(2)「伝えたい事があやふやです…」
音楽会社事務室内
「森山さん?」
「……。」
「森山さん、起きて下さい。」
「…あ…おはようございます。」
「“おはよう”って、今夕方ですよ?」
「あぁ…そっか…。」
「気を付けて下さいよ。なんなら僕が送りましょうか?」
「いや、いいんだ、別に大丈夫だ。」
「そうですか?森山さん、何だか変ですよ?」
「いや、大丈夫なんだ、本当だ。」
「…それじゃ、お先に失礼します。」
「また明日ね。」
男、部屋から出て行く。部屋には森山、1人だけ。
「…はぁ!シュージさんのせいで、寝不足になっちゃいましたよ、本当…。」
独り言を呟きながら、数時間前に点けたパソコンに向かう。
「ふぅ…!」
数十分間、キーボードを打つ音だけが部屋に響く。ノックがする。
「どうぞ。」
部屋に大きな茶封筒を抱えたシュージが入ってくる。
「あ、シュージさん。どうしたんですか?」
「伝えたい事が無いんです!!」
「まだ無いんですか?」
森山、うんざり。
「無いんです!!無いんですってば!!」
「分かっています、分かっていますから、耳元で叫ばないで下さい。」
「はい。」
シュージ、何となくイスに座る。
「シュージさん、コーヒー飲みますか?」
「はい。」
森山、給湯室へと歩いていく。
「あ、森山さん。」
「はい?」
「お砂糖とミルク下さい。」
「良いですよ。」
森山、給湯室へと入る。森山、ソワソワしている。
「森山さん、森山さん!」
「何ですか?」(声)
「会社ですよ!」
「当たり前でしょ。」(声)
「……。」
「……。」(声)
「森山さん、森山さん!」
「何ですか?」(声)
「机が一杯ですよ!」
「会社ですからね。」(声)
「森山さん、森山さん!」
「何なんですか、一体っ?」(声)
「会社っぽいですね!」
「シュージさん、僕がコーヒーを淹れ終わるまで、喋らないで下さい。」(声)
「……。」
ガッカリした顔で、頷く。
「…!!」
シュージ、何か思いつく。
「んーんーんー!!」
喋れない。
「んー!んーー!!」
喋れない。
「んーんーんーーー!!!」
シュージ、机をがむしゃらに叩く。
「何ですか、何ですか!!?」
森山、カップを片手に慌ててやって来る。
「んーんー!」
――しばらく、シュージによるボディランゲージをお楽しみ下さい――
「あ、そ。」
行ってしまう。
「ん〜〜〜〜!!!」
「……。」(声)
「ん〜〜…。」
「……。」(声)
「……。」
「……。」(声)
「……。」
シュージ、ガッカリ。彼が何を言いたかったかは、誰にも分からない。
「はい、もう喋ってもいいですよ。」
しばらくしてから、森山がコーヒーを淹れて帰ってくる。
「どうぞ。」
「!?お砂糖が初めからついている!?」
間。
「あの、そんなに驚くほどでは…。」
「え、そうなんですか?」
そう言いつつ、少しコーヒーを飲むシュージ。
「あの、シュージさん。」
「はい?」
「座って下さい。」
シュージ、いつの間にか立ち上がっている。
「そうですね。座りましょう、さぁさ、座りましょう。」
「…そうですね…。」
シュージ、美味そうにコーヒーを飲む。
「ところでシュージさん。」
「はい?」
「何しに来たんですか?」
「……。」
「僕も仕事がありますんで、用が無いのなら、このコーヒー一杯でお引取り願いたい――」
「伝えたい事がぁぁ!!」
「無いんでしたね。」
「お願いします。何か考えてください。」
「そう言われても、僕は音楽家じゃないので――」
「それじゃ、ミュージシャンで。」
「無理ですね。」
「アーティスト。」
「いや、ちょっと…。」
「作曲家。」
「経験無いので。」
「作詞家。」
「理系なので。」
「編曲者。」
「さっきから、方向性がちっとも変わらないんですけれど。」
「そうですか?」
「第一シュージさん、僕が編曲しても、歌詞が無いでしょ?」
「……あ。」
「それじゃ、意味がありませんよ。スポンサーもいないのに、F1ドライバーになっても、車が無かったら、笑われ者でしょ?」
「良いたとえだ…。」
「嬉し泣きしないで下さい。気味悪い。…。って、だから、その気持ちを歌詞にすれば良いじゃないですか!」
「“歌詞にすれば良い”なんて簡単に言っていますけれど、実際には簡単ですよ!」
「矛盾していますよ?」
「でも、それじゃダメなんですよ。もっと、こう…聴いた人が感動するような、そんな曲を目指しているんです。もう、感動しすぎて、涙出ちゃうくらいの。」
「ふんふん。」
「だから、簡単に出来るものでも無いんですよ。」
「言いたい事は分かりますけど、それを実現するのがプロでしょ?」
「あの…。」
「何ですか?」
「もう1杯下さい。」
コーヒーカップを差し出すシュージ。
「あぁ、良いですよ。」
カップを手に取り、給湯室へと歩いていく森山。
「森山さん。」
「何ですか?」(声)
「この机の上に置かれているものは?」
「あぁ、それですか。やっぱり同じ業界の人間として、気になりますか?」(声)
「まぁ、そんな所です。」
「“アイボリィ”って言うバンドグループのポスターですよ。」(声)
「随分若いですね。」
「デビューしたてですからね。すごいですよ、彼らは。1stシングルですでにオリコン5位なんですよ。」(声)
「ほぉ…。」
「まだ十分に若いですから、もっと育つ可能性もありますよね。」(声)
「…。」
「…シュージさん?」(声)
「はい?」
「どうかしたんですか?」(声)
「いや、このちょっと黒い子…。」
「あぁ、確かドラムの。」(声)
「何て言うのか…ちょっとした知り合いでして…。」
「えぇ!!?そうなんですか!!?」(声)
「はい、まぁ…ちょっとした。」
「凄いですね!あ、そっか。だからシュージさんもこの業界に…!」(声)
「失礼ですね。僕だって立派なミュージシャンですよ。」
「あ、はは、ゴメンなさい。それで、どういう関係なんですか?」(声)
「実はですね。」
「はい。」(声)
「私の叔父の息子の従妹の友人の隣の人の息子の教師の祖父のひ孫の伯父の兄弟の息子に似ているんです。」
「他人じゃないですか!!!!」(声)
「他人ですよ。」
「どこが知り合いなんですか!!!!」(声)
「ちょっとした……ね。」
「“ね”じゃ無いですよ!!!」(声)
「そ、そんなに怒る事無いじゃ無いですか。冗談ですよ。」
「冗談って…そもそも本当に知っているんですか、その人の事?」
「知っていますよ、当然。」
「……そっちの方が凄いですよ、本当。」(声)
「あの、コーヒーまだでしょうか?」
「あぁ、もう少し待って下さい。」(声)
給湯室からはお湯を沸かす音。どうやらこの会社ではコーヒーを淹れる時、ポットでは無くやかんを使用するようだ。と言う事は恐らく、お茶を淹れる時もやかんを使用するだろう。麦茶を作る時もやかん、カップラーメンを作る時もやかん、そうめん食べる時のそうめんつゆを薄める水を作る時もやかん…もちろん、生の水をそのまま使う事は、健康に関してサボっていた事になる。もしそれで誰かが食中毒でも起こそうものなら、たちまちタブロイド紙の一面を飾り、衛生局から消毒のために派遣されてきた白装束の男達が、消毒液を撒き散らしに来るかもしれない。恐らく上層部の誰かが、責任とって首になる可能性だって否めない。となるとこの会社にとって、このやかんの存在は大きいと言えるだろう。そう言えば、やかんと言えば、面白い話がある。いや、もしかしたら面白くないのかも知れないが、ここでは面白い事にしておこう。確か戦後間も無い頃、エネルギーを効率良く使用するために、底が波型のやかんが開発された事があるのだ。ただしそのやかん、すぐに穴が開いてしまい、使い物にならなかったとか、それが特許を取っているとか、なんかそんな話。…。あ〜あ。やっぱ止めときゃ良かった。だってちっとも面白くねーもん。誰も笑ってねーもん。あ、いやいや、そういう意味では無いな。“面白い”というのは「わはははーおっかしぃー!!!」て言う意味の方では無く、「へぇ♪」と言うタイプの方であり、もちろんボタンを押しながら言わなくてはならない事くらい、賢明な読者?なら既にお分かりであろうが、あ、もしかしたらもうブームが過ぎ去ろうとしているのかもしれないけれども、てかむしろ過ぎ去った感が無きにしも非ずだけど、とにかくそう言う意味なのであって、別に笑いを期待しなくても良かったハズだよな?そーだよね?ふ〜…良かった、良かった。これで安心したワ。だってさ、本当に誰も笑っていないんだベ?もしこれが笑うポイントで、それで誰も笑っていなかったら、スッゲー辛いワケよ、分かる?あ、分かる?!でしょ〜?!だしょ〜?!そーなったらもう、しばらく仕事に復帰出来無ぇだべさ。田舎さ帰ってしばらく大根育てるけん。荒れた荒野に種を蒔いて、春に咲き乱れる花々に心洗わされる日々が続くところだったよ、ホント。危ないよね、芸の世界って。一歩間違えたら、どん底人生になる可能性高いよね。だよね〜♪だよね〜♪は、いかん!曲が古い!でもまぁ、そこで生き延びていけたら、そりゃもう後に残るは幸せな人生かも知れないけどさ、でもやっぱリスクあると思うんだよねぇ…。
「あの、シュージさん!!??」(声)
「…はい?」
「ぶつぶつ喋らないで下さい。気味が悪いですよ。」(声)
「え?私は何も喋っていませんけれど?」
「…え?」(声)
「森山さんですよね?今ぶつぶつ喋っていたのは…。」
「そんな訳無いですよ。」(声)
「……。」
「……。」(声)
「このビル、出ますね。」
「止めてくださいよ、そんな怖い事言うの!!」(声)
「冗談にならないですよね。」
「笑いながら言わないで下さい!!私、今日残業なんですから!!」(声)
「ゴメンなさい、冗談ですから。」
「…お砂糖とミルクでしたよね?」(声)
「はい、あ、わざわざすみません。」
「いいえ。」(声)
しばらくして、森山が出てくる。手にはお盆を持っている。
「どうぞ、“コーヒー、お砂糖・ミルク付き”です。」
「ありがとうございます。」
「それでは、それを飲み終わったら、帰って下さい。」
「いきなりですね。」
「いきなりです。」
「邪魔でしたか?」
「邪魔です。」
「目に一点の曇りが無い…。」
「本気ですからね。」
「……。」
嫌な空気が流れ出す。
「何だか…落ち着いて飲めませんね。」
「大丈夫です。ゆっくり飲んで下さい。」
「ありがとうございます。」
「そして、すぐ帰って下さい。」
「ひどいなぁ。」
「こちらも仕事がありますから。」
「何だか疲れた顔してますね。」
「シュージさんのせいですよ。」
「それはまた、ご愁傷様ですね。」
「シュージさんのせいって、言っているじゃないですかっ。」
「怒ル、ソレ良ク無イ。」
「何故に片言!」
「あの…こんなに飲めないんですけれど。」
「大丈夫です。ゆっくり飲んで下さい。そして速やかに帰って下さい。」
「いや、でも、文だけでは分からないですけれど、これ、ビールジョッキに入っているんですよ?」
「飲めます。」
「癌になってしまいそうで。」
「なりません。」
「それに、最初はコーヒーカップに淹れられていたのに…。」
「気のせいです。」
「気のせいですか。」
「確かに、だいぶ前にしっかりと“コーヒーカップ”と書かれてはいましたが、気のせいです。」
「もしかして、新手の嫌味でしたか?」
「そう思うのなら。」
「やっぱり、こんなに飲めないんですけれど。」
「どうしても飲めないのなら、残しても構いませんが。」
「あ、じゃあ、タッパーに入れて、持ち帰って良いですか?」
「何故にタッパー?」
シュージ、タッパーを取り出す。
「しかもちゃんとある!」
「良いですか?」
「シュージさんが良いのなら、それで良いんじゃないでしょうか?」
「そうですね、そうですよ。」
シュージ、タッパーにコーヒーをなみなみと注いでいく。
「よし、これで入りました。」
「本当に、たくさん入っていましたね。」
「後、森山さん。」
「伝えたい事はありませんからね。」
「……。」
「さ、早く帰って下さい。」
森山、無理矢理シュージの背中を押す。
「あ、あの、森山さん!」
「何ですか!」
「伝えたい事は――」
「無いから!!!」
「コーヒーに塩を――」
「絶対まずい!!!」
「一度くらい飲んで――」
「一章で飲んだから!!!」
「それじゃ、今度は――」
「紅茶に塩はいらん!!!」
激しく扉の閉まる音が響く。事務室内には森山一人だけ。
――さよなら さよなら さよなら もうすぐ外は白い冬――
でもこれ書いている時点で、季節は夏。
「…疲れた…。」

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