたんだね。この真っ赤に燃える夕陽が、景色を赤く染めていく、この美しさに…。
「…ん?」
二人が振り返った。
「…何だ、水鏡か…。」
「うん…グス…。」
僕は涙が止まらない。
「何泣いているんだ?」
良君は僕の姿に呆れつつ、僕の話を聞いてくれた。
「2人とも…グス…ようやく気付いたんだね…その美しさに…グス…。」
「そうか…お前も、気づいていたんだな…。」
もはや声も出せない僕は、無言で頷いた。
「お前もここに来てみろ。きれいだぜ。」
シンゴ君に言われて、僕は2人の隣に並んだ。あぁ、やっぱりここは良い場所だ。
「良いな…。」
「あぁ…。」
二人が呟く。感動して、大きな声も出せないみたいだ。
「そうだよね…グス…。」
汚いけれど、鼻水も出てきた。僕は鞄からティッシュを取り出すと、思い切り鼻をかんだ。そして涙を流した。
「…。」
「…。お前、ちょっと泣き過ぎじゃないか?」
そんな僕の姿を見て驚く2人だけど、僕は声も出せず、無言で首を振った。
「ま、いいか。」
良君のその一言に、2人は再び窓の外へ視線を移した。やっぱり人は、こういう景色を見ると、心が洗われるんだろうな…。
「…?」
「…ん?」
あぁ、日差しが気持ち良い…。
「なぁ、水鏡…。」
「何?僕らに言葉はいらないよ。さぁ、もっと日差しを浴びよう…。」
「何で上、見ているんだ?」
…。
「へ?」
シンゴ君の意外な一言に、僕は思わず妙な声を上げてしまった。
「いや、だから…。」
「『どうして上ばかり見ているんだ?』と言いたいんだ、シンゴは。俺も言いたいが。」
良君も僕の行動に疑問を抱いているらしく、唐突だったシンゴ君の言葉を分かりやすく説明してくれた。でも僕にとって、この夕陽を楽しんでいた訳では無い2人の態度の方に疑問があった。
「え?だって…?」
「下だろ。」
そう言ってシンゴ君は、窓の下の方を指差した。
「え、下っ?」
「そう、下。」
シンゴ君と同じように、良君も窓の下を指差した。下?まぁ確かに、夕陽は地面を照らすしね。その美しさに見とれるなんて、良君たち…通だなぁ…。
「下の…あそこだ。」
そう1人で納得した僕を、彼らはいとも簡単に裏切った。良君が指差した先とは、日差しも何も無い、ただの真っ暗な日陰だった。
「よぉ〜く目を凝らして見てみろ!」
シンゴ君に言われて、僕は目を凝らした。
「…人影が見える。そう言えばさっきから、甲高い声が…あぁ、女学院の生徒か。」
それはこの高校の近くに建てられている、創設百年を超える老舗の女学院、優盟女学院の学生たちの姿であった。
「帰宅途中なんだね。」
「あぁ。」
「そうだな。」
それは分かったけれど、どうして2人は、そこまでして熱心に見ているんだろう?
「…。」
「…。」
ただの…帰宅途中の女学院の生徒の姿だよね…?
「良いな…。」
「あぁ…。」
「ハッ!!!」
まさか!!
「こんな光景、この学校には無いからな…。」
「あぁ…。」
「しっかり目に焼き付けとこうぜ…。」
「あぁ…。」
そう、2人はそれを見ているだけだった。だからこの景色の美しさには、最初から関心が無かったのだ。
「ぐすっ。」
僕は悲しみの涙を流した。
「どうした、水鏡?何故涙を流しているのだ?」
「な゛ん゛て゛も゛な゛い゛。」
「?」
2人が不思議そうな目で、僕を見る。感心した僕が、馬鹿だったよ。
「…なぁ、シンゴ。」
その時不意に、良君が喋りだした。
「…どうした、良。」
「…水鏡。」
そしてそれは、僕にも向けられた。
「…何?」
彼はいつにも増して改まったような表情を見せた。その真剣な顔つきは、ここ最近見た事が無かった程だ。
「俺たちはもう、高校2年だよな?」
「そうだけど。」
「不躾だが、尋ねる。俺たち、彼女歴何年だ?」
何を唐突に。
「全員0年に決まっているだろ。」
少し呆れる僕の代わりに、シンゴ君が答えた。そう、誰も彼女なんていない、ましてや作った事も無い。3人でずっとバカやってきたから、そこまで手が回らなかったのだ。自覚していた話題が出てきて、シンゴ君は不機嫌だった。
「そんな寂しい事、話題に出すなよな、良。」
「いや、これはすごく重要だ。」
そんな空気を吹き飛ばしそうな位、良君は本気だった。これは何か、大事な話があるのかも知れない。彼がこういう態度を取る時は、決まってそうだった。
「正直に言う。俺は彼女が欲しい。」
「そりゃそうだ。」
「僕も欲しいよ。」
人間の、永遠の欲求だもん。僕がそう考えていた時、急にシンゴ君は、
「…!まさか、良!?」
「あぁ、そのまさかだ。」
彼は何かに気付いたらしく、急に取り乱し始めた。
「何?シンゴ君『まさか』って何?僕、何も知らないけど(汗)?」
つられて取り乱す僕に、良君はいたって冷静に話を続けた。
「水鏡、今から話すのは、俺とシンゴが計画してきた極秘プロジェクトの全貌だ。決して他言しないと、誓えるか?むしろ誓え。」
「良君…いつにも増して怖いね。」
「誓えるか?!」
少し目を釣りあがらせて、良君は僕に迫ってきた。
「むしろ誓え!!」
シンゴ君も一緒になって、僕に迫ってきた。その圧倒的な迫力に、僕は小さな悲鳴をあげながら、
「ち、誓いますぅ!!」
と叫んだ。それをしばらく見つめた後、
「よし。」
2人の顔が元に戻った。こ、怖い(泣)。
「それでは発表する。」
何故か僕は、息を呑むほどの緊張感を感じた。何かこの重大な発表が、僕らの運命のようなものを、激しく揺るがすように思えたからだ。良君は深呼吸を一つすると、僕らに聞こえる程度の大きな声で、こう言い放った。
「『女学院に侵入☆ついでに彼女GET大作戦』」
…。
5秒ほど、時間が止まった。
「シンゴ君、帰りにゲーセン寄ろうか。」
「お、マジで?!」
僕は鞄を肩にかけると、シンゴ君に話しかけた。
「をい。」
もちろん良君の事は放っておいて。
「1回分くらいなら僕がおごるからさ、久し振りに一緒に行こうよ」
「どうしたんだ?急に羽振りが良くなりやがって。」
「別に。ただそういう気分なんだ。」
「そっかぁ〜、それじゃ、それに便乗すっか。」
シンゴ君は嬉しそうな表情を見せながら、僕らは帰宅準備を整えた。
「待てコラ。」
もちろん冷静さを装う良君は放っておいて。
「それじゃ、いつものゲーセンで良いよね?」
「もちろんだ、どこでも良いが、やはりあの台が無ければ、俺は始まらん。」
「じゃ、帰るついでにそこへ行こうか。」
「おー!」
「止まれぇ!!!」
良君が大声を上げる。先程と表情を変えてはいないけれど、彼はかなり焦っていた。せっかく話をしているのに無視して帰る準備をされれば、誰でも慌てない訳にはいかない。
「何?」
「何で無視だ?」
本気で尋ねてくる良君を見て、僕は大きなため息をついた。そして僕は至って冷静な返答をした。
「不法侵入は罪だよ。僕はそんな事で一生を無駄にしたくないし。」
「あと、ネーミングセンス無いし。」
シンゴ君は、何か論点を間違った意見を述べた。
「2人目黙れ。」
「ひでーや。」
悔しがるシンゴ君だけど、こればかりは僕も良君の仲間だった。
「とりあえず、水鏡…。」
僕の肩をくみながら、小声で話しかけてくる。
「お前、彼女欲しく無いのか?」
「そりゃ、欲しいよ。」
「じゃ、何故計画に乗らないのだ?」
彼とは小学校からの仲だけど、こういう時に罪の自覚が無くなるのが、彼の悪い癖だった。今まではそれに抵抗しなかった僕だけど、中学・高校と成長するにつれ、それに反抗する事を僕は覚えた。確かに彼女が欲しいのは事実だけど、それに甘える訳にはいかない。これは彼のためでもあると、僕は本気で思った。
「言ったでしょ?侵入するのは良く無いよ。」
「ヨカラズ〜!」
「シンゴ黙れ。」
良君の的確なツッコミにより、シンゴ君は教室の隅の方で、「の」の字をいくつも描き始めた。これでしばらく静かになるだろう。
「別に俺には、女学院に忍び込んでの陵辱なんて趣味は、ちっとも無い。」
「無くても駄目かと。てか良君、表現がストレート過ぎ。」
「それにだな、正式に彼女が出来たら、あんな事とか、こんな事とか、し放題になるぞ?」
「さっきと言っている事が、矛盾しているような気が…(汗)。」
魅惑の言葉で僕を誘惑する良君だけど、それに惑わされる訳にはいかない。
「とにかく!『女学院に進入しての彼女GET』とは組織の掲げる目標ではあるが、実際に侵入する・しないは本人の希望次第なのだ。」
「…。」
実を言うと、そう言われると僕は弱くなる。『本人の選択肢がある』と言われると、全体の善し悪しが見えなくなるからだ。
「な?」
それでも駄目だ、落ち着いて考えなくちゃ。いくら本人次第でも、これは侵入だ。法に触れている筈だ。彼女を作るのなら、わざわざ侵入する必要も無いはずだ。そもそも彼の言う『本人の選択肢』は、女学院生には何一つ無いのだ。それのどこが良いんだ?どこが民主主義だ?!駄目だ、これは罠だ。女学院生という甘い罠だ。己の欲望に一直線は危険過ぎる。ここは自分の身を守るためにも、彼の将来のためにも、僕は『してはいけない』と言わなければならない。
…でも、彼女欲しい。
「参加する。」
「よし、お前も漢だ!」
「うん…。」
そう言って僕は彼と、力強い握手をした。先程まで苦悩していた僕の顔には、一辺の悔いも見られなかった。
「シンゴ!交渉成立だ!」
「よぅっし!!」
教室の隅でいじけていたシンゴ君は、急に元気を取り戻した。そして僕たち3人は、夕陽の差し込む教室の中で、互いに固い握手を交わしあった。まるで友情の固さを確認しあうかのように。
「彼女いない歴17年か。もうそんなに経っちゃうのか…。」
そう呟く僕の背中を、良君は軽く叩いた。そして僕を見つめるその目は『俺に任せろ』と言っていた。
「彼女いない歴17年に、ピリオドをー!!」
「うおー!!」
男3人の暑苦しい叫び声が、夕陽の差し込む教室に響き渡った。そしてそれは窓枠を抜け、赤に染まる町にも響き渡るのだった。


これが僕の『罪深き、悔い無き日』です
分かってはいます…
分かってはいるけれど…
無理だった

でも、この作戦がきっかけで
僕の、いや僕たちの『運命』みたいなものが
大きな音を立てて変わっていく事に
この時、誰1人気付くはずも無かった…

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