レコーディングスタジオ前
「シュージさん、いますか?」
部屋から返事は無い。
「シュージさん、いたら返事してください!」
部屋から返事は無い。
「…仕方無いなぁ、もしかしたらレコーディング中かもしれないし、後でもう一度――。」
<ギイイ…>
部屋のドアが開いた。
「あ、シュージさん!」
「…あぁ、森山さんか…。」
「どうですか、作曲の方は順調ですか?」
「…それがさっぱり…。」
「ここ最近、ずっとブランクじゃないですか、どうしたんですか、一体?」
「…無いんです…。」
「え?」
「伝えたい事が…伝えたい事が無いんです!!」


(1)「伝えたい事が、出てきたんです…」
レコーディングスタジオ内
「とりあえず、ここにでも座っていてください。」
「はい、どうも。」
「今、コーヒー淹れますね。」
「あ、お構いなく。」
シュージ、出て行く。こざっぱりとした部屋のイスに、深く腰掛ける。
「シュージさん、一体どうしたんですか、いきなり訳分からない事言って?」
「すみません、どうやら僕は取り乱していたようです。」(声)
「取り乱していたって…それで、一体どうしたんですか?」
「ハハッ…。」(声)
「何ですか、一体?いきなり笑い出して…。」
「取り乱している。」(声)
「誰が?」
「森山さんが。」(声)
「え?」
「(笑い続けて)さっきから“どうしたんですか?”と“一体”しか言ってない…。」(声)
「シュージさんのせいじゃないですかっ。」
「(笑いながら)あぁ、そっか…(急に暗い声で)そうですよね…。」(声)
「暗くならないで下さい、気味悪いですよ。」
森山、テーブルの上に置かれていた知恵の輪を手に取り、挑戦し出す。
「これ、やりますよ?」
「いいですよ、ナスダックもいまや、ナスとダックに分裂しましたから。」(声)
「シュージさん、意味分かりません。」
「アッハッハ…。」(声)
間。
「あの人の頭の中で、世界は、どのような崩壊の道を歩んでいるんでしょうねぇ…?」
間。
「話を元に戻しましょう。シュージさん、何かあったんですか?」
「さっき言った通りなんですけどね…。ところで、お砂糖はいりますか?」(声)
「あ、お願いします。さっき言ったって、“伝えたい事が無い”ってやつですか?」
「そうです。伝えたい事が無いんです。」(声)
やかんの沸騰する音が聞こえてくる。
「そんなもの…シュージさん程のミュージシャンなら、一度や二度、当たり前ですよ。」
「…ハンッ、どうだか。」(声)
「なして口調が変わる?」
「お砂糖はいりますよね?」(声)
「お願いします。」
「…“僕程”と言っても、僕にはずっとミュージシャンとしてやっていける力なんてもの、ありませんよ。落ちぶれているのにも拘らず、ただいつまでもこの業界にへばりついている、しがない音楽家でしかありません。森山さんは僕をプロだと思っているみたいですが、実際にはもっと――。」(声)
「(遮るように)いや、別にそんな事、思ったことありませんので。」
間。
「……あ…そう?」(声)
「…哀しいですか?」
「哀しい。」(声)
知恵の輪がなかなか解けない。森山、だんだん嫌になってくる。
「その哀しみを、歌にしたらどうですか?」
「あ、なるほど…!」(声)
「でしょ?」
「そうですねぇ。お砂糖はいりますか?」(声)
「はい、もちろん。」
やかんの音が聞こえてきた。沸騰の合図。森山、周りをキョロキョロと見る。
「よし、やっとお湯が沸きました。」(声)
「シュージさんは…。」
「何ですか?」(声)
「結構趣味悪いですね。」
「どうしてですか?」(声)
「いや、だって普通、スタジオ内にゴミ箱、5つも6つも置かないですよ?」
「そんな事ありませんよ。ほら、最近、巷で話題でしょう?リサイクルだとか、ゴミの分別だとか…。」(声)
「はぁ、まぁ、そんな話、流れていますけど。」
「そう、それですよ。これで僕もエコロジストの仲間入りって事です。」(声)
「…この赤いゴミ箱は?」
「燃えるゴミ。」(声)
「あの薄緑のゴミ箱は?」
「紙のゴミ。」(声)
「黒と黄色の縞々?」
「お菓子の箱用。」(声)
「メタリック?」
「いつか燃やされるゴミ。」(声)
「スケルトン?」
「それ以外。」(声)
「シュージさん、あなた絶対ゴミの分別をなめているでしょう?」
「そんな事ありませんよ。ちなみにミルクは?」(声)
「それはいりません。それじゃプラスチックとかは、どうする気なんですか?」
「他のスタジオへ捨てに行きます。」(声)
「意味無いじゃないですか!もっと有効な使い方をしましょうよ!」
「そんな事ありませんよ。」(声)
「取り乱しているでしょう?さっきから“そんな事ありませんよ”ばっかりですよ。」
「そんな事ありませんよ。」(声)
「言っているそばから、言っている!」
「コーヒー飲みますか?」(声)
「コーヒーでいいから!」
「砂糖はいりますか?」(声)
「いる!いるから!」
「ミルクは――」(声)
「いらん!!」
「そんなに怒らないで下さい。」(声)
「シュージさんのせいじゃないですかっ。」
「知恵の輪で落ち着いてください。」
「落ち着くか、こんなもぉ――ん!!!」
森山、知恵の輪を給湯場に向けて投げる。
「痛っ!!」(声)
シュージに当たる。森山、我に帰す。
「…シュージさん、大丈夫ですかっ?」
シュージ、大げさに転がりながら出てくる。
「森山さん…僕はもう…ダメみたいです…。」
「森山さん?」(笑)
「はい?」
「わざとですね?」(笑)
「はい、すみません。」
シュージ、埃を払いながら、立つ。
「あんまり乱暴に扱わないで下さい。それ、僕のピックなんですから。」
「これがっ?」
「はい。」
「この奇妙奇天烈なものがっ?」
「…はい。とっても大事な品なんです。」
「あ…ごめんなさい。何か、思い入れでも?」
「はい。でも…話すと長くなりますよ?」
「(間髪入れずに)じゃ、話さなくても結構です。」
間。
「……あ…そう?」
「切ないですか?」
「切ない。」
「その切なさを、歌にしたらどうですか?」
「あ、なるほど…!」
「でしょ?」
「そうですねぇ。コーヒーでも飲みますか?」
「えぇ、もう何でも。」
シュージ、給湯室へ向かって歩き始める。
「お砂糖はいりますか?」
「はい、いります、いります。」
シュージ、給湯室に入る。森山、イスに再び腰掛ける。そして忙しなく動く。
「あぁ…早くコーヒー淹れてくれないかな、コノヤロー。」(笑)
コーヒーの淹れる音が聞こえてくる。
「これで、曲が出来そうですか?」
「いやぁ…もうちょっと待ってください、今コーヒー淹れていますので。」(声)
「そうですよね、さっきから十二分に手間暇かけて、淹れていますからね。」
「ブラックですか?」(声)
「いや、砂糖入れるので。」
「カフェオレにしますか?」(声)
「いや、ミルクはいらないですから。」
「…ふぅ〜ん…。」(声)
「“ふぅ〜ん”て、なして他人事…?」
間。
「あの…シュージさん?」
「はい?」(声)
「シュージさん、何だか、ボケ老人みたいですよっ?」
「そんな事無いですよ。」(声)
「いや、絶対ありますって!」
「あれぇ…おかしいなぁ…?」(声)
「(咳払いをして)それなら、僕がさっきから言っている事は何ですか?」
「森山さんが、ですか?」(声)
「そうです。」
「“ボーイズ・ビー・アンビシャス”」(声)
「そんな言葉、一言も出ていませんよ。」
「“トラ・トラ・トラ”」(声)
「勝手に奇襲攻撃、成功させないで下さい。」
「“耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…”」(声)
「あの、歴史から離れてください。」
「“すい・へー・りー・べー・ぼくのふねー…”」(声)
「化学ですよ、それは。」
「“サイン・コサイン・タンジェント”」(声)
「数学です、ああ、懐かしい。」
「“1kg×1m/s2=…”」(声)
「1N!どうして理系なんですかっ。」
「“太宰治の命日は桜桃忌”」(声)
「文系にいけば良いってもんじゃないでしょうっ。」
「“生まれてきて…”」(声)
「ごめんなさい!」
「“我輩は猫である…”」(声)
「名前はまだ無い!」
「“ジュゲムジュゲム後甲のすり切れ…”」(声)
「関係無い!もっと現代!」
「“伝えたい事が無いんです…”」(声)
「それ、自分じゃないですか!」
「(唄って)“伝えたい事があるんだ”」(声)
「じゃ、もうとっくに問題解決ですね!」
「(唄って)“LOVE はじめました”」(声)
「作者、大好きですよ!始めたいですよ、是非!」
「(唄って)“Tinkle ster light”」(声)
「某友人、踊りますよ!輝いて欲しいよ、是非!」
「(唄って)“惑星OF THE LOVE SICK STAR”」(声)
「(唄って)“キミにとってボクは青く見えているかな?”」
「(唄って)“惑星OF THE LOVE SICK STAR”」(声)
「(唄って)“ずっと変わらない距離で二人は居られる”」
「(口パク)“惑星OF THE LOVE SICK STAR”」(声)
「(唄って)“夜にはいくつもの顔で魅せられていたい”」
「(遮るように)何も言っていませんが?」(声)
「あり?」
間。
「あの、真面目に答えてください。」
「真面目に答えていますが…。」(声)
「もっと真面目に答えてください。」
「“お砂糖はいる”って、話ですか?」(声)
「それです!何だ、分かっていたんじゃないですか。」
「でしょう?だから僕は、ボケ老人じゃありませんよ。」(声)
「…それは良かったですねぇ…。」(心込めずに)
「それで、お砂糖はいりますか?」(声)
「…はい…。」
給湯室から、鼻唄が流れてくる。曲は「惑星キミ」のようだ。森山、うな垂れる。
「…それで。」(声)
「はい?」
「僕の曲、聴いてくれましたか?」(声)
「あぁ…あぁ!この間、聴いてみましたよ!」
「どうでしたか?」(声)
「イコライザーが上手く出来ていて、結構良かったですよ。」
「本当ですか、ありがとうございます。」(声)
「それだけしか言えませんけれど。」
「いやいや、それだけで十分ですよ。」(声)
「特に最後から2番目の曲が、いい出来でしたね。」
「分かります?僕のお気に入りですよ。」(声)
「そうなんですか?やっぱり、いい音出ていると思いました。」
「あれですよね?『Give up』ですよね?」(声)
「え……?」
「……え?」(声)
「……。」
「ど、どうかしたんですかっ?」(声)
「…あぁ…そっかぁ……2番目はそっちかぁ…。」(独り言)
「え、何ですっ?どうしましたっ?」(声)
「いやぁ…3番目でした、最後から。」
「あぁ…3番目…まぁ、あの曲も良いですよね……。」(声)
「ほら!サビの手前部分ですよ!あそこの爽快な感じが、たまらないですよ。」
「そうですよねっ?」(声)
「そうですよねっ?」
森山、思わず立ち上がる。
「そうなんですよ、頑張りましたよ。」(声)
「そう『フンフフーン』の所が特に――。」
「え……?」(声)
「……え?」
「……そっか…僕が言っているのは間奏部分か…。」(声)
「…いや、別に良いですよ、間奏部分も!」
「本当ですか?ハァ、良かったぁ。」(声)
「『フフンフフンフフーン』の所とか――。」
「『フンフフンフンフン』じゃなくて?」(声)
「えっ?いや、まぁ…あ!あとギターで『テュラララレランッ』ってところが――。」
「あぁ!あれは格好良いでしょう?」(声)
「格好良いです、格好良いです!」
「最初の方でねぇ。」(声)
「え、僕は、後の方が…。」
「………。」(声)
「………。」
「僕たち…事、音楽に関して、すれ違いが多いですね…。」(声)
「もしバンドを組んでいたら…5日以内で、音楽性の違いで解散していましたね…。」
「…お砂糖、いりますよね…?」(声)
「…覚えてもらえて、光栄です…。」
トボトボとした感じで、シュージがやって来る。手にはお盆。お盆にはコーヒー。
「…どうぞ…。」
トボトボとした感じで、森山座る。机の上に、コーヒーが並べられる。
「…お砂糖は?」
「あ!忘れていました。」
「あれだけ言っといて!?」
「すみません、すぐに取りに行きますからっ。」
シュージ、給湯室へ走っていく。
「あ、今の感じを、歌にしたらどうですか?」
「あ、いいですねぇ、それ。」(声)
言いながら、白い粉の入った器を抱えながら、再び戻ってくる。
「止まって!」
止まる。“ガシャン!”の音と共に、時計も止まる。
「…今、何だか、気味の悪い現象が起こりませんでしたか?」
「いつもの事ですよ。」
「いつもなんですかっ?」
「それより、どうして止まるんですか?」
「…それは本当に砂糖ですか?」
「え…?お砂糖ですよ、これは。」
「塩ではないと、言い切れませんよね?」
「まぁ…色が似ていますからね。」
「それなら、片栗粉もですね?」
「はい。」
「小麦粉も。」
「はい。」
「上新粉も、団子粉も、うどん粉も!」
「うどん粉なんか、こんな小さな入れ物に入れませんよ、普通?」
「ヒ素や何かの酸化物かも、知れませんよね?」
「止めてくださいよ、生々しい――。」
「いや、これはとても重大な事です!…いいですか?あなたも私も、曲がりなりにも、この業界の人間だ。いくら貧乏でも、ある程度の貯えはある、そうですよね?」
森山、おもむろに立ち上がり、部屋をグルグルと回り始める。
「…まぁ…少しですけれど。」
「つまりですよ、いいですか?人が最低限度の生活をするのに、月20万円はいります、これを生涯欠かさず続けたと、仮定しましょう。そして僕たちの残りの半生を、日本人男性の平均寿命を考慮して…シュージさん、幾つですか?」
「29。まだ20代。」
「(遮るように)30にしましょう!そして70歳で死ぬとすれば、単純計算で70−30=40、つまり40年生きます。」
「何が言いたいんですか、森山さん?」
「(遮るように)そしてさらに、1年は12ヶ月、単純計算で40×12=480、そうつまり、これからの半生、480ヶ月!」
「嫌な言葉ですね、“半生”って。」
「(無視して)そこで初めに言った、月20万の生活費を考慮すれば、480ヶ月×月20万円イコール、一桁上がって4800×2イコール‥9600万円!つまり僕たち2人はこれからの生活費に9600万円使用するという事ですよ。つまり犯人は僕たちを殺害した後に、2人合わせて1億9200万円を手に取り、悠々自適な生活を過ごす事に――!」
「森山さん、ストップ!」
「――!?」
森山、足を止める。
「落ち着いてください。“犯人”って、誰ですか?」
「……。」
「それに、例え僕たちが誰かに殺されても、今の時点では9600万円…ありませんよね?」
「……。」
「森山さん、途中で暴走していましたよ?」
「……。」
「大丈夫ですか?」
「……この暴走を…歌にしたらどうですか?」
「あぁ、それも良いですねぇ。」
嬉しそうなシュージ。森山、固い笑顔で何度も頷く。
「よぉっし!何だかどんどん、ネタが思いついていますね。森山さんが来てくれたおかげですよ!」
「それは、どうも…。」
「あ、どうぞ、コーヒーを。」
「そうですね。」
2人とも、イスに座る。一息(ため息?)ついてから。
「それで…どうしてこんな会話に?」
「分かりませんねぇ。あ、これお砂糖です。」
「あ、どうも。」
森山、それをカップに入れ、かき混ぜ、口に含んだ。
「グバラァッ!!!」
「え!?」
思わず立ち上がるシュージ。
「グハッ!ゲフェッ…!」
「だ、だ、だ、大丈夫ですか?!」
シュージ、慌てて近くの台拭きで、辺りを拭く。
「シュージさん…ゲホ……これ、塩ですよ!」
「え?…おかしいなぁ?僕は昨日、これ、使ったんですけどねぇ…?」
「ちょっと、舐めてみてくださいよっ。」
「どれどれ…(舐めてから)…塩じゃないですよ?」
「え、嘘?…(舐めてから)…塩じゃないですか!」
「へぇ〜、これが塩…。」
「知らなかったんですか?!」
「知っていますよ?」
「知ってたんかい!」
「知らない訳、ないでしょう?」
「それじゃ、何ですか?シュージさんは僕を困らせるために、敢えて塩を持ってきたんですか?!」
「いや、別にそういう訳じゃ――」
「これは何ですか?新手のいじめですか?!」
「いや、別にいじめなどでは――」
「あなた誰ですか?新手のいじめ使いですか?!」
「いや、別にいじめ使いじゃ――」
「あぁ、もう、訳分からなくなってきた…。」
「それじゃ…気分直しに、コーヒーでも飲みますか?」
「…………。」
「どうですか、一杯、ググッと…?」
「…お願いします。」
「はい、分かりました…。」
台拭き片手に、シュージは給湯室へ歩いていく。その途中、振り返る。
「あ、あの――」
「砂糖下さい!!!」
「はい。」
そのまま給湯室へ入る。森山、疲れたように、イスに腰掛ける。
「…疲れた…。」

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